*** 子育ち12章 ***
 

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「第 35-01 章」


『子育ちは 自分が決める その覚悟』


【基礎力35-01:物事に自ら進んで取り組む力(主体性)?】

 ■子育ち12基礎力■
『子育ち第1基礎力』
〜もう一人の自分の覚悟〜

 したことがないことは,どうしても尻込みしたくなります。例えば,初対面の人とは話すのにためらわれます。入園や入学,進級の場合,新しい環境に馴染むまでは控えめになるのが普通です。しばらくは様子を見るという期間が必要になります。今までしてきたことをそのまま継続しても大丈夫かという状況判断をするために,その場に関する情報を集めるための時間です。そこに,自分と周りの関わりを,シミュレーションしているもう一人の自分がいます。

 したくないことは,逃れたくなります。例えば,お手伝いも面倒ですから,怠ける口実を探そうとします。自分は今楽しく遊んでいる。このまま続けたいが,お手伝いをしなければならない。もう一人の自分が,どちらを選択するかという局面に立たされます。遊びたいけど,お手伝いをしないとお母さんに叱られるからと考えたり,忘れていたことにして知らんぷりをしていようと決めたりします。理由はどうであれ,約束を守ろうともう一人の自分が決めるべきです。

 目立つことは,恥ずかしくて避けます。例えば,バスの中で席を譲るか譲らないか迷います。自分は疲れているからとか,自分が席を譲らなくてもいいのではとか,自分を当事者から除外しようとします。真面目な行動をする自分が他者からどう思われるか,いい子ぶっていると思われないか,そんな余計な思い過ごしにはまり込むこともあるでしょう。いいことは堂々としよう,そう思いきることのできる自分であろうと努力することです。

 関心や興味のあることは進んで取り組みますが,無関心なことには振り向きもしません。無関心はおおむね未知のことに対して現れます。その壁を乗り越えるには,誰かが背中を押してやる必要があります。友達がしているといった引きずりもあるでしょうが,それはおおむね親が心配する方面でしょう。いい友達を持つことが望まれますが,子どもにとっては必ずしも面白い友達ではないことがつらいところです。

 好奇心があると,手を出してみようとします。例えば,赤ん坊は周りのものすべてに触ろうとし口に入れることもします。試しています。子どもは動くものに反応します。動物としての本能でしょう。本能を人としての能力に完成させなければなりません。木の枝が揺れています。何だろう? どうして動くのだろう? なぜ動くのだろう? この疑問符を身につけることが,知恵の出発点です。それは自分のことではなく木の枝を考えるもう一人の自分の登場になります。

 子どもにも社会生活があり,しなければならないことが降りかかります。嫌々であったり渋々であったり,すればいいといったいい加減な仕方をすることがあります。させられることは,主体的ではないので面白くありません。それなら,自分からしようと思えばいいのです。受け止めるのは自分ですから,もうひとりの自分は受け止め方を変えることができます。気に入らない仕事でも,いい仕事をしたいと思えば,主体的に取り組むことに転換することができます。

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※言われなければしないという指示待ちの状態があります。完全を求める現在の管理型社会では,しなければならないことばかりです。家庭や学校もそれなりの管理が必要です。親や大人は管理責任者として,あれこれ支持をすることが多くなります。結果として,子どもはいつもあれこれ言われていることになります。子どもの裁量に任せられる部分がないと,主体性は育ちようがありません。主体性とは,もう一人の自分が考えて決めることなのです。

※子ども会育成会という組織があります。親や地域の大人が様々な子ども向けの行事を行っていることでしょう。子どもはお客様になっています。育成会とは,子どもによる,子どものための,子どもの会を支援する組織です。子どもが考えて決めて活動ができる,そんな子どもの組織を育てるという原点を外さないようにしないと,子どもたちの主体性は育ちません。忙しいからバタバタと行事を済ませたい,そんなやっつけ仕事は待ちが不可欠な育成にはなりません。




 個人主義という肥大化した主体性が,社会を成り立たせている協働意識を駆逐しています。自分さえ良ければという欲望は,個の保存本能として誰にでもあります。その気持ちを生のまま表に放り出すのは,浅ましいのです。抑制の効かない欲望は,種の保存という本能に亀裂を生じさせます。社会のがん細胞となります。生きているという主体性が必要条件なら,生かされているという協働性が十分条件となります。

 ニュートンはリンゴが落ちるのを見て引力を発見したと言われています。リンゴが落ちるのは当たり前です。そこから見えない力に気付くのはほとんど不可能です。普通には,力は紐や棒で伝えられるはずです。リンゴと地面の間には何もありません。ニュートンが辿った道は,疑問を持ったことです。リンゴは落ちるのに,月はなぜ落ちてこないのか? そこからさらに,月はなぜ離れていかないのか? 一連の疑問の先に引力が見えてきました。


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