*** 子育ち12章 ***
 

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「第 4-10 章」


『何食べる 希望聞くママ 無計画』


 ■はじめに

 子どもはなぜ育つのでしょうか?
 もう一人の子どもはなぜ育ちたいと願うのでしょうか?
 育ちへの意欲がなければ,子どもは育ちません。

 幼い子どもに「大きくなったら何になりたい?」と尋ねますね。
 ヒーローであったり,タレントであったり,パパのお嫁さんであったり。
 何が飛び出しても,夢に過ぎないので,可愛いと思っていますね。

 子どもが大きくなるにつれて,「何になりたい?」と聞かなくなります。
 子どもが言っても,「夢みたいなことは言わないの」といなしませんか?
 子どもからなりたいというものを取り上げたら,育ちが曲がります。

 あの山に登りたいと遠くにそびえる山があってこそ,登る気力が出ます。
 山が全く見えないと登ろうという気にはなりようがありません。
 たとえその山がママの気に入らない山であっても・・・。

 登っていくうちに視野が開けて,もっと相応しい山が見えてきます。
 いくつかの分かれ道を辿りながら,自分の山に登っていきます。
 小さい頃の夢であった山とは違うのが普通ではなかったでしょうか?



【質問4-10:あなたは,お子さんの希望を認めていますか?】

 《「希望を認める」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇明日は?

 親子の会話が「ああだった,こうだった」,「おもしろかった,こわかった」という会話に終始していませんか? いったい何のことと戸惑われるかもしれませんね。もう少しお付き合いください。「〜だった」という過去の話は後ろ向きです。もちろん体験を語ることは必要なことですが,そこで終わっていることが気がかりなのです。

 「ああだった,こうだった」と話が広がっても,後でいったい何を話したのかなと思い出せないことがありませんか? それは話が流れていないからです。話が流れるように続いていくというのは,過去から現在,そして未来へと順を追うことです。「こうなる」,「次はこうしよう」という未来への展開をしてこそ意味があります。「こうなる」とは過去の体験を整理すること,「こうしよう」とは体験を未来に生かそうとすることだからです。

 お子さんはママに一日の経験をあれこれ次から次に話してくれるでしょう。そのとき,何か一つでいいですから,明日のためのお話しに誘導してください。「今日ね,幼稚園のブロックでゾウさんを作ったんだよ」,「そう,ママも見たかったわね〜。それで明日は何を作るの?」,「明日?」,「そう,明日」,「そうだな〜。明日はキリンさんを作ろうかな!」。

・・・明日が見える子はすくすく育っていきます。・・・


 〇問のしつけ?

 指示待ち,無気力,無責任,根気の無さ,耐性の無さといった育ちの停滞状態は,先を見ない,関連を見ない,因果を知らないことから生じます。こうすればこうなるという因果関係は,時間の経過に沿って物事を整理することで見えてくるものです。今だけを見たり感じたりしていると,もう一人の子どもは立ち止まっていることになります。これでは明日への希望など持ちようがありません。

 「何も考えていない」と言いたくなる状況は,「それで,それからどうなる」と考えない状態です。自分が感じているだけで,それをもう一人の自分がフォローしていません。ただ,誤解のないようにお断りをしておく必要があるでしょう。「勉強しないで遊んでばかりいて,受験競争について全く頓着していない」という意味の将来を考えていないということではありません。今につながるすぐの続きだとイメージしてください。

 「一を聞いて十を知る」という利発さには仕掛けがあります。例えば,「リンゴが落ちた」という観察体験は,それだけではどうということはありません。その観察から「リンゴは落ちるものだ」と整理をします。すると「リンゴは落ちるだろう」と予測ができます。そのとき,ごく自然に「なぜ落ちるのかな?」という疑問が見つかります。万有引力の発見につながります。発見とは明日への疑問を見つけることです。

 玄関で靴をきちんと脱ぎなさいとしつけていますね。脱ぐときにしつけていませんか。履くときにしつけてみてください。靴が履きにくかった。「どうしてかな?」と考えさせるのです。揃っていないと履きにくいことが分かります。脱ぐときに揃えていなかったからと気付きます。今度から揃えようとします。先走ってきちんと脱ぎなさいと言うのは,問のないまま答を先に教えているようなもので,全く身に付きません。教えるべきことは問題を見つけて答を自分で導き出すという問答のワンセットなのです。

・・・考えるには,まず問を見つけることが必要です。・・・


 〇不安解消?

 モラトリアム人間は,「大人になるのはちょっと待とう」と育ちにブレーキを掛けています。ピーターパン症候群はさらに悪性で「子どものままでいたい」,「大人になるのはイヤ」と育ちを拒否しています。大人が老けるのはイヤと拒否しているのを見事にまねしています。「お若いですね」のほめ言葉が,「幼いですね」のほめ言葉にすり替わろうとしています。お年寄りが若いときはよかったと言っているのも同じです。

 シンデレラコンプレックスは「可愛く美しくチャーミングな乙女であれば素敵な王子様に見初められる」という依存願望に染まっています。自分の育ちはどうでもよいと忌避しています。くれない族は周りの人が「ああしてくれない,こうしてくれない」と嘆いてばかりで,育ちを見失っています。

 このように育ちを拒否したいという子どもたちの希望を認められますか? 認めるわけにはいきませんね。その理由は実のところそれは希望には当たらず,不安だからです。希望とは「明日はよりよくなるかもしれない」という可能性です。そして育ちの意欲とは明日の自分がよりよい人になれるかもしれないと思うことです。

 「夢がない そう言うママは どんな夢」と暗に言われているのかもしれません。若さを失う秘訣は夢なんてものを持たないことです。どうせなるようにしかならないとその日暮らしをしていれば,確実に枯れていきます。病は気からと言われますが,老いも夢からなのです。

・・・先の不安を消せるのは希望だけです。・・・


 〇チャンスのつかみ方?

 釣りの楽しみとは,「今か,今か」と待つことです。魚が糸をグイッと引くときの力比べの感触を竿を通して感じることへの期待です。ですから,気の長い人には似合わないかもしれません。もちろん,魚を食べたいという欲がなければ,釣りはしないでしょう。

 子どもがゲームに夢中になる理由は,次はどうなるかというワクワクした楽しさがあるからです。期待があるから楽しいのです。期待が後押しをして,あれこれ工夫しようという気になります。馬の鼻先にニンジンをぶら下げるということと同じです。

 期待は期を待つことです。その間いつでも動けるように待機する態勢が必要です。ぼやっとしていたら,チャンスを逃がして魚は逃げます。流れ星が消えないうちに願いを言えたら叶うと言われます。それはとっさに希望を言えるほど思い詰めているかどうかということです。流れ星を見てはじめて希望を思い出そうとしているようでは,何も期待していないと見なされるのです。

 もちろんただ座して思い詰めているだけでは何も起こりません。ライオンが獲物を狙うときに,そっと風下から抜き足で近づきます。自分の方からも少しずつ間合いを詰めていくことが大切です。それがコツコツと精進することの意味です。そのときに工夫するという知的楽しみが生まれます。

・・・子どもの欲求をすぐには叶えないことが先の期待を膨らませます。・・・


 〇薄味?

 バードウォッチングのどこがおもしろいのでしょうか? 「同じ鳥を5分間じっと見ていてご覧なさい」と言われます。鳥が生きている様子はいろんなことを考えさせます。「何をしているのか,ほかの鳥とは違ったことをしているが,・・・」。知らないこと,分からないことに関心を持つ楽しさがあります。そんなカッタルイコトと逃げている子どもたちが心配です。

 子どもはおもしろいことが好きです。そして大人から見れば他愛のないことに面白さを見つける力を持っています。ところで今子どもたちが人工的なオモシロイコトにはまっていることが気になります。テレビマンガや娯楽施設などの人工的な面白さが中心になっています。仕掛け人は面白さのツボを心得ていますから,面白さのカンフル剤を子どもに投与します。強烈な「オモシローサ」という名の薬漬けです。カッタルイというのは副作用の症状です。オモシロイコト探しでプチ家出という徘徊をするのは,オモシローサ中毒です。

 自然に親しもうというのは,それが面白さの健康食品だからです。薄味の面白さですが,同時に生きる上で必要な情報を添付してくれます。自然は生きているからです。鳥は何をしているんだろうと不思議に思ったとき,「こうしたいんだろう」と考えます。それは自分の思いを重ねています。自分自身を考えていることになります。鳥も自分と同じに生きていることを知ります。その共感が楽しくおもしろいと感じる栄養源です。

 赤ちゃんが手を伸ばします。何をしたいのかなとママは考えました。手の向こうにぬいぐるみがあります。取ってやるとうれしそうに遊びます。分かってやれたことがうれしかったですね。子どもの希望を「こうしたいのだろうな」と分かってやれたら,見守る親に育てる楽しさが生まれます。

・・・オモシローサ薬が喜怒哀楽を異常肥大させているようで心配です。・・・


 〇押し描き?

 日本人の絵画の特質に余白があります。余白は可能性を意味する部分です。描こうと思えば描き足せるが,わざと描きません。鑑賞者に預けようとしています。余白とは,見方を変えれば,自由,寛容であり,希望ですらあると言えるでしょう。

 子どもは白紙の心に自分で一つ一つ絵を描きます。描いては消してまた描き,端から見ているとじれったくなります。余白がいっぱい残っています。ママがつい「こうでしょ」とわきから書き込みます。子どもは「そこにはあれを描こうと思って空けていたのに」とがっかりします。ちょっとした鉛筆書きであれば消せば済みますが,絵の具べったりと強烈な書き込みをされると,手の施しようがありません。余白は余白のまま残してやりましょう。

 ママは子どもに希望を託そうとします。ママの希望であって,子どもの希望ではありません。素直ないい子であってほしいと押しつけがましく描き込みをされて,子どもはそれに沿って自分を描こうとしますが,描きたいものとずれているので,やがて辻褄が合わなくなります。心の絵は壊れます。お子さんの希望を認めるとは,絵のよしあしを認めることではなく,その絵がお子さんのものであることを認めてあげるということです。

・・・白紙は子どものもの,余白は子どもの将来です。・・・



《希望を認めるとは,明日への楽しみを与えることです。》

 ○あるお父さんが父親参観で子どもたちのアンケート結果を見せられました。「神様が願いを一つかなえてくれるとしたら?」との問いに,多くの子どもが「苦しまないで死ぬ」「長生き」と答えていました。オヤジより先に死を考えているのにショックを受けたそうです。こんなことを子どもが考えているとは,まさに夢にも思っていなかったというわけです。皆さんのお子さんは夢として何と答えるでしょうか?

 【質問4-10:あなたは,お子さんの希望を認めていますか?】

   ●答は?・・・自信を持って,「イエス」ですよね!?

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