*** 子育ち12章 ***
 

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「第 32-07 章」


『子育ちは 生の力を 使い慣れ』


【助言32-07:子どもの力を見くびるのはやめましょう】

 ■子育て12助言■
『子育ち第7助言』
〜負うた子に教えられ浅瀬を渡る〜

 かつて,幼稚園ではハリネズミ弁当なるものがありました。おにぎりやおかずの一つひとつにプラスティックの楊枝が刺さっているのです。箸がうまく使えなくて,先生に迷惑を掛けてはいけないと考え出されたママの知恵です。箸を使えるようになる折角の訓練の時期なのに,しつけを放棄してしまいました。なんとなくその場がしのげればいいという逃げが,子どもたちの中にある大事な能力を枯らしてしまいました。

 料理がお好きでないお母さんが,ある日ふと思いついて,4歳になる息子に料理の味を尋ねてみました。「ウマイのとマズイのが合体したうまさ」と感想を言われました。食べてみたら本当にその通りで,息子の表現力に脱帽したということです。食べること,味を見分けることは生きることに直結しているので,子どもといえどもかなりの程度まで完成されています。ただ,その感度が今の時代には妙に贅沢で甘やかされすぎているのが気がかりです。そこで,先ず子どもを味見番に採用します。

 相対的に甘くて柔らかい食事にずれている今風の嗜好は,一生の健康のためには矯正した方がいいのですが,そのためにはママの味見,うまいという味覚を商業的味付けから離していくように心掛けてほしいのです。子どもに味見を頼みます。ウマイのとマズイのが合体したうまさ,そのまずくはないというレベルを維持しながら,少しずつ今風のウマイから外していくようにします。味の感覚は慣れるという習性があるので,望ましい美味さに矯正できます。お袋の味の復権です。

 冬のある朝,冷えるのでガスヒーターを点けようとスイッチを入れたが入りません。「コンセントは入ってるし,ガス栓も外れてないし・・・」とママが焦っていたとき,5歳になる息子さんがやって来て,無造作にチャイルドロックを外してくれました。慣れない機能は使うもんじゃないと,ママはちょっぴり反省です。家庭にある便利な製品類のスイッチは,大人にはやっかいな代物です。頻繁に使うスイッチ以外は,何がどうなるのかほとんど理解していないことでしょう。

 機械類が苦手なママもいらっしゃるでしょう。子ども,特に男の子は機械類が好きです。スイッチがどんな機能を引き出すか,ほんの数回の試行,あるいはパパが扱っているのを傍で眺めているだけでも,理解してしまいます。その物覚えの良さを利用してください。子どもに頼るのです。子どもは喜んで力を貸してくれます。「ママはダメだなあ」なんていいながらも,得意げにやってくれます。頼りにされること,それは自分の能力に自信を抱かせることになります。ママも楽になり,一挙両得です。

 こんなしつけは,案外とやられているのではないでしょうか? あるご家庭で,子どもの浪費を防ぐ意味で,「うちは貧乏だからお金がないんだよ」と教えています。ある日,一緒に買い物に行ったときのことです。4歳の息子さんが「ママ〜あれ買って」と言ったとき,7歳の娘さんがすかさず「うちは貧乏だから買えないんよ!」と叫びました。目の前の店員さんも,その場の空気も凍ってしまいました。ママは穴があったら入りたかったそうです。

 日頃からママの言って聞かせていることが,見事に子どもにしつけとして実現しています。貧乏とは思い通りにモノが買えないということだと,ちゃんと分かっています。お姉ちゃんも,その言葉を自分に向けてつぶやき,たくさん我慢してきたことでしょう。お姉ちゃんは弟に対しては,ママ代わりを務めるものです。その言動はママの生き写しです。しつけを手伝ってもらったら,ママも楽になるでしょう。でも,貧乏と大声で叫ばれるのは,ちょっぴり恥ずかしいかも? 大して気にせず明るく言い切ってしまえば,案外と開き直れるものですよ。無理は言いませんが?

 ある日曜日の昼下がりです。買い物に出ようと思い立ったのですが,そのときママはスッピンでした。小学校5年生の娘さんに,「お母さんスッピンなんだけど,このまま出かけていいかな?」と聞いてみました。娘さんはママの顔を一瞥し,「お母さんの顔を見つめる人なんかいないから,いいんじゃない」という返事でした。そのとき以来,ママはスッピンのまま平気で外出するようになったということです。どうなんでしょうね。

 身だしなみについては,母と娘というペアは関心を共有できるのでしょう。オシャレについては,人目よりもご本人がよろしいと思えばいいんではないでしょうか,としか言えません。ところで,無化粧という選択もあり得ますし,若いママには素肌の美はとても似合うと思いますが? 「誰も見ていない」という娘さんのコメントは,ママへのちょっとした意地悪かも? 若い自分は見られているが,ママはもう見てもらえないと挑戦しています。若さの自惚れを仲良く共有してください。

 中学2年生の息子に向かって,ママがぽつりと「今,お金が無くて…」と言ったことがあります。即座に「お母さんが無駄使いをするからだ」と返ってきました。「例えば?」と尋ねてみると,「毎日のビールがムダだ」とおっしゃいます。そこで「何を言う! あれはお母さんの疲れを癒す唯一の楽しみじゃない!!」と反論してみました。すると「ちっぽけな楽しみだねぇ〜」と冷たく言われてしまいました! そう言い切られると,確かにと思ってしまうとは?

 いつまでも子どもだと思っていたら,フイッと大人の痛いポイントをさりげなく突いてくるようになります。子どもはあらゆる面で未熟な子どもではありません。ある部分では大人を凌ぐこともあります。思いやりなど,大人も顔負けすることがあるでしょう。育ちは凸凹していると考えておいてください。特に生き方について,大人の夢や志などから見習おうとする時期には,かなり厳しい目を向けてきます。子どもに見られている大人,しっかりしなくては恥ずかしいですよ。

 休みの日にパパが,4歳の娘に「大きくなったら何になりたい?」と尋ねました。「ネコちゃん!」と嬉しそうに答える娘にちょっと頭がクラクラしましたが,気を取り直して,2歳の息子に「あんたは?」と聞いてみました。「ボクはねぇ,大人にはならないの。ずっと子どものままでいて,お母さんにお小遣いをもらって,一生遊んで暮らすの」。やっとしゃべれるようになったばかりで,そんな人生設計するか,と先行きの重たさを思い知らされたそうです。

 大人になりたくない子どもたち,遊んで暮らせることを願う子どもたち。増えてきました。苦労して手に入れるからこそ喜びがあるということを教えられていないのですが,かなりの程度は時代の特徴です。豊かさは遊んで暮らせることであり,子どもを何の苦労もない世界に追い込んで育てています。子どもは社会の試験紙です。自分の身をもって,社会や家庭の有り様を訴えてきます。これでいいんですよねと,人生設計の確認申請をしようとしています。許可できますか,それとも変更ですか?




 子どもの能力の使い方は,単刀直入で力ずくというやり方なので危なっかしく感じられます。それは仕様のないことです。使っているうちに,洗練さが付加されていきます。幼稚なのではなく,荒削りなだけなのです。お手伝いをしてもらっていても,すればいいといった風に見えることがあります。大きな子どもの場合はそうかもしれませんが,小さい子どもの場合はそんな余裕はありません。ひたすらがむしゃらなだけです。周りの状況に合わせて形を整えるのは後からです。

 「また散らかしっぱなしにして!」。子どもはママを困らせようとして,わざとしているわけではありません。片づけることまで思いが及ばなかっただけです。料理をした後は散らかっています。それを片付けるのが面倒だから,出来合いのパックで済ませるのとは少しばかり違います。料理を作ることが楽しい,そこで止まっているのが子どもなのです。面白いことをすることで,自分の力を精一杯発揮し,練習が進みます。そこがクリアできたら,片付けに気を向けさせましょう(以下次号)。

 下校している子どもたちを見守っていると,まっすぐ家路につく子どもや,友達とふざけながらはしゃいでいる子ども,ぶらぶらと道ばたの草むらに立ち寄って虫探しをしながら帰る子どもがいます。今は夏休みなので,一日中動き回っているようです。ところで,道草を食うといいますが,どういうことなのでしょうか? 昔は荷駄を馬に運ばせていましたが,急ぎの時でも,馬はそんな事情にはお構いなく,道ばたに美味しそうな草があれば勝手に食べていました。文字通りに道草を食ったのです。横道にそれて時間を無駄にすることの代名詞になりました。ちなみに,道草を食べるとはいわず,道草を食うといいます。


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