*** 子育ち12章 ***
 

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「第 35-05 章」


『子育ちは 言葉の力 磨き上げ』


【基礎力35-05:意見を分かりやすく伝える力(表現性)?】

 ■子育ち12基礎力■
『子育ち第5基礎力』
〜伝わる喜びを知る〜

 子どもが最初に口にする言葉,それは泣き声です。同じ泣き声でもよくよく聞いていると,伝える内容によって違っています。母親はさすがに言葉の天分が豊かで,きちんと聞き分けています。その初期の母親との拙いコミュニケーションによって,声に出すことが自分にはよい結果をもたらすことになるという経験知になります。表現することの意味を体感できるから,声に出そうという意欲が引き出されてきます。

 人は環境に適合しなければ生きてはいけません。そこで,身の回りのことを知る必要が出てきます。例えば,そばにあるティッシュが何であるのかを知ろうとして,引っ張り出してみます。小さなものを口に入れてみます。その段階を過ぎると,家族との暮らしの中で響きの違う声が交わされていることに気付きます。同じ行動をする度に同じ音が聞こえてくるので,真似をします。その音に対して周りからの反応があることから,言葉というものを知るようになります。

 子どもは耳にした言葉を何でも覚えて,使ってみようとします。言葉が相手に伝わるかどうかを確かめています。例えば,言ってはならない言葉でも,平気で口に出します。悪い反応が返ってくることで,使わない方がいい言葉もあることを覚えていきます。喜んでもらえる言葉もあります。そのときは自分もうれしくなります。共感するという言葉の力を知っていきます。思っていることが伝わっていく喜びに目覚めます。

 人は思いや意見を持ちます。例えば,私はこう思うと言います。このように言っているのはもう一人の私です。私と相手の間に,もう一人の私がいて通訳をしているという関係を考えることができます。上手く話せなくて通訳不能に陥ると,私が閉じ込められることになります。自分の話に誰も耳を傾けてくれないという状態も,私が封じ込められてつらい状況になります。だから,いじめの手段になります。通訳としての自己表現能力はとても大事です。

 今の子どもたちに求められる言葉の力は,対話をする力です。例えば,テレビと暮らしていると対話ができません。テレビは勝手にしゃべっています。子どもが話しかけても無視されます。言いたいことを言っていればいいということを学びます。自分の言葉が相手にどのように聞き取られるか,そんなことを考えなければならないことに気がつきません。対話をすることで,言い間違えたり言い足りないことをやりとりしながら,お互いの理解がより深まるという経験が大切です。

 言った,聞いていないという食い違いが起こることがあります。例えば,「これ貸して」と持っていきます。返してもらえません。貸してと言った方は「明日まで」と思っていて,そのつもりで借りていきます。貸した方は聞いていません。自分が分かっていても,それは相手には伝わらないことを弁え,必要な情報を揃えなければなりません。聞き手に分かるように話す訓練は,常日頃からきちんとした会話をすることです。聞き役の大人が早わかりをしないようにしましょう。

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※学生の答案を見ていると,分かってもらおうという気配りがほとんど見られません。技術系の試験なので計算問題ですが,数式を書かずに答えだけしか書いてありません。答案って,分かるように書かなければいけないの? 答えが合っていればいいのでは? 答案は自分の力を表現するものです。どのような考えを進めたのかを表明するものです。数式は言葉に変わる説明なのです。分かってもらおうという気持ちが育っていないことを思い知らされています。

※美しい言葉遣いが消えようとしています。テレビでは人を小馬鹿にして笑ってやろうという言葉があふれています。ことさら上品である必要もありませんが,お互いに気持ちよく話そうという雰囲気ではなく,おもしろおかしく話すことがいいというムードが満ちています。家庭の中でもなれ合いの言葉だけが行き交っていると,世間では通用しないという分別のない子どもは,外に出て戸惑います。分かってもらえないと他を責めて,自分の話しぶりの不出来に気がつかなくなります。




 人は自分の身の周りのあらゆることを言葉に結びつけて記憶し思考できるようになります。言葉を知らないと理解できません。さらに自分の理解が他者と共有できなければ社会につながることもできません。独りよがりの言葉は意味不明として,コミュニケーションが成り立ちません。言葉の理解が適正なものかどうか,対話を通じて確かめる必要があります。意見を伝える表現性は必要条件であり,意見を聞き取る傾聴性が十分条件となります。

 車の運転席の隣は助手席です。助手って? 大正時代にタクシーが登場したとき,助手が乗っていました。当時の車はエンジンをかけるとき,前からエンジンを手で回す動作が必要でした。また,乗客が着物姿なので車高が高かった車の乗り降りは手が掛かっていました。もちろん道案内もしていました。その後,助手がいなくなっても,名前だけは残ってしまいました。パパが運転してママはそばで居眠りをしていませんか? 助手席なんですよ!


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