『子育ちは 熱意を示し 人誘う』
【基礎力35-02:他人に働きかけて巻き込む力(協働性)?】
■子育ち12基礎力■
『子育ち第2基礎力』
〜先ず自らの行動から〜
環境の変化に慣れるには時間が掛かります。例えば,仲間から外れて佇んでいる子どもがいます。周りの大人は仲間入りしようとしない子どもの背中を押そうとします。押される子どもにとっては,壁をこじ開ける勇気が求められます。子ども社会に失われていることがあります。それは,誘い入れるという発想です。そばにいて入ってこない子どもに、「遊ぼう」と声をかける気軽さです。声をかける方には勇気はいりません。仲間を作る基本です。
人はグループの一員として暮らしています。例えば,家族は子どもといえども共に暮らす一員です。それぞれが支え合うことで一つの家族が結ばれます。配膳のお手伝いは,自分の分だけではなく家族全員の配膳をすることです。そうすることで,ご飯をついでもらうという協働関係が成り立ちます。他人に働きかけるというのは,口でしようと誘うのではなく,行動によって働きかけることです。巻き込むとは自分の行動があるからできることです。
社会は皆の力を集めることによって維持されています。例えば,学校では当番という役割が与えられます。メンバーの中には,力を出し切っている子どももいれば,そうではない子どももいます。いい加減な仕事をしている子どもは,自分の存在価値を割引していることに気付いていません。楽をして得したと思い違いをしています。責任を果たすという他のメンバーに対する働きかけを怠っている分,メンバーとしてのつながりを失っていきます。
人は至る所でチームプレーをしています。一人は皆のために,皆は一人のためにといわれます。例えば,劇を演じるとき,主役ばかりでは意味がありません。多くの脇役やスタッフという役割が一体になることで,作品が出来上がります。目立つかどうかという個人的な見栄えではなく,劇全体の素晴らしさを目指す一体感が成功の鍵です。一人ひとりが役を通して他の役に働きかける,お互いの思いを絡ませて巻き込んでいく,そういった経験が大切です。
暇な時間のあるとき,何をしようかと考えあぐねることがあります。思いつかないと,ゲームでもしようかと流されていきます。もう一人の自分が眠りこんでいます。そんなとき,真剣に打ち込んでいる人がいれば,気になります。することを見つけている人は,周りの人を引き込んでいきます。子どもの遊びでも,大人が他愛もないと思うようなことに一心不乱に取り組んでいます。もう一人の自分が自分を生かすやりがいを見つけると,必ず仲間が寄ってきます。
他人に働きかけるとき,もう一人の自分は他人を信頼できると思っているはずです。一緒に行動することがお互いによいと思うから,巻き込もうとします。確かに,一人ではないとそれぞれの思惑が微妙に違って軋轢もあります。それをどうすれば前向きに変えていくか,経験していく中で人間関係の間の取り方を覚えていくことができます。もう一人の子どもが,自分と他人の間にある異質性と同一性を見極める力を育めば,人と仲良くなる資質になります。
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※学校で子どもたちは班やチームで活動することがあります。それぞれが参加しますが,貢献度に差が現れます。その際に,貢献が少ない子どもはお荷物扱いを受けやすくなります。度が進むと,無視することも起こり,いじめにつながっていきます。協働するとは,貢献度の多寡にこだわらず,班全体の活動にそれぞれの資質に応じて関わることです。別の活動では,立場の交代もあるはずです。おおらかな関係であることが,協働の条件です。
※PTAの企画で,父親を巻き込もうと意図する行事が行われます。父親が参加する気になるためには,自分の場が用意されていると思うことが必要です。参加しても何をするか分からないという状態では気持ちは動きません。もちろん何もしない行事はありませんが,自分がすることを自覚できなければならないのです。自分が行かなくても誰かがするだろう,そう思わせたら参加はしてもらえません。あなたでなければできないことがある,そのメッセージが大切です。
世情を散見すると,自己主張が強くなりすぎて孤立を招いているように思われます。自分を分かってくれないという孤立感が募っていくと,分かろうとしない世間の至らなさを責める方に曲がっていきます。自分が正しい,相手が間違っているという思考ではなく,単なる違いでしかないと考えるゆとりを失っています。自分は人とは違います。同時に,人は自分とは違います。相対的な関係を受け入れなければ,孤立から抜け出すことはできません。
数学の記号で,足すのは+,引くのは−です。昔,船乗りが水をためていた樽に,水の残りを示すために横線−を引いていました。引き算です。逆に水を補給すると,横棒を縦線で消して+の印になりました。足し算です。暮らしの中で直感的に意味のあった記号なのです。ただし,別の由来説もあります。長い間にいろいろな変遷があり得るので,実のところは確定できないのでしょう。適当に読んでおいて下さい。