『子育ちは 苦労があって 登り行き』
【詩編 40-09:子どものための第9詩】
■子育ち12詩編■
『子育ち第9詩編』
〜忍耐するから,道が拓ける〜
物事を先に進めたいと願うなら
できないままに諦めたくないなら
負けない気概を持っていたいなら
今日が明日につながることを望むなら
自分を信じて忍耐することです。
放り出せば悔しさに涙しなくて済みます。
言い訳して誤魔化せば急場はしのげます。
逃げるのは簡単ですが壁は越えられません。
人であるためには険しい道を選ぶことです。
苦労によって能力の奥深さが備わります。
自分の弱さに向き合えば勇気が湧いてきます。
弱さを認めると,見栄が無用になります。
弱さを認めると,我慢の扉が開きます。
弱さを認めると,素直な自分に出会います。
忍耐を回避するから,不安が渦巻きます。
忍耐を回避するから,待つ機会を逃します。
忍耐を回避するから,胆力の育ちができません。
悔しさを噛みしめれば,一粒の涙になります。
悔しさを噛みしめれば,開き直ることができます。
悔しさを噛みしめれば,活力がみなぎってきます。
耐力を呼び起こすためには,深く息を吐き出します。
耐力を呼び起こすためには,顔を上げて目を開きます。
耐力を呼び起こすためには,小さなできることをします。
小さなできることを見つけたら,ことは始まります。
小さなできることを見つけたら,ことは積み上がります。
小さなできることを見つけたら,小さいけど扉が開きます。
堪え忍ぶから,自分を見失うことはありません。
堪え忍ぶから,道を踏み外すことはありません。
堪え忍ぶから,あなたは真っ直ぐに育ちます。
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※空調の中で育った子どもは,体温調節機能が育たずに,暑くても汗を出せずに体温が上昇するそうです。人は環境に適応する力があるから,生きることができます。生きる力というのは,不遇な環境に耐えながらそれを克服していく適応力です。苦労するから人間ができるということを忘れていては,生きる力が衰えていくでしょう。自分の弱さを認めることはもう一人の自分には嫌なことです。でも,それを認めなければ,もう一人の自分は自分を生かすことはできません。道が拓けるというのは,もう一人の自分が自分をとことん信じることなのです。
人はこうしたい,こうありたいという思いを持ちます。思いが適えば快感があります。ところが,そうはうまくは運ばないのが世の中です。自分を変えなければなりません。自分が育つことで自分を変えていけば,状況が変わっていきます。自分を変えずに周りが変わることを期待しても,それは自分の埒外にあります。期待とは,自分に向けてするものです。自分に期待することが育つ意欲になります。もう一人の自分が自分に期待を向けなければ,育ちは滞ります。親の期待は,子どもには重荷になることはあっても,子どもが育つ期待とはなりません。
★落書き★
イヌに顔をなめられて,飼い主は悦に入っています。なめられたら,キレルこわい人もいますが,イヌは別なのでしょうか。子犬の時に親の鼻先をなめて食べ物をねだっていた名残だそうです。イヌは飼い主に服従するという甘えの仕草をしています。それを人は親愛の行為と思い違いをしているのです。イヌはただご機嫌取りをしていると思うとがっかりしますが,一種のお世辞と受け止めて,仲良くできれば,それはそれでいいのでしょう。子どもはいつまでも親に懐いていてくれるわけではないので,やがて寂しくなります。子どもはペットではないのです。
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