*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 32-02 章」


『子育ちは 初級中級 上級と』


【助言32-02:子どもの揚げ足をとるのはやめましょう】

 ■子育て12助言■
『子育ち第2助言』
〜子育て上手は聞き上手〜

 子どもの話を聞いていると,状況判断が全く甘くなっていることがあります。優先順位がでたらめで,事がうまく運ばないのは明白な場合もあります。そんなとき,子どもの幼さを正そうとします。結果が取り返しがつかなくなる場合は当然ですが,どうでもよい場合は任せてみることです。子どもの世界はままごとの世界です。学校も世間から隔離された教習所です。ゆっくりと世間につながればいいのですが,子どもを消費者と見なす世間もあるのは心配です。

 小学一年の女児が試験で0点を取ってきました。ママは内心穏やかではありません。ところが当のご本人はというと,「あと10点で100点だったのに」と残念がっています。10+0=100! 意表をつかれてうろたえたママは「どんな計算をすればそうなるの!」と声を荒げてしまいます。よその子であったら笑って済ませられます。妙に納得する部分があるからです。たとえトンチンカンであっても,子どももそれなりに考えていると思うからです。でも,親の目は違っています。

 幼稚園の面接日です。人見知りがひどく,何を聞かれても固まって無言の子がいます。最後になってやっと発言しました。「ボク,気になることがあるんだけど……」。「あら,お話しできるじゃないの。な〜に?」。「あの電気,切れそう」。「……,直しておきます」。付き添っているママは,恥ずかしいやら気の毒やら取り乱してしまい,同時に諦めさせられました。「どうしてあんなことを言ったの?」と問いつめても,「だって切れそうだったんだもの」。いつ切れるか気になって仕方がなかったのでしょう。場所柄を弁えないことを責めても,子どもの立場になれば詮無いことです。面接を希望しているのは親だからです。

 幼い子が「ママー,くまのプーさんって,苗字は熊野?」と聞いてきます。一瞬何のことって訝りますが,そうかと気がつきます。「何をバカなことを言ってるの,違うでしょ」。最初の一言が余計な揚げ足取りになります。勘違いを笑ったり咎めたりすると,小さなプライドを傷つけてしまいます。間違うことがいけないこと,恥ずかしいことという観念を高圧的に植え付けるのは望ましくありません。それは自我の発達の足を引っ張ります。勘違いを受け容れて,正してやればいいのです。

 いつも助手席に座っている子どもが,あるとき「お母さん,ガソリンスタンドの人はみんな親切でやさしいね」と話しかけてきました。いきなり何を言い出すのだろうと思って考えても,思い当たることがありません。「どうして?」。「どこに行っても必ず,『元気ですか』と聞いてくれるから」。そんなことを聞かれた覚えはありませんが,必ず聞かれることといえば「現金ですか」。聞き間違いをしていたのです。

 そんなこというわけがないでしょ! でも,子どもの中では,元気ですかと聞かれることが優しさとしてちゃんと納得できているのです。世界の理解が狭いから,ガソリンスタンドでの常套句など知るよしもありません。現金ですかと聞かれることなど思いも寄りませんし,その方が子どもにはわけが分からないでしょう。子どもは子どもの世界でものごとを納得していきます。大人の世界とは部分でしか重なっていないので,勘違いは茶飯事です。それでいいのです。子ども時代は子どもとして精一杯生きています。分かるときが来れば自分で分かっていきます。

 子どもが勝手な理屈をぶつけてきます。状況判断が幼くて,親の目から見れば無理難題や話にならないことです。あっさりと却下するのは簡単です。突然ですが,このような強権は父性の役割です。母性は子どもの中に足りない状況判断を注入してやります。子どもには難しい場合,たとえ話をしてやるといいでしょう。ものごとを決めるには相手の意向もあるということをゆっくりと教えていけばいいのです。理解できないが世の中には思い通りにならないことがあると分からせる機会です。

 言うことを聞いてくれないのが子どもと悟るには,しばらく時間が掛かります。塾に行きたがらない小学生2年生の長男を,言い争った末にカッとなって殺してしまった37歳の母親がいました。子どもの判断や決定を根こそぎ否定して,親の思い通りに支配しようとすることが間違っています。極端な揚げ足取りです。そんなことは考えれば簡単に分かります。それでも日々子どものためだと思うから無理して,一時のことだからと従わせようと頑張りすぎます。私がしなければ誰がする?

 子どもの思い通りにしていたら,子どものためになりません。それもまた正しいことです。甘やかせば甘やかすほど子どもは不健全な育ちに逸れていきます。ビシッと正すことは正さねば。でも,ちょっとだけタイムを取ってください。押してもダメなら,退いてみましょう。一度はきちっと言います。後は子どもの判断に任せます。5分程してもう一度「いいのね」と確認してチャンスを与えます。この5分間に子どもの気持ちは動きます。やっぱりした方がいいかな。それでもダメなら,また5分。

 ところで,子どもには考え直す時間ができますが,親の方はイライラしながら待つことになっちゃうのでは? 1回目で効き目がなかったら,爆発することになりそうです。そんな心配があるなら,止めておいてください。どんな方法でも相性があるからです。一つだけお願いしておきます。イライラが昂じたら子どもに当たらなくて済むような方法を見つけておいてください。お茶碗をたたき割るという古典的な方法もありますが,ちょっと危ないですね。

 揚げ足を取るというのは,どちらかといえば意地悪な目です。虎視眈々と相手の弱点を見逃すまいとする敵視の構えです。我が子と敵対しては,元も子もありません。共倒れになるだけです。子どもはママだけが頼りであり,たとえ冷たい目を感じても,幼い心は健気に信じています。虐待を受けても逃げだそうとしない程です。大きくなると,心を閉ざしてかろうじて防衛しています。閉じ籠もりです。今のママたちに最も願うことは,一所懸命にならないことです。こうと思い込まないことです。

 不謹慎に思われるかもしれませんが,ゲームを楽しむように,子育てを楽しんで欲しいのです。こうすれば,こう返してくる。そう来たら,これではどうかな? 子どもとの掛け合いを一こまずつ重ねていくようにします。そんな面倒なことはできないとか,形勢が不利になったりとかしたとき,ゲームを根こそぎひっくり返すことをしたら台無しですね。あなたには負けた! たまにはそんなことがあってもいいのではないですか?

 楽に子どもと関われば,育ちが見えてきます。そんなことを考えているのか,と思うはずです。「あんた王様か? ぼくは家来じゃない!」と逆ねじを返す7歳の男児がいます。勉強は自分のためと諭したら,「お母さんのためでもあるんじゃない?」と切り返す6年生がいます。起きないのを注意されて,「寝坊したんでなくて,見る夢がたくさんあったの!」という5歳の子がいます。




 子どもの言葉にはっとすることがあります。大人ができない発想を見せてくれます。大人は考える無駄をしないように常識に添って物事を受け止めています。子どもは常識という枠がないので,無駄なことをしますが,そこに新しいこと,楽しいことが埋まっています。常識も世代が違えば非常識になることもあります。子どもの考えを一蹴する前に,先ずは聞くようにすれば,育ちはグ〜ンと弾みます。

 ところで,子育てをする際に親の指図に従わせるというやり方が多く見られます。何度言えば分かるのという場面があるのは,思い通りに進まない現れです。子どもが従わざるを得ない状況にする手立てが必要になります。もっとも安易なやり方が,従わないと不利益になるよ,困ることになるよという負のメッセージによる誘導です。交通ルールを守らないと反則金が課せられるという世間一般の方策です。でも,子育てにはどうなのでしょう?(以下次号)

 江戸時代に新井白石という学者がいました。イタリア人の宣教師を尋問した際に聞いたヨーロッパの事情を西洋記聞という書物に著しました。鎖国の中でしたので発禁処分になったそうですが,その書物の中で,外国の地名や氏名などをカタカナで書き表しました。文章は漢字仮名混じりが普通でしたが,カタカナで書くことで外国風のニュアンスが発揮されました。この書き方が現在まで踏襲されているのです。新井白石という学者が身近に感じられませんか?


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第32-01章に戻ります
「子育ち12章」:第32-03章に進みます