*** 子育ち12章 ***
 

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「第 32-03 章」


『子育ちは 安心してこそ のびのびと』


【助言32-03:子どもの不安をあおるのはやめましょう】

 ■子育て12助言■
『子育ち第3助言』
〜脅しが通れば育ちが引っ込む〜

 子育てをする際に親の指図に従わせるというやり方が多く見られます。何度言えば分かるのという場面があるのは,思い通りに進まない現れです。子どもが従わざるを得ない状況にする手立てが必要になります。もっとも安易なやり方が,従わないと不利益になるよ,困ることになるよという負のメッセージによる誘導です。交通ルールを守らないと反則金が課せられるという世間一般の方策です。でも,子育てにはどうなのでしょう?

 夫婦喧嘩の最中に,妻が夫に「私だって,毎日家事で夜遅くまで起きてて大変なんだからね!」と言ったとたん,3歳になる娘が「だって,ママ昼寝てるジャン!」と仲裁?に入りました。確かに絶妙な仲裁のタイミングだったのですが,罪のない娘がその後の数時間,ママにまともに口を聞いてもらえなかったのは言うまでもありません。可哀想・・・。こんな投稿が目に入りました。真実とは往々にして人を傷つけるものです。

 妊娠中のお腹の大きな友人が遊びに来た時,3歳の娘が喜んでじゃれついていました。ママが「おばちゃんのお腹の中には赤ちゃんがいるから強くぶつかったらダメよ」と注意すると,えっっ!と息を呑んで,ひどいショックを受けたように目を丸くした娘が「…おばちゃん,赤ちゃん食べたの!?」と聞いてきました。まわりの大人は大爆笑だったそうです。子どもは恐ろしい思いをしたことでしょう。無邪気で無知な幼子は,結構怖い思いをしています。

 言葉の覚えはじめの頃はポツリポツリと口に出します。ゆっくりと待ちきれずについついママが急かせます。イライラして「早く言いなさい」と迫ります。ママにすればどうということのないひと言です。でも,子どもにすれば頭の上から不機嫌に怒鳴りつけられて,かなりの心理的な圧迫が加えられます。言葉を思い出しながら発しようと苦吟しているとき,焦りは余計な重しになります。幼い心はオドオドするようになり,言葉が遅くなったり,ひどいときは吃音に行き着きます。ママは意識してゆったりしておかないと,子どもを追いつめてしまいます。

 夜寝る前にジュースなどを飲んでいる子どもに,「おねしょするよ」って言いますね。軽い注意のつもりです。子どもにとって言葉は大人が感じているよりも直接的です。例えば,子どもは排泄物を表す言葉を何の躊躇もなく平気で口にすることができます。ごく身近に感じていて,汚いと突き放してはいないからです。おねしょするという言葉を素直に受け容れてしまい,暗示が掛かっておねしょするようになります。「またおねしょして」と叱られると,するかもしれないという不安を素直に体現するようにし向けられます。必ずそうなるということではありませんが,気にしすぎるあまりそちらにスイッチが入る場合もよくあるということです。

 子どものためを思って。ママの心配の種は尽きません。いちいち目を光らせていなければ,どうなるか気が気じゃないと思うのが親心ですね。どうして子どもっていけない脇道をわざと選ぶように入り込んでいくんでしょう。信じられない!? 子どもは無限の可能性を持っているのです。無限とは良くも悪くも一切合切全部です。いけないことをしたら痛い目に遭う,だからしなくなります。それが叱るしつけであり,許されないことに対しては厳しく接することが大事です。しかし,痛い目に遭うからと子どもを脅かして不安に追い込んでしまうことが日常茶飯事になっていませんか?

 人を思うがままに動かそうとするとき,手っ取り早いのが脅しです。嫌がる子どもを渋々でも従わせるには,怖がらせれば簡単です。しかし,それはしつけという養育上ではとても悪質な手抜きになります。手抜き工事の修復は高いものに付くというのは常識ですが,子育ての場面でも同じです。怖いからする,叱られるからする,叩かれるからする,不安だからする,それは昔は奴隷に対するしつけでした。いちいち監視され脅されてビクビクと不安な中では,いじけるしかありませんね。

 「ねえ,ママ」。「何か用?」。「別に」。あれもこれも抱えているママは,「忙しいんだから,用が無いなら呼ばないで!」って軽くあしらっています。いっぱいすることがあって時間に追われるようにバタバタしているママの姿を遠くから見ていて,子どもは近寄りがたい気持ちを抱え込んでいます。つまんないな,というかすかな不安を胸の奥に押し込んでいます。ママは殊更邪険に突き放しているつもりはなくて,成り行きでそうなっているのでしょうが,子どもに不安を与えています。

 「ママ」,その呼びかけが大して力のないことを思い知らされると,寂しい不安に襲われます。それは用があるのではなく,ただママそのものを求めていて,ちょっとでいいから丸ごと私のママになって向き合って欲しいという願いです。グッと抱きしめてくれさえしたら,それだけでホッとすることってありますよね。フッと顔を見合わせてにこっとするだけでも,人の心は安らぐものです。親子の間には特別に用がなくても,気持ちのふれあいを重ねておく必要があります。

 双子の姉妹がいます。双子ですから,育ちの出発は同時だと考えることができます。双子でも姉と妹に立場が分けられます。便宜上のことに過ぎません。ところが,お姉ちゃんはしっかり者に育ち,妹はおしゃべりだが甘えん坊に育っています。親を含めて周りからの接し方が,姉と妹という育ちを与えていったからです。子どもは人の関わりの中で,居心地のよい形に自分を育てていきます。自分に期待されていることが何かを見極め,それを受け容れていけば自分の居場所が獲得できるからです。

 こんな子であって欲しいという願いが日頃の関わりを通してやんわりと突きつけられます。乱暴に言えば,しつけは型にはめこむことです。子どもは周りで用意された型に合わせないと居心地が悪くなります。自分は望まれていると感じるためには,型にはまらなければなりません。ところが,その型が子どもの実際の大きさに合わないことが多いのです。親が与える型はいつも大きすぎるのです。大きめの洋服を着せようとするのです。それをどうしてぴったりと似合わないのかと責められても,子どもにはどうしようもありません。でも,子どもは自分がいけないのだと思っています。

 逆の場合もあります。子どもに全く型を与えないのです。何をしてもほったらかしにされて,どうなればいいのか分からずに彷徨うようになります。どうすればいいのかという不安を親にぶつけるようになります。親は逆らう子どもとしか見てくれません。余計にコミュニケーションが疎遠になっていきます。食べさせておけばいいという扱いを受けるようになります。どう育てばいいのか教えてもらえないとき,子どもの毎日は不安です。その不安を消すには現実から逃げて享楽的な世界に浸るしかありません。

 初めての子育ての時には,親は不安です。その不安が焦りに変われば,子どもは追いつめられます。親の不安が逃げになれば,子どもは彷徨う不安に追い込まれます。いずれにしても,子どもの抱える不安は,親の不安を肩代わりさせられているのです。先ずは親同士のつながり,それも養育経験者を交えたネットワークを持つようにしてください。インターネットのつながりでもいくらかの助けにはなりますが,身近なつながりの方がベターです。そして近所の子どもたちを観察することです。




 自分はこのお父さんの,このお母さんの子どもである。そう信じ込むことができたら,子どもは安心して育つことができます。お父さんに好かれていない,お母さんに邪魔にされている,そんな不安な気持ちがあれば,子どもは育つ方に元気を向けることができません。悩みがあるときには何もする気が起こらないのと同じです。不安を消すために刺激的なことに逃げ込もうとします。育ちに背を向けることになります。

 子どもの育ちには安心が不可欠ですが,それは家庭に根を張るということです。親子の関係が信頼という絆になっていれば,外に向かってぐいぐい伸びていこうとします。日常的な生活の中で,小さなつながりを確かめていなければ,気持ちのすれ違いが生まれて不安が芽生えます。親子だから分かり合うはずということは過信です。夫婦関係と同じように,お互いに確かめあうという努力が必要です。(以下次号)

 上級武士の奥方が住んでいるのは北の方,そこで奥方を呼ぶときに「おかたさま」と言っていました。それが広まり,かか,かかさん,おっかさんと変形し,明治になると,「おかあさん」という言葉として国定教科書によって全国に浸透していきました。文字は母という字が当てられました。ちなみに,母という字は添い寝をしているときの乳房の形を模したものです。「お母さん」。その声をしっかりと受け止めてあげていますか?


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