*** 子育ち12章 ***
 

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「第 37-07 章」


『子育ては 今の力に 足していく』


【支援 37-07:子どもの能力の発揮を促していますか?】

 ■子育て12支援■
『子育て第7支援』
〜経験者が能力を持っている〜

 《WHAT-01》
 この号は,子どもが何(WHAT)を育てているのかという問に対する解答になっています。解答は,生きる力です。要素に分ければ,知力,徳力,体力といわれます。家庭で栄養のある物を摂取すれば体力が培われます。知力を育てるために学校に通っています。では,徳力は? 地域における多様な人間関係の経験から紡ぎ出されるということでしょうか。そう簡単には割り切れません。生きていく能力は,身体に備わっている機能をあらゆる場で開花させることから獲得できるものでしょう。

 《能力の発揮》
 子どもを育てる場合の一つの真実は,経験したことのないことはできないということです。子どもはあらゆることが初体験です。頭で思い浮かべても,実際にできるわけではありません。だからといって,できないままに経験することを見送っていてはできるようにはなりません。何とかできるようになろうと,一歩一歩小さな経験を積み上げることが大事です。日々の生活の中で出会うこと,やらなければならないことに真面目に取り組むこと,それが能力発揮の経験となります。

 《続ける》
 何かをし始めても,できないとすぐに諦めてしまうことがあるかと思えば,逆にちょっとしてできてしまうと,飽きてしまって止めることもあります。簡単に思われても,奥の深いことがあります。例えば,文章を声を出して読むということも,ただ読めればいいという段階から,人に聞かせるという段階まであります。何度も工夫をこらして読み続けるという練習が必要です。上達のためには続けるという修練ができなければなりません。

 《鍛える》
 人に備わっている機能は使わないと退化します。例えば,普段と違った運動をすると,後で辛い目に合うといったことがあります。鍛えていないからです。筋力だけではなく思考力,判断力などの知的能力も同じです。計算の練習をすれば,計算が速くできます。もちろん限られた人生の時間ですから,あらゆることを鍛えることはできませんが,少なくとも何かに耽溺的にのめり込むのではなく,生活行動に関わることについては浅く広くという基本力の鍛錬が大切です。

 《激励と非難》
 子どもが持っている可能性を実現する能力を,開花させようと願うのが親の気持ちです。その思いが目の前の子どもの非力さを認めたくなくて,つい叱咤激励をすることがあります。たまにならそれも効き目があるかも知れませんが,いつもということになると,親の激励の思いは間違って子どもに伝わります。子どもは今の自分を親は認めてくれていないので非難していると感じます。激励とは今の子どもを認めることから始めることです。失敗しても気にしないと言ってやることです。

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※子どもは叱られて伸びるでしょうか,それともほめられて伸びるでしょうか? ところで,ほめるといっても何をほめればいいのでしょう。例えば,100点を取ったときでしょうか? 60点のときもほめることができます。学習したから60点。きちんと60点分の力を獲得したのですから,ほめてやることができます。ほめてやれば,残りの40点に向かっていく気持ちが出てきます。今が終わりではなく,今はまだ途中であり,ここまで来たことを認めてやることがほめることです。




 価値観の多様化という言葉が一人歩きしています。限定付きの多様化であることを見失っています。どういう限定でしょうか? 社会的に許容される範囲でということです。言い換えれば,自分勝手な価値観はあり得ないのです。個性的であるといっても,わがままは社会生活に入り込めません。そこで,社会で生きていくために不可欠な価値基準というものがあります。その価値観を土台として教えておかなければ,子どもといえども仲間社会を作ることはできなくなります。

★落書き★

 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か。「負われて」を「追われて」と勘違いしている人もいるとか。ところで,アカトンボというトンボの種類はいないようです。赤くなるトンボを総称して呼んでいるそうです。ナツアカネ,アキアカネ,ノシメトンボなど,秋になると赤くなるトンボを一括しています。都会では,アキアカネが多いようです。季節に応じて色を変えるとは,紅葉のようで風情がありますね。


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