*** 子育ち12章 ***
 

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「第 38-11 章」


『子育ては 継続できる 力つけ』


【徳目 38-11:子どもが清潔でいられるよう導きましょう!】

 ■子育ち12徳目■
『子育ち第11徳目』
〜継続力が清潔へ導く〜

 《コメント》
 フランクリンの13徳目では,「10.清潔:身体,衣服,住居の不潔を黙認しないこと」となっています。少し考えると,不潔になってはいけないということではないようです。生きて暮らしていると,必ず不潔はついて回ります。その不潔な状態を放置してはいけないということです。拡大解釈すれば,やりっ放しをしないということです。その時々できちっと区切りをつけておくことが大事になります。立つ鳥跡を濁さずという心がけを,日頃の生活に生かすようにすればいいでしょう。気持ち的には面倒なことですが,それができないと育ちが滞ります。

 《清潔である》
 子どもはあれやこれや手を出して,先走りしていきます。後にはいろんな意味で乱雑さが残ります。食べたら食べっぱなし,オモチャを出したら出しっぱなし,靴や服を脱いだら脱ぎっぱなし,ドアを開けたら開けっ放し,テレビや照明をつけたらつけっぱなし,いくらでも例示できます。ところで,暮らしは一度っきりではなく,日々繰り返すものです。その繰り返しのはじめは,前の続きとなります。服が汚れたら着替えますが,汚れた服は洗濯してきれいにすることで,次に着ることができます。汚れた食器を洗って清潔にすることは,次の使用の準備になっているのです。

 《片付けさせる》
 子どもは片付けることが苦手です。先に行こうとすることに対して逆行することに思えるからです。何のために片付けるのか,気付かせなくてはなりません。例えば,脱ぎっぱなしの靴は,次に履こうとすると余計な手間を取ります。揃えて脱いでおけば,履くときに楽です。片付けることは,次の準備になっているのです。いつも準備万端の状態にしておく,それが片付けの意味です。身の回りのことを清潔にしておけば,いつでも行動を始めることができる態勢になります。前日に,翌日の準備をしておく,それが一歩進んだ清潔さになります。

 《続けさせる》
 掃除・洗濯ができない人はだらしがないといわれます。ちゃんと着替えて清潔にしているように見えて,実は脱いだものが山積みになるというのでは,清潔とは言えません。汚れたものを洗濯できてはじめて清潔になります。仕事についても,一仕事を終えたら,きちんと片付けをして明日に備えるというように,次につなげようとすることが大切です。出したものは元に戻す,広げたら畳む,そのように整理をすることで,続きを意識することができます。続けるというのは,一つ一つきちんと区切りをつけていくことです。

 《計画性が育つ》
 今日一日,自分は何をしたか? 寝る前に一日を振り返り,明日に思いをつなげることができれば,日々充実して生き続けることができます。頭の良い子どもとは,次につなげることを意識できる子どもです。自分のすることに一つ一つ区切りをつけてやり遂げていきます。今日はここまでし終えた,そう考えるとき,明日は・・・と,自分の生活を計画的に営むことができます。汚れや乱れを片付けることで区切りをつけることができます。ダラダラとした生活を続ける,それが計画的でないのは,区切りをつけていないからです。

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※清潔であることを,汚れないことと考えると,生き辛くなります。汚れるのは当たり前のことです。さらには,汚れることと清潔さは表裏一体です。部屋を清潔にするためには,モップが汚れ,汗をかきます。汗を洗い流せば,掃除は終わります。汗をかきたくないと思えば,部屋は清潔にはなりません。生きることには汚れることが必然です。清潔さにだけ拘れば,生身の人間を否定するようになり,それはやがて自分に向かってきます。汚れても洗えば大丈夫,それが普通の清潔観です。




 節約をしようとすると,とりあえずは,無駄を省くことでしょう。モノや金銭面に限らず,時間や場所といった具体的なものから,思考方法のような抽象的なものまで範囲を広げることが可能です。ところで,無駄の効用という言葉があります。一見無駄に見えても,隠れた効用があるということです。子どもにとって遊ぶ時間は,学習時間の減少ですから無駄という判断も可能ですが,遊びにも育ちの上で効用があります。何をどのように節約すればいいのか,実のところ,決めかねることが多くあります。節約という概念を子育ちという面から考え直してみましょう。

★落書き★

 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。スポーツの世界でよく聞く言葉です。皮肉にとれば,健全な肉体でなければ健全な精神は宿らないということになります。古代ローマの詩人ユウェナリスの詩から採ったものと言われていますが,詩では,「賢者が神様に願うのは,健全なる身体の中に健全なる心」となっています。心身両方の健康を願う言葉でした。この詩を翻訳した人が誤訳をして,その言葉が広まってしまったということです。スポーツを推奨する上ではとても効力があるということで,引き合いに出されているのでしょうが,少しばかりやり過ぎているようです。


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