*** 子育ち12章 ***
 

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「第 39-06 章」


『子育ては 言葉教えて 考える』


【権利 39-06:考えを知る権利!】

 ■子育ち12権利■
『子育ち第6権利』
〜考えを学ぶ権利〜

 《コメント》
 子どもの権利条約・ユニセフ抄訳では,「第13条:表現の自由:子どもは,自由な方法でいろいろな情報や考えを伝える権利,知る権利をもっています。ただし,ほかのひとに迷惑をかけてはなりません」とあります。情報社会の中で,情報を伝える・知ることはとても簡単になりました。子どもたちはケータイという個人端末を手に入れて,直に清濁合わさった情報と接触しています。情報過多の中で,情報を取捨選択する力量と得た情報を自分の糧とする処理能力を身につけることが当面の課題となっています。

 《好き嫌いをしないこと》
 面白い情報,楽しい情報を選んでしまうものですが,面白くない情報もきちんと取り入れるようとすることが大切です。例えば,学校で受け取る情報=教科は,面白くないかもしれません。でも,生きていく上で大事な知恵の元になる情報なのでしっかりと受け取らなければなりません。例えば,ゲーム関連の情報だけをたくさん集めても,生きていく上では片寄った知識になります。特に,命の大切さを心から信じるといった根源的な気持ちを育てることができなくなります。生きること,端的には暮らしにつながりのある情報をたくさん取り入れるようにしましょう。

 《疑問を持たせる》
 子どもにとって大切な学びは,疑問を持つことから始まります。これはなに? 何故こうなるの? どうすればいいの? そう思うことから考える営みが始動します。疑問を持たなければ,考えることはできないのです。半分という言葉を数字では0.5と表します。このときの「.」を小数点と呼びます。分数では1/2と表すことができます。このときの「/」は何と呼べばいいのでしょう? 疑問が出てきました。先生に尋ねようという学びの道に進んでいきます。因みに「/」は括線といいます。括弧が弧で括ることですが,線で括るという意味です。知れば楽しくなりますね?

 《考えさせる》
 子どもが考えるというのは,普通の意味でとらえると,無理があります。考える素材となる知識が未熟だからです。子どもに考えさせる目的は,自分が知らないことがあると気付かせることです。答えを見つけるのではなく,自分の知識から答えに向かう途中にある壁に向き合うとき,ここが分からないと意識することができます。そこで自分が持ち合わせていない新しい考えを学ぶ準備ができて,教わる喜びが育まれます。物事を理解するために整理されてきた考え=知識を得るために,子どもなりに考えるという下準備が必要です。どこまで考えることができたか,見届けてください。

 《客観性が育つ》
 子どもが物事を理解するとき,「〜みたい」という類似を手がかりにします。オモチャ遊びも本物に似ているからごっこになります。子どもなりに自分に納得のいくような翻訳をしているのです。お母さんみたいに優しい,ゾウさんみたいに大きい,そのような類似によって物事の理解を切り分けていきます。分けることが分かることになります。野菜と果物の違いは何でしょう? リンゴの木,ミカンの木のように,木に生るのが果物です。木があるかないかという区分けの知恵によって,分けることができます。自分の外にある物事を理解できること,そこが客観的な理解の入口です。

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※物事の見方や考え方を学ぶことによって,もう一人の子どもは他者を相対的に認識することができますし,相互に理解できる知恵の交換が可能になります。視野が狭いというのは,いろいろな考え方があるという学びが十分ではないことです。自分が選んだ考え方に固執するのではなく,さらに大きな考え方があるとして,学び続けることが大事です。そうすることで,もう一人の自分の世界は広がっていきます。「井の中の蛙大海を知らず」という言葉を反省として,子どもが知恵の大海に踏み出していけるように,本物の知恵をたくさん与えてください。




 立つこともできなかった赤ちゃんが,立って歩くようになっていきます。人は育つにつれて様々な能力を身につけていきます。人が生きていく能力は,できるということです。絵に描いたような考えや思いがあっても,それが実行できなければ無意味です。子どもは空を飛ぶことをイメージできますが,実際にはできるわけではありません。自分はどんなことができるか,それが生きる力です。自分にできる能力が備わったかどうか,それは実際にしてみることから始まります。できる能力を積み上げていくためには,いろんな活動を経験することです。

★落書き★

 この頃,フリーマーケットがあちこちで開かれています。自由(free)に参加できるマーケット,タダ(free)でものが手に入るマーケットと勘違いしている人が多いようですが,本来は,flea marketで蚤の市のことでした。ところが,その違いを知った上で,わざとfree marketと書いて,自由に参加できるマーケットとして開かれるようになってきたようです。言葉が変化しているのは,今風に都合よくアレンジされて使われていく宿命なのでしょう。本腰を入れるという言葉も,本来なら女性は使わない方がいい言葉なのですが。


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