*** 子育ち12章 ***
 

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「第 33-13 章」


『子育ちは 日々を喜ぶ 積み重ね』


【心象33-13:日々の暮らしの中に生きる喜びを見る子ども】

 ■子育ち12心象■
『子育ち第0心象』
〜急がば回れ〜

※お風呂に入るとき,私が先に脱ぎ,3歳の息子を脱がしていると,私のお腹に手を走らせ,「きしゃぽっぽ〜♪」と言っている。ふと見ると,ズボンの幅3センチのゴムの跡が線路のように走っていた。(丘を走る線路)

 子どもは動くものが好きです。汽車は今では目にすることはありませんが,電車をイメージしているのかもしれません。平行な線を見ると,線路を連想するのは自然です。お腹に線路があるという不自然さは飛び越えて,ただ線路という見立てが楽しくなります。具体的なオモチャがなくても,見立てて遊ぶことを喜ぶのが,子どもの豊かな想像力です。想像の世界に入ることができるのは,もう一人の子どもが育っているからです。

※3歳の息子は,昼間に私と遊ぶときは,「ねえねえ,お母さん,カルタしようよ」や「ねえねえ,本読んで」と気軽に声をかけてくるが,早く寝かせなければと,バタバタしている時間帯になると,「あの…お母さん,本,読んで欲しいんですけど」と遠慮がちに声をかけてくる。(処世術)

 お母さんとの距離が,昼間は親しみを感じられる近さですが,夜になると自分とは関係のない遠くにいるように感じます。ママと自分の距離感を見ることができるようになります。ママの気持ちが自分に向かって開かれているかどうかということに敏感になります。こっちを向いてほしいという気持ちを一所懸命に訴えています。この後の受け答えが大事です。「後でね」と言うのではなく,「読んでほしいのね」と心を開いてやれば,子どもは喜びます。

※息子が幼稚園で数字や英語を習い始めた頃のことです。電車に「1A,2B…」と書かれているのを見て,数字を自慢げに読んでいたので。"A"を指差し「これは?」と聞くと「洗濯ばさみ!」と。逃げ場の無い車内でとても恥ずかしかった。(もも)

 子どもの目は形を見ています。「○○みたい」と形の類似を探すのが得意です。1,2,3・・・という数字は,具体的なものと連想が重なりにくい形をしています。そこで,記号として認識するようになります。ところが,Aの形は似たものがあって,洗濯ばさみと認識できます。記号とは知らないのですから,連想が働くことになります。このことは逆に,文字を覚える際に使うことができます。人は支えあう形,川は流れの形など喜んで覚えます。

※「思いやりがなくなったら人はおしまいだよねー」と,もうじき4歳になる娘が突然言った。「うわっ,すごいね。誰にそんなこと教えてもらったの!?」とたずねると,「カツオくんのおとうさん!!」と答えた。波平さん,うちの子のしつけまでしてくれてありがとうございます。(サザエさん一家に入れるかな)

 たくさんの言葉が耳を通り抜けていくとき,ふっと心に残るものがあります。言葉を聞き取るのは,聞く用意ができているときです。何かもやもやとしたものを持って待っているとき,それに響く言葉が聞こえてきたら,喜んで反応します。大人が話す言葉だから,信頼できるという受け入れのサインも働きます。信頼しない人の言葉は,聞き取る気が伴わないので聞き流されます。言葉を身につけるためには,聞く側のタイミングと話す側の信頼性が必要なのです。

※パズル好きの2歳の娘。順調だとゴキゲンだが,できないと,「できんー!」と叫んでキレる。そんなときは,お人形にピースを持たせ,「デキナイヨー」と言う。すると娘は得意気に「これは,ここね」と,お姉さん気取りでパズルを再開する。(赤)

 喜ばせ上手に育てていますね。お姉さん気取りは,もう一人の子どもが自分を離れる方便になります。デキナイと言えない立場に立つことで,甘えという逃げ場を封じることになります。できると信じなければならなくなります。このことが能力を引き出すスイッチになります。異年齢の中で育つと,お兄ちゃんやお姉ちゃんという立場になる子どもは,ぐんと育ちます。弟や妹の立場では,教わるという学びがあり,兄や姉を尊敬するようになります。

※散歩から帰り,そのまま庭で遊びだした2歳10ヵ月の息子。1人で黙々と砂遊びをしていたので,ほっといて夕食を作るために家に入りました。しばらくして,あまりに静かなので外を見てみると,水遊びを…。「あ〜!!(怒)」と言うと,すかさず「違うよ!!おもちゃを洗ってたんだよ!」と言い訳。怒られることをこっそりとしている時が,いちばん静かです…。(みつるん)

 子どもの遊びは天真爛漫です。管理された空間から逸脱するのは十分にあり得ます。遊びを一心不乱になって喜んでいるので,周りの状況には全く無頓着です。もう少し育つまで気配りは諦めた方がいいでしょう。子どもにとっては言い訳を言う必要はなくて,オモチャを洗うということだけを考えていたはずです。ママが思ったように汚そうとしているのではない,そう言おうとしています。結果として汚れる,そんな先のことは考えられない,それが幼児です。




 子どものみならず大人にとっても,最も大事なことは,自分のことは自分で決めるということです。人の指図や命令に従うのは,特別な場合に限られます。ところで,自分のことは自分でと言うとき,二人の自分がいることになります。自分を叱ったり褒めたりする自分がいます。子どもを育てるときにも,そのことを弁えておくことが必要です。

 子育ち12心象は,本号で完結します。次号からは,第34版「子育ち12設問」をお届けします。子育ちについて考えあぐねていることがありましたら,下記連絡先にメールをください(HPのメール便も使えます)。12章の中で取り上げて,ご一緒に考えてみたいと思っています。
 子の年も終わり,丑の年に代わります。御購読いただいている皆様がよき年をお迎えになりますよう,お祈りしております。
 行く年は,ありがとうございました。来る年も,よろしくお願い致します。


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