*** 子育ち12章 ***
 

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「第 33-07 章」


『子育ちは 今できること ひたすらに』


【心象33-07:行動を通して自己能力を伸ばしていく子ども】

 ■子育ち12心象■
『子育ち第7心象』
〜幼い子どもにもそれなりの理〜

※"黒ヤギさんからお手紙ついた,白ヤギさんたら読まずに食べた〜♪" 歌を歌ってから,息子が「なんで?」と聞く。「ヤギさんは紙を食べるんだよ」と答えると,「ヤギさんはお手紙書くの?」だって。疑問はそっちでしたか。(kyoko)

 手紙を読まずに食べてしまった。大人にはそのミステイクが印象に残ります。どうしてそんな馬鹿なことをしたのだろうか? でもよく考えると,ヤギにとって手紙というものは意味がなく,ただの紙であると見ることが自然です。食べて当たり前なのです。ヤギが手紙を書くということこそが不思議なことです。子どもの素直な直感が現実的です。大人の方がメルヘンチックになって,手紙を書くヤギを受け入れています。どちらがよいということは言えません。

※最近2歳2ヶ月の娘が,「ママの××おいしい!」と時々ほめてくれるようになりました。味がわかってるかどうかは別にして,そう言われるとやっぱり嬉しい。でも今日ほめてくれたのは,牛乳とコーンフレークと梨だけでした。(スープもほめて!)

 ママのスープをつくるお手並みは大したものでしょう。自信作を認めてもらいたいのは,誰でもそうです。自分の手で作り出すということを認識できるのは創作の経験をした後です。何もかもお任せ状態の2歳の子どもには創造という概念はまだありません。ママが用意してくれたものはたとえ右から左に移しただけのものでも,すべてママのものと思い込んでいます。美味しいものを選んでくれているというママへの感謝は,素直に受け取ってやりましょう。

※小学2年生のうちの息子は,先日動物園へ遠足にいった時の感想文で,サル山のサルについて一言。「たくさんのおさるさんが,ひなたぼっこをしていました。僕はこう思いました。ちゃんとはたらけ」。(ぶるーえ)

 大人の目線では,それはボクのことでしょ!と言いたくなります。子どもは他者のことはよく分かります。それを自分に向けることができるようになれば育ちはワンランクアップします。人のふり見て我がふり直すという知恵は,そう簡単には身につきません。まずは,他者をよく見て,何が大事なことかを分かるということから始まるので,準備が進んでいると考えて見守ってやりましょう。

※3歳の娘は,疲れて帰ってきたパパに「背中に乗って」とお願いされると,腰にまたがり,激しい動きでお尻フリフリマッサージをしてあげる。疲れるらしく何度も止めようとするので,「パパ,腰が痛くて死んじゃうって! もう少し頑張って♪」と応援したら,「わたしが死んじゃう…」と睨まれた。(ごめん、限界だったのね)

 カワイイ娘さんにマッサージをしてもらっているパパは,今だけの幸せ者です。子どもは同じ行動をし続けることが苦手です。力の加減をせずに何でも懸命に全身で運動するので疲れます。時間を見計らって力をセーブするという方法はまだ無理です。でも,マッサージを何度か経験することで,なんとなく見計らい方を覚えていくでしょう。「ありがとう,とっても楽になったよ」という感謝をしましょう。何よりの応援です。

※上の子(女の子)の幼稚園の面接で。果物の名前が分かるかどうかの質問で,りんごとみかん,バナナ全部を答えられたところで,先生:「××ちゃん,りんご,いい匂いするよねぇ」,うちの子:「バナナもにおいするー」,先生:「えっ? バナナはしないでしょ?」(バナナは傷むので食品サンプルだった),うちの子:「えー,(鼻にあてて)するする。ほら,ニセモンの匂い!!」。次年度の面接では,バナナは本物を使うようになりました。(まっちゃん)

 子どもの目は正直すぎて,怖いことがあります。バナナが偽物であるというのは暗黙の了解であって,触れてはならないことです。リンゴは確かに香りがあります。それなら,バナナにも香りがあるのでは? そう考えてくると,ニセモノの匂いと言わざるを得なくなります。子どもなりに理屈を通そうとしています。なぜバナナはニセモノなのか? その直感的な疑問を問いかけようとしているようです。コピーはまがい物ということを,子どもから教えられます。




 子どもの育ちを認めるときに,「お兄ちゃんになったね,お姉ちゃんになったね」と言うことがあります。甘えん坊の状態から,自分のことを自分で処するように育っていき,さらに思いやりや我慢といった気持ちを他者との関係の中に持ち込むことができるようになったときです。兄姉になるとは,弟妹に対するいたわりの振る舞いができることです。仲良くしようとする思いを持ち,自分と同じに他者を尊重できることです。

 お赤飯のことを「おこわ」といいます。こわいというのは,かたく,つっぱっているという意味だったそうです。人が恐ろしいと感じるとき,身体の筋肉がかたくつっぱってきます。そこで,室町時代頃から,恐ろしいことをこわいと言うようになりました。子どもが怖がるときには,身体をかたくします。緊張して顔がこわばるというのも,関連が伺えます。何かの節目におこわを作ってみてはいかがでしょう。


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