*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 32-06 章」


『子育ちは 経験重ね 履歴書に』


【助言32-06:子どもの経験を無視するのはやめましょう】

 ■子育て12助言■
『子育ち第6助言』
〜骨折り損の知恵儲け〜

 最近全国的に取り組まれている通学合宿のキーコンセプトは,したことがないことはできないということです。表返すと,暮らしのすべてを自分の手でまかなう機会を与えないと,生きる基礎が育たないということです。この際に忘れてはならないことがあります。それは自分の手を使う具体的な経験を言葉で逐一表現することです。単に楽しかった,おもしろかったという感想ではなくて,米を研ぐ,千切りにする,布団をたたむ,添える,などの生活の言葉です。言葉を覚えることで身につくからです。

 小学2年生の娘さんが,いつもはおばあちゃんかお父さんとお風呂に入っています。ある日たまたまどちらも不在になって,約2年ぶりにお母さんとお風呂に入りました。お母さんが洗面所で化粧を落としていたら,突然金切り声で「おまえは誰だ!」と娘さんに問いつめられました。お母さんは普段スッピンの顔を見せたことがなかったので,その衝撃的な素顔に娘さんがとても驚いたらしいと気づくのに,少しばかり時間が掛かりました。

 一緒に暮らしていても,お互いのすべてを知っているわけではありません。子どもはお母さんの顔といったらどんな顔を思い浮かべるでしょう? 怒った顔という子どもが少なくありません。恐怖の感情に増幅されて,強く印象づけられるからです。よその子には見せている笑顔が,子どもには向けられないから見えません。笑顔の美しいママを印象づけようと願うなら,一寸の間でいいですから,思いっきり子どもと楽しく遊ぶことです。一緒に何かをする体験に笑顔を添えてやってください。

 ある叔父と甥の一こまです。いつもママと一緒でないとお風呂に入らない3歳の甥に,「たまには,おじちゃんと入るか?」と聞いたら,「いいけど,おじちゃんのおっぱいって,どう?」と聞かれました。「どう?って言われても自信ないけど」と答え,いっしょに入るのをあきらめたというお話です。甥っ子がママとどういう風に入浴しているのか,いささかきわどい?シーンですが,それはおじさんにはよく分かりかねることです。

 幼い男の子にとって,ママはおっぱいです。乳離れした後は,入浴時にしかお目にかかれません。習慣という強い体験から,お風呂といえばおっぱいという連想ができているのでしょう。今のうちに飽きるほど検分しておけばいいのです。自分にはないものだから関心が強くなっているのですが,やがて記憶の中に収めていくようになります。そのためにも,お父さんと裸のつきあいをすれば,男であることに安心と自信を持つようになります。そんな体験が不可欠です。

 お母さんと3歳の息子との会話です。「大きくなったら何になりたい?」,「しんかんせん!」。「新幹線じゃなくて新幹線の運転手でしょ」,「ちがう!しんかんせんになるの!」。「そんなこと言ったって新幹線にはなれないの。だいたい,新幹線みたいに早く走れないでしょ」,「じゃゆっくりはしる」。「ハハハ!それじゃ新幹線じゃないでしょ」,「とまってても,しんかんせんだよ」。「・・!」。お母さんはすっかりやりこめられています。

 男の子の感性と女であるママの感性がすれ違っています。男の子は速い動きに憧れているから,その速さを体得したいという願いそのままです。ところが,ママが早く走れないという現実を突きつけてきました。それでも速さを秘めている新幹線,停まることもある新幹線,その同一性を体験から知っているから,切り返してきました。男の子は速さ,ママは早さ,同じ「はやさ」でも思っているイメージが違うのです。男の体験を持っているお父さんの出番です。ママの感性をあまり強引に押し付けようとすると,男の育ちがしにくくなります。「そうなんだ」って,受け止めておいてくださいね。

 小学校の先生が国語のテストに漢字の書き取りを出題しました。その中に「わんりょく」,「うもう」がありました。正解は「腕力」,「羽毛」です。ところが,一人の子どもが,「犬力」,「羽牛」と答えたのです。ワンは犬,モーは牛というわけです。先生は○も×もつけられずに,大きな☆をあげたそうです。余裕がありますね。それに☆印をつけてあげたところがうれしくなります。正誤の尺度から離れて,子どもが体験から絞り出した答えに敬意を表しています。

 犬の力,羽のある牛? 子どもはその答えを書くとき,何を思っていたのでしょう? 怖い犬の力=わんりょく(腕力),妙に頷いてしまいませんか? 羽のある牛が「ウモウー」と鳴きながら空を飛ぶ姿,ママが読んでくれた絵本に登場していそうですね。子どもは自分の体験を総動員して,言葉を紡ぎ出そうとします。言葉はイメージですから,見たり聞いたりしたことと直結します。○×の厳正な目は,子どもの豊かなイメージをあっさりと拭い去る消しゴムです。

 数年前のある夫婦の風景です。NHKの「私の青空」と言うドラマの中で,おじいちゃんが孫に「たけのこは大きくなると竹になる」と教えている場面がありました。妻が「そんな事誰でも知ってるよねー」と言おうして,隣の夫の方を向こうとした瞬間です。隣から「エー!!マジ!」と言う驚きの声がしました。「・・・・」。妻は結婚した事を一瞬後悔したそうです。そんなことも知らないなんて! でも,似たような状況は誰でもあるでしょう。枝豆って大豆だと知っていましたか?

 タケノコが竹の子であることは,竹林に入った経験があれば,その場のイメージとして記憶に残ります。食材としての皮付きの尖ったタケノコしか見たことがないと,理屈として竹と結びつけなければなりません。一目瞭然という学びもあるのです。因みに,タケノコはいつタケになるか知っていますか? タケノコの成人式はいつかということです。タケノコは筍と書きます。この字に含まれる旬とは,上旬などというときの旬で10日間という意味です。その頃に皮が剥がれて竹になります。

 小学2年生の子どもが,宿題の暗記が覚えられないと泣いていました。お父さんが,「お父さんの脳みそはもう硬くてだめだけど,子どもの脳みそは柔らかいから,何でも覚えられるから頑張れ」と励ましてやりました。一時張り切って覚えようとしていましたが,しばらくして「僕の脳みそ,柔らかすぎてはね返ってくる〜」と泣いていました。子どもは面白い言い方をしますね。柔らかくてはね返るとは逆のようですが,脳をゴムまりのようなものと思ったのでしょう。

 暗記をする基本は,書くことです。書くという動作と,書いた結果を目で見るということ,その二つがセットになって体験になります。体験とは自分の身体でしたことですよね。自分の手で書いたものをイメージとして捉えて記憶する,それが暗記なのです。口で唱えても,メロディがついていない音は簡単には記憶に残りません。学びがノートを取る形式を採用しているのも,記憶の助けになるからです。面倒なことをさせる,大事な体験をさせているのです。




 子どもの経験は中途半端です。それでも,いろんな知恵の概要だけはイメージしていくことができます。口だけ達者に育つのが子どもですが,育ちのステップとしてそれでいいのです。ただし,完成するためにさらに繰り返しの機会を必ず与えるようにしましょう。育ちが進めば,いうこととすることが一致するようになります。知っているからできるという勘違いを親子共にしないことが大事です。情報社会では知っていること止まりになることが心配です。

 かつて,幼稚園ではハリネズミ弁当なるものがありました。おにぎりやおかずの一つひとつにプラスティックの楊枝が刺さっているのです。箸がうまく使えなくて,先生に迷惑を掛けてはいけないと考え出されたママの知恵です。箸を使えるようになる折角の訓練の時期なのに,しつけを放棄してしまいました。なんとなくその場がしのげればいいという逃げが,子どもたちの中にある大事な能力を枯らしてしまいました。(以下次号)

 子どもは習うことで育ちます。ところで,「ならう」とは,慣ら+ふ(継続・反復)が語源で,その意味は繰り返して同じことを何度もして習慣にし身につけることです。習の漢字も,羽+白(バタバタ重ねる)で,繰り返して羽を動かし稽古する意味だそうです(「語源を楽しむ」増井金典:ベスト新書)。どちらにしても繰り返すことが基本になっています。一度や二度のことは習うことにならないのです。そのつもりで育成に当たりましょう。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第32-05章に戻ります
「子育ち12章」:第32-07章に進みます