*** 子育ち12章 ***
 

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「第 38-04 章」


『子育ては いつも真ん中 意識して』


【徳目 38-04:子どもが中庸になれるように導きましょう!】

 ■子育ち12徳目■
『子育ち第4徳目』
〜見極める力が中庸へ導く〜

 《コメント》
 フランクリンの13徳目では,「9.中庸:両極端を避けること。激怒に値する屈辱をたとえ受けたにせよ,一歩その手前でこらえて激怒は抑えること」となっています。屈辱云々の部分は,感情的に爆発しないということで,どちらかといえば,前号で触れた平静になるということに対応すると考えられます。この号では,物事の受け止め方,考え方,判断などについて,極端に走らないという意味で中庸を捉えておきます。子育ての場面では,良い子でなければとか,悪い子であってはならないとかではなく,普通の子であればいいという見方です。

 《中庸である》
 中庸という居場所があれば,子どもは落ち着いて育ちに邁進することができます。ところで,中庸という言葉はなじみがないかもしれません。辞書には「どちらにも片寄らず,中正なこと」とあります。良くもなければ悪くもない,普通であるということです。普通とは目立たないということです。良くも悪くも突飛なことはしないことです。当たり前のことをごく自然にやっていれば,育っていることになります。普通の子が時々良いことをして,時々悪いこともしてしまう,でも普段は普通の子,それでいいのです。今,その普通の子になれない子どもが現れています。

 《確かめさせる》
 子どもは子どもたちの中で育ちます。年上の子どもを見習い成長しようとし,年下の子どもをかばい世話しようとします。育ちの階段のどこに自分がいるかを確かめることができます。あるいは,4年生らしくとか,男の子らしく女の子らしくといった,子ども集団の中にある共通イメージと自分を照らし合わせることもあります。同世代の皆と同じであることが,普通であることになります。その上で,かすかな自分らしさが付け加わります。勉強ができる,運動が得意である,いろんな方面の特徴が個性となりますが,全体としては普通の子であると認めてやってください。

 《見極めさせる》
 子どもは友達と仲良くしなければとしつけられます。ちょっと嫌なことがあると,もう仲良しではないと決めてしまうことがあります。好きか嫌いかという両極端に走ります。人は多くの人と好きでもない嫌いでもないという関係を結んでいます。ただの友達,知り合いでいいのです。また,トラブっても,きちんと話せばお互いに分かり合うことができます。あるいは,相手の事情を親や大人が察して説明してやれば,事情を見極めることができて,許し合えるはずです。良いか悪いか,好きか嫌いか,そのような極端なぶれ方では物事を見誤ることを,きちんと教えてやりましょう。

 《主体性が育つ》
 言ったりしたりすることがクルクル変わるのは,思いや判断が極端に振れるからです。約束を破った,絶対許せないと思うことです。どうして約束が果たせなかったのか,その原因を見極めれば,修復が可能です。たとえ不都合な事態に直面しても,現実を見極める力があれば,うろたえることなく,主体的に対処することができます。ミスをした際に,自分じゃないと逃げたり,何かのせいにして言い逃れようとしたりすれば,それは事態を受け止める主体性に背を向けることになります。しっかりした子どもとは,極端な判断を排除している子どもです。

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※時々,パトカーに追われて暴走し,衝突事故を起こして亡くなる若者がいます。違反で捕まることを避けようとして,命を失います。違反を見つかったら素直に捕まり,それなりの罰を受けさえすれば,命の代償を払う必要はなかったのにと,残念に思います。不始末から逃走を図ったり,嘘で誤魔化したりすれば,事態はより重大な方に動いていきます。小さな内にきちんと始末をつけるようにする,それが中庸を保つことです。捕まったら大変,そう極端に考えてしまうから,行動を誤ります。もっと早く処理すれば,後悔しないように教えておきましょう。




 真面目な態度は,子どもたちには敬遠されます。「マジマジ」とはやしたてられます。真面目という言葉を忌避すると,真面目な態度を取れなくなります。大事な言葉を失うと,育ちに支障が出てきます。大人が真面目であることを良しとする修正をしておかなければなりません。勤勉という言葉もしっかりと子どもの心に植え付けておく必要があります。言葉を知らないと,行動の指針がなくなり,なんとなく生きていくようになります。座右の銘というものがありますが,真っ当に生きていく上で覚えておくべき言葉があることを忘れないでください。

★落書き★

 トランプ遊びに「ババ抜き」があります。ババとはおばあさんのことではありません。ババッチイというように,汚いものという意味です。ジョーカーは汚いものとして嫌われるということです。ところで,「ジジ抜き」という遊びがあります。ジョーカーを抜いて,さらに適当に1枚のカードを伏せたまま抜き取って,ババ抜きと同じルールで遊びます。どのカードが抜かれているのか分からないので,ババ抜きより楽しめます。このジジ抜きは,ババ抜きをおばあさん抜きと勘違いして名付けられています。おじいさんおばあさんを抜かないでください。


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