*** 子育ち12章 ***
 

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「第 34-01 章」


『子育ちは 自分を生かす もう一人』


【設問34-01:自分のことを決めているのは誰でしょう?】

 ■子育ち12設問■
あけましておめでとうございます。
今年も子育て羅針盤をよろしくお願いいたします。

『子育ち第1設問』
〜私はこうすると考えるもう一人の私〜

 素直で明るい子ども。そんな子どもに育ってほしいですね。育成の場では,健全な子どもに育つことが願いになります。ところで,健全な子どもとはどういう子どもだと思われていますか? よい子に向かって真っ直ぐに育っている子どもでしょうか? 説明としてはそれでいいのですが,「真っ直ぐに」という言葉が子育ちの邪魔をすることがあります。子育ちは真っ直ぐには進めないからです。

 例えになるかどうか分かりませんが,自転車のコントロールを考えてみます。ハンドルを真っ直ぐに固定していると,倒れてしまいます。安定して乗るためには,傾きを検知して,ハンドルを動かさなければなりません。簡単に言えば,自転車は右に左にフラフラすることで,安定しているのです。試しに路上の白線の上を走ってみると,難しいことが分かるでしょう。子どもが育ちに向かうときも,同じと考えることができます。

 子どもが言ったりしたりしたことには,いいことといけないことがあります。いいことは褒められ,いけないことは叱られて,ふらついていることが分かります。してもいいことには許された範囲があり,それを越えると修正しなければなりません。ちょっといたずらが過ぎると,これ以上はしてはいけないと戻ることができる,その復元力を身につけることが健全な子どもの姿です。風邪を引きかけたときにすぐに養生できることが健康なのです。

 自分の思いのままに行動すれば,枠を踏み出します。ここまでは大丈夫と判断して自分をコントロールしているのは,もう一人の子どもです。今は大人しくしているときだから黙って座っていようと我慢しているのがもう一人の子どもです。幼いときは,ママがいけないと言うからと,ママのせいにしていますが,もう一人の子どもが育ってくると,自分が決めるという形に変わっていきます。

 皆がしているからと,いけないことをすることがあります。止めてはいけないところに駐輪するといったことが起こります。人を皆でからかったりすることも起こります。もう一人の子どもが判断し決断する力がないと,付和雷同して道を踏み外すことになります。欲しいものをおねだりするとき,皆が持っているという他人の理由を持ち出すことがありますが,自分の理由を考えさせるようにしましょう。

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※もう一人の自分という言い方は,耳慣れないと思います。自我と言ってもいいのですが,特に意識していただきたくて,使っています。自分が見られていると思う自分,それがもう一人の自分です。そう考えると,自分に自信を持つのは,もう一人の自分ということになります。くじけそうなときに,もう少し頑張ろうと励ますのも,もう一人の自分がいるからです。

※他人にあれこれ言われると腹が立ちます。自分のことはもう一人の自分がよく分かっているからです。自尊心,それはもう一人の自分の立場を守るということになります。反抗期も,もう一人の自分がママから支配権を取り戻そうとする育ちの一こまです。指示待ちになるのは,もう一人の自分が育っていないことだと考えることができます。育てなければならないのはもう一人の子どもであると考えて,もう一人の子どもに任せる子育てを徐々に進めてください。




 人は社会の中で生きています。自分を押し通そうとすると,いろいろと不都合なことが起こり,生きづらくなります。社会は皆のためにという共通理解によって営まれているからです。自分の思い通りにならないときに,自分を抑制する必要があります。その役割を果たすのが,もう一人の自分です。人間関係をうまく処していくためには,もう一人の自分が社会性を身につけなければなりません。人付き合いが苦手,それはもう一人の自分が未熟ということです。

 あかの他人。あかとはどういう意味なのでしょうか? ことばの豆辞典(さくら銀行編:三笠書房)によると,「あか」とは,仏典から出た言葉で,「阿伽」または「閼伽」(あか)と書き,仏へ供える浄水,あるいは香花を入れた水の意味ということです。あかの他人とは,水のように冷たく,縁もゆかりもない他人ということになったそうです。確かに水は何もかもをきれいに洗い流してしまいます。温もりも・・・。


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