『子育ちは 生きる喜び 共にして』
【詩編 40-13:子どものための第13詩】
■子育ち12詩編■
『子育ち第13詩編』
〜生きているから,喜び溢れ〜
心弾ませ生きていたいと願うなら
沈みがちな気分を長引かせたくないなら
素直な感動を心に刻もうとするなら
いのちの炎を衰えさせたくないなら
生きることに向き合うことです。
どうせと開き直れば苦労はないでしょう。
周りのせいにしてしまえば逃れられます。
自分を鍛える機会が遠のいていきます。
音や光や風や香りがすぐそばにあります。
人がいて言葉や笑顔や爽やかさがあります。
感じることが生きることの入口です。
適応をすると,生きる意欲が目覚めます。
適応をすると,生きる力が発揮されます。
適応をすると,生きる目標が見付かります。
関わりを避けるから,縁が失われます。
関わりを避けるから,感性が枯れます。
関わりを避けるから,独りぼっちです。
触れ合っていれば,何かがやってきます。
触れ合っていれば,適応しようとします。
触れ合っていれば,生かされています。
無関心から逃れるためには,見聞きすることです。
無気力から逃れるためには,正直になることです。
無感動から逃れるためには,感性を開くことです。
縁を結んだら,共に生きることができます。
縁を結んだら,共に感じ合うことができます。
縁を結んだら,共に喜び合うことができます。
生きているから,生かそうとする願いがあります。
生きているから,共に生きようと努力ができます。
生きているから,あなたの育ちは喜びに溢れます。
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※自分が生きるということしかできないと,生きることに喜びはついてきません。喜びは寂しがり屋さんです。一人でにやにやと喜んでいる様子は感動的とは言えません。喜びは伝わっていくものでなければならないのです。閉じこもった喜びは,あだ花のように空しいのです。ただひとりの自分は寂しい自分になります。共に生き合っていくことが生きるということであり,それを見届ける役割がもう一人の自分にあります。共生しているという証として,喜び合うという祝福が与えられていると思いませんか?
第40版の子育て羅針盤は完了します。下手な詩風にしたので,読みにくかったことと思います。呆れて我慢できずに愛想づかしをされた方もちらほらとおられたようです。温かく見守って下さっている皆様に感謝です。次号からの第41版では,論述風に戻します。ただ,各号の全体を表現するタイトルについて,少し変形をさせていただきます。数式風を採用します。複数のキーワードの間にある関係をより明確に表すために,数式による表記を試行してみようと思い立ちました。四則計算だけですので,3か月の間,お付き合い下さるようにお願いいたします。
★落書き★
「あれは何?」。子どもはいろんなものについて尋ねてきます。「○○ですよ」。親は答えていますね。「何」の元になった「な」という言葉があり,「名」となりました。何という疑問に対して,そのものの名を答えます。「御前」という語は敬称として使われており,名というものを尊ぶ言い方でした。そこで名の後ろに前を付けて「名前」となりました。名前は何という問にたいする答のことであったのです。明治以前には,名前の語は特別丁寧な言い回しとして一般には使われていなかったそうです。明治になって姓名を名前と記すようになって広まりました。あなたは何? 私は「(名前)」です。
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