*** 子育ち12章 ***
 

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「第 36-06 章」


『子育ちは 読み書きできる 力つけ』


【基礎力36-06:手を使って文章を書くようにしよう!】

 ■生きる12基礎力■
『生きる第6基礎力』
〜言葉が頭に入ってくるから〜

 漢字の書き取りをしています。「知ってる漢字をなぜ何度も書かなくちゃいけないのかな?」,「漢字と仲良くなるためだよ」。「仲良くなるって?」,「今書いている字は何?」,「犬」。「点を付けなかったら?」,「大の字になって違っちゃうよ」。「漢字は線や点で書くけど,みんながきちんと揃っていないといけないね」,「曲がり方もあるよ」。「手で書くと,漢字のことがよく分かるよね」,「よく知れば仲良くできるということ?」。「その通り」。

 作文の宿題があります。「何を書けばいいのかな?」。頭の中であれこれ考えていると,まとまりがつかなくなります。まとまりがつかないのは,出発点が定まらないからです。とりあえず思いついたことを書き留めます。「セミ取りに行きました」。その文章を起点として,「何時行ったか,誰と行ったか,どこに行ったか,何匹取れたか,どんな木にいたか,何という蝉か,・・・」という質問に答えを書き留めていけば,作文は自然に出来上がっていきます。

 算数の文章問題を解いています。「分からない!」,「もう一度ゆっくり読んでごらん」。子どもたちの読解力が低下しているそうです。読んで理解する力ですからしっかり読みなさいと尻を叩けばいい,という訳にはいきません。言葉をさらっとなぞるだけになっては,理解が進みません。文章を手で書いてみる体験を繰り返します。一字一字書き取っていくことで,言葉がゆっくりと頭に入っていきます。手で読むというステップを辿れば,読解力が育ちます。

 ノートを開いて,何か書いています。「何してるの?」,「復習」。「復習ではなくて,復習をしていますと言おうね」,「どうして?」,「それがきちんとした話し方だからね」,「ふーん」。ノートを見ると,ただ書いているだけのようです。「少し整理して書くようにしようよ」,「整理って?」,「短い文章を,並べるように書けばいいよ」。「そこからは新しい話だから,一行開けると見やすくなるよ」。・・・。ノートを整理すると,頭の中も整理されます。

 普通の生活では,文章を書くという機会はあまりありません。日記を付けたり,趣味で詩や作文をしているなら別ですが,ほとんどの子どもがノートをとるときに手で書く機会を持つだけでしょう。学習は手でするものですから,ノートをとってまとめることを大切にして欲しいものです。「ノートを見せてごらん」,「何の?」。「国語のノートを」,「何するの?」。「ここのところは,今読んで分かるかな?」,「書くときは分かっていたけど・・・」。

 パソコンやケータイで文字情報を打ち出すことが,今のトレンドです。それは,手で書いているとは言えません。直筆をしなくなって,漢字を忘れていくという経験を大人はしているはずです。ディスプレーに現れるのは,文字ではなくてひとかたまりの絵です。文字は線や点の組み合わせです。手でなぞるという確認作業をすることで,文字を覚えることができます。読むことができても,書くことができない,そのギャップを埋めるのが手で書く作業です。

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※文章を書く力は表現力です。本を読まなくなったことで読む力が低下していれば,書く力はほぼ壊滅状態です。大学生の卒論が,他人のサイトからコピペした文章の切り貼りになっている状況があるようです。想定内のこととはいえ,先が思いやられます。文章を書くというのは創造活動です。子どもたちに創造力を身につけさせようと願うなら,先ず自分なりの文章が書ける表現力を育むことから始めることです。

※子どもは環境に応じて育ちます。身近に紙と鉛筆を置いておき,おもしろいと思ったこと,メモしようと思ったこと,素敵な歌詞と感じたこと,上手な言い回しと感心したこと,伝えたいと思ったこと,約束したこと,何でも書き留めるようにしませんか。大人が書く姿を見せると,子どもも習い覚えます。絵本の文章を書き写したりするかもしれません。書くことが普段の暮らしの中に織り込まれていれば,苦にせずに鉛筆を走らせるようになります。




 今の子どもたちは自分の力を知らないところがあります。大人との違いはあまりに大きく,またしていることも別なので,比べるつもりもありません。異世代の子どもたちの中にいれば,自分には今できないことがあり,それはやがてできるようになるという育ちが自然に見えています。一人だと,自分にできることしか見えませんので,自分の力を過信します。さらには,できない自分に気付くのが嫌で,同じ年齢の友達しか作らないという面も出てきます。

★落書き★

 名という字は,夕と口の合体した形をしています。夕方になると薄暗くなり,人と出会っても誰かが見分けられません。「誰そ彼?」と尋ねたくなります。この誰そ彼がたそがれ=黄昏となりました。口を開いて名乗ることになります。つまり,夕方に口を開くのは名乗りということで,夕+口=名となったということです。名という字が名前であるということは知って使っていますが,どうしてなのかまでは知りません。それでも構わないのですが。


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