『ぼくがする かばわれて知る 子の育ち』
■はじめに
育っているのは何でしょうか?
どんな子に育って欲しいと願っていますか?
親なら,「よい子」に育って欲しいと思いますね。
どんな子がよい子なのでしょう?
素直で明るく元気な子どもですか?
それは今現在の子ども時代に対する願いです。
育ちの目標としての将来像はどうでしょう?
大多数の親が目指すのは,優しく思いやりがあり仲良くできる子どもです。
よい子とは社会生活上でよいことができる子どものようです。
ライバルが転校して成績順位が繰り上がることをほくそ笑んだり,
雨降りにママの車で送り迎えしてもらって優越感に浸ってみたり,
ジコチュウな子どもが増えているのは,どうしてなのでしょうか?
よい子に育って欲しいのに,卑しい子に曲がってしまうのはイヤですね。
子育てプログラムにバグがあるかもしれないと疑ってみましょう。
何を見逃しているのか,子育ちの失われた栄養素探しをしてみましょう。
【質問4-07:お子さんは,ママに向けて力を出していますか?】
《「ママに向けて」という内容について,説明が必要ですね!》
〇大事な言葉?
社会生活の基本は「ギブアンドテイク」ですね。この順序を逆にして「テイクアンドギブ」にしたら,生き方のバグになります。非行をはじめ悪さはすべてテイク行為です。お店から品物を無断で「アリガトウ」とテイクするのが万引きです。見つかったら「お金を払えばいいんでしょう」という言い訳は,まさにテイクアンドギブの逆順だから誰にも認められません。
子どもは親や大人に世話を受けることが多いので,「アリガトウ」という言葉をしっかりとしつけられます。アリガトウとはテイクした際の言葉です。アリガトウしか知らない子どもは,人からテイクすることしかできません。頂戴と待っている状態に置かれますので,待てなくなると手を出します。
ギブにはドウゾ,テイクにはアリガトウ,そして「ドウゾ」を先に言うことが大事なのです。狭い道で人と行き交うとき,どちらもアリガトウとテイクしようとするとぶつかりケンカになります。ドウゾとギブし合えば,スムースに運びます。社会性とはドウゾと言えることなのです。
優しさはドウゾ,思いやりはドウゾ,ボランティアはドウゾ,ドウゾという一語を使えれば本当のよい子になれます。アリガトウと言える素直な子どもはバグを抱えているかもしれないので,社会に出たときに人間関係にフリーズを起こすことがあります。子どもがドウゾと言えるようにしつけるためには,ママがアリガトウを言うようにすればいいのです。
・・・子どもの力をママがアリガトウと受け止めてやりましょう。・・・
〇心の種まき?
アリガトウという言葉は「有り難い」こと,めったに無いことという意味ですね。「ワザワザお越し頂いてありがとうございます」と言われるように,相手のために「ワザワザ」することです。必ずしもしなくてはならないことではない余計なことを相手のためにすることが感謝される行為になります。
おしめを替えるとき,濡れタオルできれいに拭いてやっていますか? 大人だったら洗いますよね。この小さな日常の心得が見落とされていることがあります。拭いてやりながら「ほーら,気持ちいいね」と赤ちゃんを喜ばせてやってください。「そんな余計なことまで」と端折らないでください。余計なことをワザワザしてやることが大切なのです。子どもの喜ぶ顔が見たいという親心は,子どもには別の形で温かな心として受け継がれていきます。
「己の欲するところを人に施せ」という金の道徳律があります。自分がして欲しいことをワザワザ人にしてあげなさいということですが,そのためには自分が何をして欲しいかを知らなければなりません。親からワザワザこんなことをしてもらってうれしかった,気持ちよかった,楽しかったという経験をしていなければ,どんなことをしてやればいいのか具体的に思いつくことはできません。可愛がってもらった経験がないと,人を可愛がってあげることができないのです。
・・・たくさんのアリガトウ体験がドウゾのタネになります。・・・
〇仕事の向こうに?
猛暑が続いた年,未曾有の干ばつで水不足になり,独居老人や母子家庭への給水に機動隊員が出動しました。直前までの別の任務で疲れていて休む間もない任務でしたが,若い隊員は黙々と出動していきました。ところが奉仕活動を終えて帰ってきた隊員の表情は明るく生き生きとしていました。
「がんばります。疲れが吹っ飛びました」という声。「どうした。何があったのか」という問に,「これです」と差し出されたのは新聞紙でした。そこにマジックでたどたどしく書かれていた字は「アリガトウゴザイマス」でした。
隊員の奉仕活動に,寝たきりの老人が布団からやっと身を乗り出して,震える手で懸命に書いたカタカナでした。それを持ち上げ感謝の気持ちを伝えようと何回も何回も頭を下げる姿に,隊員は胸に熱いものがこみ上げてきたというのです。
隊員は単純に命令された仕事を遂行していただけでしょう。しかし,その仕事の先には助けを待っている人がいるのです。その人の姿がしっかりと意識できたときに,仕事はしなければならないものからしたいものへと転化します。なぜなら,仕事に付随するドウゾの喜びに目覚めるからです。
・・・アリガトウと言われた感動は人を育てる力を持っています。・・・
〇ケジメ?
牧場での羊の毛刈りを写した紙面に「すっきり羊さん」と見出しが振ってあります。読者から無神経な表現とお叱りがあったそうです。「羊の気持ちになれば毛を刈られて快いはずがない。すっきりしたと思うのは人間の身勝手」というわけです。そうかもしれませんね。
子どもに身につけて欲しいことの一つは,善悪のケジメです。悪については「○○するな」という禁止を,善については「○○した方がよい」という勧奨をします。たくさんの日常的な行為についていちいちルールブックを紐解くように判別することは現実的ではありません。知識としての善悪ではなくて,普段の暮らしの中で自然に身につけていくべきことです。
子どもはパパやママにいろんなことを仕掛けてきます。パパに「ダメ」と言われて,してはいけないことと分かります。ママに「アリガトウ」と言われて,した方がよいことと納得できます。羊さんの気持ちは分かりませんが,親であれば人の気持ちは分かります。子どもの行為が人にどんな風に受け止められるか,きちんとケジメを教えてやることがしつけです。
悪いことはパパに叱られたこと,よいことはママに感謝されたこと,そして自分の行為は相手によって評価されるものだということを学びます。子どもの能力はまず親に試してみることで選別されていなければならないのです。このチェックがされていないと,他人に対してケジメのない行動をしでかすことになります。
・・・ママは生きたルールブックになりましょう。・・・
〇残された環境?
人は環境から学ぶものです。土地っ子とか,○○育ちとか,○○県人といった気質を備えます。暮らしの環境の中で自分のありようをごく自然に身につけていきます。子どもの集団について見ておきましょう。
まずきょうだい関係です。少子化の中で兄や姉がいなくなりました。お兄ちゃんらしさやお姉ちゃんらしさが育ちません。ですから子ども同士でかばうことができずに,いじめに歯止めが掛からなくなりました。きょうだいが多い時代は兄や姉が育っていたので,「いい加減に止めろ」という自制が生きていました。看護婦さんや先生など,人の面倒をみる職業に就くのは兄や姉である人に多いそうですが,納得できますね。
友だち関係でも,今は同年代の友だちとしかつきあっていません。ドングリの背比べですから競うことに気をそがれ,相手に力を貸そうという殊勝さは発揮しようがないでしょう。大人に言われても,「何で自分がしなければ」と逃げようとします。ガキ大将集団という年齢の縦のつながりでは,上級生は下級生の面倒をみる立場に置かれるので,言われなくても自然に構ってやるようになります。その構うという行為によって「ドウゾ」を覚えます。
子どもにドウゾを教えていた自然環境がすっかり洗い流されてしまっています。子どもの学び環境破壊も起こっていることに気がつきましょう。残された唯一の環境はママとの関係です。ママにお願いしたいことは,子どもがママを助けるために力を貸そうとするようにし向けること,意識的に弱いママになってみせることです。ママが「助かった。アリガトウ」と言ったときの,子どものうれしそうな目,得意そうな表情,自信に満ちた態度を忘れないでください。
・・・ママの弱さに気がついたとき,子どもはグンと育ちます。・・・
〇ママがうれしい?
5年生の男の子が「今日,いいことをしたのにおもしろくなかったよ」と,口をとがらせました。バスの中でおじいさんに席を譲ったのですが,何も言わないで座ったのでがっかりしたそうです。しばらくして空いた席に座ると,そのおじいさんが後ろからトントンと頭を叩いて,「あそこにいるおばあさんにも座らせてやりなさい」。そのおばあさんもお礼を言わなかったそうです。
この男の子のママだったらどう言ってやりますか? 「席を譲ってやって損したわね! 余計なことはしない方がいいわよ」とは言いませんね。「おじいさんもお礼ぐらい言えばいいのにね」と一緒に愚痴りますか? それとも「子どもがお年寄りに席を譲るのは当たり前なのよ」と指導しますか? どれも落ち着かないですね。こう言ってあげませんか。「アリガトウ!」,「どうしてママがアリガトウって言うの?」,「あなたがいいことをしてくれたから,ママはとってもうれしいからよ」。
非行少年が収容施設の職員に「今まで誰にもありがとうと言ってもらったことがなかった」と語るそうです。ドウゾという行為ができるような子どもであったら,非行はしません。そのためには,子どものそばにアリガトウと言ってやれる人がいなければなりません。その人はママです。
・・・ママの懐が温かいのは,何でも受け入れてくれるからです。・・・
《ママに向けてとは,アリガトウと受け止めてあげるためです。》
○学校や講演などで「夏休みには子どもにお手伝いをさせてください」と言われませんでしたか? お手伝いをさせるという言い方に惑わされないでください。させる手伝いは,子どもがしても親は当たり前と思いますし,している子どもも張り合いがないばかりか,させられるという苦になります。「お手伝いをしてもらう」という気持ちを持ってください。そうすれば,ママはお手伝いしてくれてアリガトウと言えますし,子どももママの役に立ったと手伝った甲斐があり,すすんでやろうとします。
【質問4-07:お子さんは,ママに向けて力を出していますか?】
●答は?・・・自信を持って,「
イエス」ですよね!?