*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 32-12 章」


『子育ちは 冒険こそが 前進に』


【助言32-12:子どもの冒険を遮るのはやめましょう】

 ■子育て12助言■
『子育ち第12助言』
〜冗談から出た本音〜

 よちよち歩きの子どもを見ていると,怖くてハラハラします。しかし,止めなさいとは言いません。よちよち歩きをさせないと,歩けるようにはならないからです。育ちの途中は,子どもにとっては冒険です。失敗したら痛い目に遭うということを知っている親は,不安になります。でも,冒険をクリアすることが育ちなのですから,見守ることに徹しておきましょう。もちろん,防護は怠らないことです。

 シルバニアファンの6歳になる娘さんがいました。ウサギさん一家のお父さんだけを持っていなかったために,しかたなくリスをお父さんにしていました。やがて,ウサギのお父さんをゲットできることになりました。ママが「リスはどうするの?」と聞くと,「リスとは別れさす」と,まるで頑固親父のような台詞を真剣な目で答えていました。その言葉は,やがて年頃になった自分に向けられるかもしれませんね?

 人とのつきあいは,大きな冒険です。あの子とは遊んではいけません,そんな言葉は今時流行らないでしょうが,やはり友だちは大切と思われています。ところで,自分の都合でつきあい相手をコロッと変える移り気は,大きなしっぺ返しを招く場合があります。誰とつきあおうと勝手であり,それなら誰と別れようと勝手という開き直りは,その無神経さが要注意です。若者たちの姿に見える危うい人づきあいのパターンを心配するからです。

 小学一年生の息子さんが勉強をしています。「3+2」を使って問題を作りましょう,という宿題が出ていました。息子さんが「こんなの,ありかな?」と聞いてきたのでノートを見ると,「おんどりが3羽いました。めんどりが2羽いました。おんどりはなんと鳴くでしょう? (答え)おんどりゃー」。このまま本当に提出する勇気があるのか,ママは聞いてみたくなりました。

 子どもは冗談や悪ふざけが好きです。勉強をしていても,ついいたずらをしたくなります。宿題という大まじめな舞台でギャグを言うのは,大きな冒険でしょう。それを知った以上,ママは封じるはずです。そのときに,「何をバカなことを考えているの!」と咎めるのは止めて下さい。たとえ悪ふざけであっても,子どもはノートに書きました。書きながら,ワクワクしていたはずです。外れていることは十分承知しています。それを否定するのではなく,もう一つ考えてみよう,と先に進ませてやればいいのです。

 3歳の嬢ちゃんがママの実家に電話をしました。電話に出た祖母に向かって「おばあちゃん?」と聞いたところ,祖母が気取って「左様でございます」と応えたようでした。嬢ちゃんは思いがけない応対に「?」となり,隣にいたママに「おばあちゃんの名前って"さよ"だった?」と尋ねました。「"さよ"じゃない」と言われた嬢ちゃんは慌てて電話を切ってしまいました。

 見えない相手とのやりとりは,嬢ちゃんには大きな冒険だったでしょう。おばあちゃんと呼びかけた時,おばあちゃんですよという返事を期待していたはずです。見えない世界に踏み込む心細さは,言葉が予想通りにつながるという一点に支えられています。大人でも間違い電話をかけた時,とんでも無い世界に踏み込んでしまったという思いにとらわれ,大人げなくガチャッと切ってしまいます。嬢ちゃんにはちょっとハイレベルの冒険だったようです。

 パパと3歳の息子さんが一緒にデパートに行きました。子どものフロアに行ってみると,時節柄,雛人形がたくさん並べてありました。数が数えられるようになった息子さんは,自慢げに人形の数を数えだし,女性の人形がお雛様と三人官女で4人いるのを確認して,「この人,4人かのじょっていうんだよ」と教えてくれました。パパは,ちょっぴりお内裏様がうらやましくなりました。嘘ですよ!

 最近の幼児はテレビや大人社会の開けっぴろげな性モラルの中で,男女関係への早熟さが見られます。もちろん本物ではありませんが,バーチャル体験として器用にこなしています。会話だけ聞いていると,大人の軽口さながらです。時代に生きている子どもですから,その是非をとやかく言うことではありません。とはいえ,あまりに早い疑似体験は,お年頃になった時に妙に白けてしまうことはないのかと心配されます。前にも書きましたが,若い方の男女関係がギクシャクしています。

 悪さをして叱られたことで泣き叫んだ女児が,「おとなしくなるまでそこにいなさい!」とトイレに閉じ込められました。しばらくギャーギャーと泣き叫んでいましたが,そのうちおとなしくなり,そろそろ反省したのかと思われた頃,トイレから悲鳴が聞こえてきたのです。トイレットペーパーを大量に流してトイレが詰まり,洪水が起きていました。ママはそれに懲りて,次からは風呂場に閉じ込めることにしました。おとなしくなってからママがドアを開けたとき,湯船からはもうもうと泡がたっていました。ありったけのシャンプーとコンディショナーを湯船に張ってあった水に入れたのです。懲りない子はどうしましょう?

 子どもは目を離すと,とんでも無い悪さをしでかしてくれます。でもそれは大人の目です。子どもの目では,未知への冒険です。こんなことをしたらどうなるか,という結果までは考えません。因果関係はたくさんの経験の後で手に入るものだからです。先のことなど考えずに,その場にあるものを使って遊んでいるだけなのですが,それが繰り返し続けられるから,やりすぎてしまうのです。閉じこめられたことさえ忘れて,遊びという冒険をする子ども,その一つ一つが育ちの歩みです。

 小学校1年生の娘さんには,ママが働いているので,「出かけるときはちゃんと,どこに行くか書いていきなさい」と言ってあります。いつもは「○○ちゃんの家に行って来ます」などとメモをしていくのですが,ある日ママが帰ってみると「秘密基地に行ってきます」と書いてありました。ちゃんとメモをしてあるから言いつけは守っています。それにしても,秘密基地ってどこにあるんでしょう? 分からないようにしているから,秘密基地なんですが!

 子どもはまだメモが相手に伝わるかどうかまでは斟酌できません。ママには知らせてないから秘密なのですが,秘密だからママは知らないという,ママの立場からの考えに至ることができません。大人にすれば逆も真だと思えるのですが,自己中心的な考え方しかできないと立場の逆転は思いもよりません。ママに内緒の秘密を持つことは,自己確立への必須科目です。心配ですから秘密基地を探しますが,見つけても知らんぷりをしておいてください。親離れという冒険をしているのですから。




 子どもは親の目の届かないところで,いろんな形で冒険をしています。子どもは格別冒険とは感じているわけではなく,ただしたいからしているのです。親の目から見れば,危なっかしい冒険をしているように見えてしまうので,つい止めるように働きかけます。安全圏に閉じ込めてしまうので,育ちが封じ込められるようになります。見ない振りも必要です。また,親の目の外で冒険の道が逸れないように,地域の方の見守りの目を借りることも必要です。

 子どもは今の時代心情を取り入れて生きています。親世代が育った時代とは大きく様変わりしています。自分の子ども時代の感覚は,目の前の我が子のものとはかなりずれがあります。考え方や価値観に彩られた心情も,すれ違いが感じられるはずです。子どもを取り巻く環境の有り様によって、子どもの心は色合いを変えていきます。親として戸惑うこともあるでしょうが,子どもの心をそっと温かい手のひらの上で慈しんで下さい。(以下次号)。

 子どものことを,むすこ,むすめと言います。「むす」とは,繁殖するという意味があり,産むことを表していました。苔むすと言ったりします。息子,娘という字は後に当てられたものです。子息,令息,息女などの言葉は,中国で使われていたそうです。息の字は息をすることが生命,子孫繁栄に結びついたことから,子どもの意味を持つようになったようです。日本語を漢字で表記すると,本来の意味合いが見えにくくなります。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第32-11章に戻ります
「子育ち12章」:第32-13章に進みます