*** 子育ち12章 ***
 

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「第 33-06 章」


『子育ちは 言葉使って 知恵を知る』


【心象33-06:言葉を理解して知恵に創り上げていく子ども】

 ■子育ち12心象■
『子育ち第6心象』
〜言葉は知恵の目次〜

※長女が2歳の時,散歩中に仔犬と遭遇しました。「ほら、わんわん!」という私を冷めた目で見返し,「…いぬ…」と答えた娘にかる〜く殺意を覚えました。(めめ)

 幼児語の「ワンワン」から「いぬ」に,バージョンアップしました。わたしは赤ちゃんではないよ,大人の間で通用する言葉をちゃんと知っているよ,そんな得意げな自負心がお澄ましした態度に現れたのでしょう。一人前に扱ってほしいという願いです。ママは幼児語を使うのを早く卒業してほしいですね。ちゃんとした言葉を教えることが,言葉の先生であるママの役割です。

※日に日に口ばかり達者になる4歳の娘。ある日,出したものを片付けない娘に「だらしない!」と叱ったら,「だらしある!!」と反論された。どんなものか見てみたいものだ…。(りゅうせれ)

 だらしないという言葉を,「だらし+ない」と分解することができました。一つに見える言葉を二つの言葉と理解する力をちゃんと身につけています。その上で,ある・ない,という反対語を知っているので,自分の意見として「だらし+ある」という言葉にすることができました。言葉を組み合わせることができるようになると,使える言葉の数はどんどん増えていきます。その先には,言葉をつないで文章化するという力が待っています。

※久しぶりにビビッドなカラーの服で出かけたくなって,緑のブラウス,緑のイヤリング,緑のバレッタで,さあ出かけようとしたら3歳の娘が,「お母さん全部みどりだね。あおむし君みたいだねぇ〜」だって。せめて葉っぱにして欲しかった。(あおむし)

 緑にまとめたお母さんの姿と,全身緑色のアオムシ君。もう一人の子どもが,〜みたいだねという類推をしています。アオムシとお母さんは違うのは分かっていて,それでも緑の外見という共通点によって,〜みたいという発見をしています。おしゃれに関する言葉が少ないために,とりあえず今自分が持っている物にたとえた表現をしています。子どもは言葉の不足をたとえによって補いながら,物事を理解しようとします。たとえ話が好きなのです。

※息子が3歳の頃,夕飯にグラタンを作りました。焼きあがったグラタンを見て子どもが「こげてる!」というので,私は「これはわざとつけた焼き色で,こういうのを"きつね色"っていうんだよ」と教えると,皿のふち近くにある濃い焼き色を指差して,「じゃあ,この辺はおおかみいろ?」「・・・」。遠まわしにやはり焦げてると言いたかったのだろうか…。(ホントにこげてないのよ)

 こげている,つまり,焼きすぎたという調理についての感想でした。ところが,お母さんは,きつね色という色の話に方向転換しました。チョー焼き過ぎの部分の色は何というのだろうと関心が向いていき,きつねの上をいくのはおおかみかな?と推論しています。子どもは嫌みを言うつもりはありません。素直に色の呼び方を考えただけです。色の呼び方にきつねが出てくるのを面白いと感じたのでしょう。「オオカミがどんな色をしているか,今度見に行きましょうか?」。

※6歳と4歳の娘が,夕食のニンジンを食べながら話していました。「このニンジン,おいしいね」「お日さまの光を吸収してるからね」「きゅうしゅう,ってなあに?」「吸い込む,ってことだよ」。…すると,上の娘がポツリと「そっか,九州地方って,吸い込む地方ってことなのか…」。ブラックホール!?(変換間違え)

 吸い込む? 子どもの頭の中では,布が水を吸い込む,流しの口に水が吸い込まれる,ジュースを口から吸い込む,そんなイメージがあるでしょう。ニンジンが光を吸い込むということがどの程度理解されたか,そんな難しいことはまだ問わなくていいでしょう。きゅうしゅう=すいこむ,という言い換えの言葉があることを知ればいいのです。でも,吸収地方?はちょっとまずいですね。きゅうしゅう=九州というのもあると教えなければなりません。




 頭も身体も使わなければ退化します。育ちのためには,活動することが必要です。頭で考える空想の通りには,現実は運びません。知る能力とできる能力を結びつけておくことが大事です。子どもは練習を通して育ちます。歩く能力も練習から始まりました。学校や家庭でさんざん練習するから,育ちが進みます。子どもの間は練習期間ですから,やってみるというプロセスを大切にして下さい。できる能力という結果は後からついてきます。

 「いただきます」。だれに向かって言っているのでしょうか? 昔のことです。家の台所には,荒神様という火の神様がまつられていました。この神様のお陰で火を使い,煮炊きができると信じられていたのです。食事の作法も,荒神様を敬うことからでした。このような台所で作られた食事ですから,荒神様への感謝の意味で「いただきます」というようになったそうです。食後の「ごちそうさま」も,神様に向かって言う言葉だったのです。


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