*** 子育ち12章 ***
 

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「第 32-08 章」


『子育ちは 正邪の心 選り分けて』


【助言32-08:子どもの思いを見過ごすのはやめましょう】

 ■子育て12助言■
『子育ち第8助言』
〜子の間違いも正せばよい導きに〜

 「また散らかしっぱなしにして!」。子どもはママを困らせようとして,わざとしているわけではありません。片づけることまで思いが及ばなかっただけです。料理をした後は散らかっています。それを片付けるのが面倒だから,出来合いのパックで済ませるのとは少しばかり違います。料理を作ることが楽しい,そこで止まっているのが子どもなのです。面白いことをすることで,自分の力を精一杯発揮し,練習が進みます。そこがクリアできたら,片付けに気を向けさせましょう。

 子どもは自分勝手な自然児です。ママは常日頃より息子さんに,「アメはムシ歯になるから食べちゃダメ!」と教えていました。ところが,どうやら祖母にもらっているようです。ある日ポケットにアメ玉の包装紙を発見! 「アメはムシ歯になるって言ってるでしょ!」と怒ると,「そうだよね! いけないんだよね! 今度バアちゃんによ〜く言っておくからね! バアちゃんは年寄りだからすぐ忘れちゃうんだよね!!」と慌てて弁解をしていました。

 ママにすれば,「一番悪いのはおまえぢゃ」と言いたいところです。子どもは自分が悪いことは重々分かっています。分かっているから,おばあちゃんのせいにして逃れようとしています。素直に認めないことで,悪いことの上塗りしています。子ども時代には一度の軽い悪さは許されます。肝心なことは,悪かったと認めて反省することです。反省できることが健全さの条件です。言い逃れをすると,その先には反省がなくて,戻れなくなります。人のせいにする卑怯さは,断固正しましょう。

 ママをとっても大好きな3歳の娘さんがいます。それに引き替え,パパが寄ってきても「パパ嫌い,ママ好き」というので,パパはへこんでいます。ところが,ある日自分から寄ってきてパパにキスをしてくれました。パパがすごく喜んでいると,「これでいいでしょ。アレとって」と高いところにあるおもちゃを指差しました。自分のキスの価値を知っているのでしょうか・・・。驚かされたパパがおられました。誰のおしこみなのか,強かな娘さんです。

 手玉に取られていることが分かっていても,娘の言うことであれば喜んでしてあげるのが,パパの優しさであり,弱点です。やがて,パパはご機嫌を取り結ぶためにママに内緒で無理をするようになります。一方,娘は,ちょっと甘い態度を見せれば,パパなんてイチコロという手管を身につけていきます。パパ限定にしておけばいいのですが,ついついよそのおじさんにまで仕掛けていくようになり,深い淵へと身を滅ぼしていきます。たいがいにしてくださいね,母娘でパパをいたぶるのは?

 4歳になる娘さんが公園でお友達と砂遊びをして,お団子とか食べ物を作って遊んでいました。傍でニコニコと見守っていたママが,お友達に「これなあに?」って聞くと,それぞれに「カレーライス」とか,「ハンバーグ!」と答えてくれるのに,ママの娘さんは「砂っ!」。確かに砂には違いはないのですが,どうにも複雑な思いのママでした。よく言えば真面目で正直な娘さんですが,遊びの世界に浸れない真っ直ぐさが気になりますね。

 友だち遊びの基本は,世界を共有すること,その場の雰囲気を共同制作することです。雰囲気を壊す言動は,仲間はずれの元になります。ママの心配は,まさにそのことです。娘さんが「砂」と答えざるを得なかった背景があるかもしれません。友だちがママに楽しげに答えているのを耳にして反発したくなったり,ママには冗談は通じないと思っていたり,ママとの現実の関係のあり方も考慮されるべきです。単純には,カレー,ハンバーグと言われてしまって,他に思いつかなかったせいかもしれません。お子さんの好きな「ケーキかな」って,言い換えてやる手もあります。さりげなく誘ってやってください。

 スーパーでの風景です。小さい男の子が「ママーこれ買って」と騒いでいました。母親らしい人が「あかん,ゆうとるやろー。そんな金ない」と叱ったため,「これが食べたいんだぁー」と泣き叫んでいました。どうせお菓子かなんかだろうと思ってその子の手を見てみると,『かつおのたたき』(半額シールつき)でした。子どもにしてはしぶい選択です。しかもちゃんと家計を考えているみたいだと思いつつ,ちらっとその母親の持つカゴを見てみると,大量のお酒と肉類が入っていました。その場にいた人はみんな,「買ったれよ」と思ったに違いありません。

 端からとやかく言えば,余計なお世話です。何にも分からない癖して,要らぬお節介です。だから,皆は思うだけで見て見ぬ振りをしてくれます。昔はその要らぬ口出しがご近所から入っていましたから,親子の権力差が縮小できていました。自分は嗜好品を手にしながら,子どもには与えない,普通なら理不尽です。自分の身勝手さは気がつかないものです。ほどほどにしておくためには,傍目からどう見えるか,少しだけ自己チェックしてみることです。ちょっとだけですよ。

 お母さんが小学校に入学したばかりの長男と算数のお勉強をしていました。『問題:75円あります。3円つかうといくらのこりますか?』と読んでいく途中で,いきなり息子が母親に質問です。「ねえ,おかあさん,3円で何が買えるの?」。「今はそんな余計なことは考えなくていいの」って言おうとして,いったい何が買えるだろうと一緒に悩んでしまうママでした。こんな計算を練習して何の役に立つのと問いつめられたら,何と答えたらいいのでしょう。

 お勉強とは現実を総合して作り上げた虚構の世界です。(75−3)という計算は現実世界で起こり得ます。数字だけの計算ではあまりに抽象的で一年生には取っつきにくいので,現実味を帯びさせるために,暮らしの世界で出会う「円」というお金の計算に脚色してあります。もっとも,このケースではあまりよい脚色ではありませんね。具体性を持たせるなら,一年生の暮らしを見極めた問題にすべきであるというのが正論でしょう。そんなときは(75−3)人と変えてみませんか?

 小学1年生の男児が,夏休みの宿題である「夏休み中の日記」を,初日の一日で全て書き上げ大得意になっていました。そこまでは,やったことのある人もいるでしょう。ところが,その子はその偉業?をどうしても自慢したかったらしく,最後の日付の日記に「これらの日記は,○月×日にいっきに書きました」というコメントを入れたのです。担任の先生から叱られたのはいうまでもありません。馬脚を現してしまいましたが,ご愛敬ですね。

 蛇足のひと言。それですべてがご破算になります。しかし,結局はそれでよかったということがあります。嘘がばれてしまって,深みに嵌らなくて済むからです。ずるをしたらそれを威張ってみたくなり終いにはばれてしまうという人の弱さを思い知ったことでしょう。余計なひと言は自分を救う学びになります。悪知恵には尻尾があって,それをいずれは自分で踏むことになっています。子どもの嘘は見え見えなので,ときどきは見逃しても,ここ一番のときには尻尾を引っ張ってやりましょう。




 子どもの心には天使と小悪魔が同居しています。小悪魔は時には可愛らしさに思われることもありますが,野放しにすると大悪魔になりかねないので,ほどほどのところで芽を摘んでおきましょう。一方で,小悪魔を完全に追い出してしまうと,心のバランスが壊れることもあるので注意した方がよいでしょう。自分の中にある妬みや嫉みといった小悪魔を意識して上手に制御できるようになることが生きる力になるからです。

 子どもは子どもの世界を生きています。大人の世界とは違う世界なので,大人の世界ではトンチンカンな言動をすることになります。大人の洋服を着ても用をなさないのと同じです。子どもは子どもの世界を生きることで身の丈にあった育ちをしていきます。家庭は大人の世界と子どもの世界が同居する世界だと弁えて,無理矢理子どもを引きずり回さないようにして下さい。(以下次号)。

 お正月にはお年玉をあげますね。昔はお金ではなく丸い餅をあげていました。丸が玉の形なので,お年玉と言われるようになりました。育ってくると,七五三です。これは江戸時代の呉服屋さんが考えたもので,大正時代から普及しました。後の時代になるほど,いろんな節目行事が増えてくるので,親は大変です。最近は,洋風のものも入り込んできますので,なおさらです。子どもをダシにする商売はほどほどにしてもらいたいですね。


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