『しくじりの 結果を責めて 芽をつぶす』
■はじめに
子どもはどのように育つのでしょうか?
ママはすくすく育ってほしいと思っています。
でも,すくすくとは育たないので困りますね。
種を蒔いて,後は水やりで育つ草花が羨ましいですか?
数ヶ月で親離れする動物たちの親はいいですね。
どうして人間の育ちだけがこんなに手間が掛かるのでしょう。
気の遠くなる年月の進化をインストールしているからです。
ママのヴァージョンを完全コピーするには時間が必要です。
遺伝子OSを有効に起動させるセットアップが養育なのです。
インストール中に再起動をしなければならないケースがありますね。
書き換えを有効にするためには,やり直しというプロセスが必要です。
子どもの育ちも繰り返しのプロセスが基本になります。
何年も生きる樹木には年輪がありますが,草花にはありません。
夏と冬の間の育ちが違うことから,木の幹には痕跡が残っています。
子育ちにとっての年輪とは,どんなものなのでしょうか?
【質問4-11:お子さんは,ママに失敗を報告していますか?】
《「失敗を報告」という内容について,説明が必要ですね!》
〇温情?
「ママー,できたよー」と幼児。「すごいね。よくできたわね」とママ。「この前のテスト,100点よ」と児童。「ウソー。まぐれじゃないの」と母さん。子どもはできたことを得意満面で報告してくれますね。できるようになることはとてもうれしいことなのです。
できなかったらママにわざわざ報告しには来ません。よい知らせではないから,言いたくありませんよね。でも,子どものご機嫌斜めという報告があります。地団駄踏んだり,投げたり叩いたり,泣き出したり,いろんな知らせ方があります。ママは特に危険がない限り,即座に応答しない方がいいでしょう。できなくてバタバタしているからといって「うるさい」と怒鳴りつけたりすると,子どもは怒鳴られたことに反発して余計に収まらなくなります。
失敗した嫌な思いは自分の中で消してこそ,次へのステップに入れます。「しまった」と感じることで,育ちのスイッチが入るからです。ただそれまでにご機嫌を治すプロセスが必要です。失敗してしばらくの間一騒ぎしたら,やがてもう一度手を出し始めます。子どもは懲りませんからね。
ブロックで遊んでいるとき思うように組み立てられないと,手でめちゃめちゃにかき回してしまうことがあります。「乱暴にあつかったら壊れるでしょ!」というママの叱責は,失敗の追い打ちになり,子どもの傷口に芥子を刷り込むようなものです。文字通り泣きっ面に蜂という仕打ちです。こうなると,もう一度やってみようという道を見失って育ちから逸脱してしまいます。
失敗したときの辛い思いを耐える経験が育ちを引き締め,年輪になります。失敗の数だけ年輪が重なると考えておいてください。順調に育っている子どもには失敗という堅い年輪がないために,やがてちょっとした世間の強い風に当たると耐えることができずに,ぽっきりと折れやすくなります。
・・・失敗の報告は見て見ぬ振りをしましょう。・・・
〇安全圏?
ママは失敗する子どもを見たくありませんから,失敗しそうになると止めさせて,ちゃんとできるように指導します。お陰で子どもは失敗をしなくて済みます。それが過保護です。過保護とは親が先回りをして子どもから失敗を取り上げることを言います。幼いうちは,そばにいる親が過保護でもすくすくと育っているように見えますので,気がつきません。
子どもが育ってくると,「いつまでも子ども扱いして」とママにくってかかることがあります。確かに親から見ればいつまでも子どもだから仕方がありません。子どもだってそのことは分かっています。子どもが言いたいことは,自分の力をちゃんと見極めて欲しいということなのです。
失敗をさせない親は,子どもを安全圏に置こうとしています。ところが,子どもは育っているのに,親が課している安全圏は変わりません。それが子どもには窮屈であり,同時に育ちには邪魔なのです。だからといってどんな失敗も構わないと放任するということではありません。危険を保護するのが親ですから。
子どもにとっては,失敗こそが育ちです。失敗する一歩手前までは子どもの実力です。育つにつれて失敗するところはどんどん先に進んでいきます。もしも親が子どもの失敗を見極めていないと,実力が見えなくなり過小評価してしまいます。それが子ども扱いをするようになる原因です。
・・・失敗こそが育ちのバロメーターです。・・・
〇平常心?
「ガンバレ」と応援します。でもダメでした。応援の甲斐がありません。子どもはしょげています。もしかしたら,子どもはケロッとしていて,しょげているのは親の方だったりして・・・。それならそれで,ダメだったことを悔しがらない子どもが歯がゆいと思うことでしょう。
自分から進んでやろうと思っていないとき,つまりさせられてすることに対しては,ダメでも子どもはケロッとしています。ところが,やる気になってしていることで失敗すれば,子どもはやはり悔しくなります。応援する方も「あ〜あ」とがっかりしますが,その後どう励ますかが大切です。
人はここ一番というときに力を発揮できないものです。多くの場合,周りの期待に応えようとすることで緊張するからと言われます。平常心に戻るようにアドバイスされます。では,その平常心とはどんなものなのでしょうか? 「落ち着け」と言われても,どうすればいいのか分かりませんね。
やり遂げた後で,「無我夢中で,どうなったのか自分でも分かりません」という話が聞かれます。これが心を無にする境地です。平たく言えば,失敗を気にしないことです。普段は失敗していいと思っているはずです。結果を気にしないからこそ,全霊を傾けてことに当たることができます。失敗が許されないという気になると上手にしようという余計な枷がかかり,前向きの全霊が割引されてしまいます。
捨て身の強さがあります。それは無くすものが何もないことです。失敗して元々という開き直りです。練習中の平常心と同じです。結果を気にしないとは,よい結果は儲けもの,悪くても元々と思うことです。励ましとは,ダメだったことを気にするなと平常心に戻してやることです。
・・・平常心は豊富な練習量から身に付きます。・・・
〇迷惑?
親は子どものことで一喜一憂します。文字通り一つの喜びに一つの憂さであればいいのですが,喜び少なく憂さばかりが現実です。お使いに行ってお金を落としてしまったり,よその車に自転車で傷をつけてしまったり,遊んでいて友だちに軽傷を負わせたり,いろんなことをしでかしたりしでかされたりします。よくもこれだけと呆れるほど持ち込んできます。子どもがいなければ清々するのに・・・?
自転車を止めておいたら倒れて,そばにあった花鉢を壊してしまいました。「わざとしたんじゃない,自転車が勝手に倒れた」と言い張ります。自分の止め方が拙かったという風には考えません。そんな子どもたちが増えてきています。歩道を自転車で走っていてお年寄りに触れても,「自分はよけていたのに,急に向きを変えた方が悪い」とか,イヌの散歩をしていてよその家の玄関先に粗相をして注意されても,「道を散歩させて何が悪い」と逆襲する若者も現れてきました。このようなジコチュウには何が欠けているのでしょうか?
無邪気とは悪気がないことですが,悪気はなくても失敗して人に迷惑を掛けたら,それを反省しなければ育ちにつながりません。無邪気なまま年を重ねては社会生活からはみ出していきます。幼いときからきちんと教えておくことは,自分の立ち居振る舞いがまわりに影響を与えるということです。もう一人の自分が他者との関係の中に自分を見られるようになることが社会性だからです。
社会性を育てるために必要なしつけは,「ごめんなさい」と謝ることです。暮らしにはトラブルはつき物です。そのとき「ごめんなさい」の一言があるかないかで,収拾の行方は違います。なぜなら,人の暮らしはお互いの許しの上に成り立っているからです。お互い様というわけです。謝ることで反省ができます。反省すれば「二度と繰り返さないようにしよう」という意志が生まれます。それが許されたことへのお返しだからです。その育ちを期待できるから,人はお互いを許し合っていけるのです。地域の教育力と言われるものの一つです。
・・・「ごめんなさい」の一言は社会性の育ちに不可欠です。・・・
〇抗体?
うちの子は悪さは全くしない「いい子」です。そう言えるママになりたくありませんか? でもちょっと待ってください。悪さをしなければいい子と言えるのでしょうか? 悪さをしないのは当たり前のことで,いい子ではありません。いい子と思うのは,ママにとってのいい子であって,心配させられなくてホッとできるからに過ぎません。ちょっと意地悪な言い方で,ごめんなさい。
純粋培養の生き物にはひ弱さというイメージがつきまといますね。いわゆる雑菌への抵抗力が無いということです。雑菌はただ自分に素直に生きているだけです。しかし,組み合わせが拙いときには相手に危害を加えることになります。そこで雑菌と共に暮らすことで折り合いをつけていく,つまり慣れることが大切になります。抗体を作るということです。
人は誰しも自分が可愛いものです。ジコチュウであり,わがままであり,自分勝手です。一人で暮らすのであればそれでも一向に構いません。しかし,社会生活では自制が求められます。自分の欲望を解放したとき,それが他者には悪さになります。お腹が空いているから店のモノを勝手に食べたという行為は他人には通用しません。毒虫は自分の毒には当たりませんが,他者には当たります。
育ちは自分を外に向かって出していくことです。その過程で他者に対して悪さをしてしまうことがあります。その経験から自分の中に毒があること,悪いことをするかもしれないという恐れを感じとります。ちょっとした悪さをしなければ,そのことに気付かないままです。家庭には他者がいませんから見逃しやすいので,外に出て悪さのお互い様を経験させることが大事です。ちょっとした悪さをした経験は育ちに必要なので,叱っても大目に見てやって下さい。
・・・小さな悪さをしたことがないと,自制することを覚えません。・・・
〇予知?
ママが「気をつけなさい」と見送ると,「ハーイ」と元気な声で出かけていきます。外にはいろんな危険が待ちかまえています。失敗の種はそこら中に手ぐすね引いて獲物を狙っています。ちょっとしたこと,つまらないこと,ものの弾みといったことで悪い結果を招き寄せてしまいます。
順調にいっているようでも,それはたまたま失敗の落とし穴を運良くすり抜けただけです。失敗をすると,「ここが気をつけなければならないところ」と気がつきます。この繰り返しで失敗の種をたくさん見つけられるようになれば,それだけ失敗を確実に避けることができるようになります。
人は「したことがないこと」には大変臆病になります。それは落とし穴がどこにあるか分からないという不安です。うまくできるという自信は,どこが危険かを知っていることから生まれます。山登りでも経験者には注意箇所が分かるので,万全の態勢を整えることができます。
このように失敗することは危険を予知できるだけではなく,自分の力をきちんと自覚できることでもあるのです。少々の失敗をしても乗り越えられるという経験をしていれば,「大丈夫」と限界を見極めることができます。その確信がやる気を引き出すのです。
・・・敵を知れば百戦危うからずとは,育ちの指針でもあります。・・・
《失敗を報告するとは,育ちの最前線の報告なのです。》
○失敗の勧めですが,よ〜く見ておいてください。小さな失敗で済むように保護することが見守るということです。何を見ればいいのかというと,子どもそのものではなくて,子どものいる環境です。何を触ってもいいようにするためには危険なものは子どもの手の届かないところに置くとか,転けてもいいけど頭を打たないように堅いものは片づけておくとか,失敗できる環境に十分な配慮をしてやることです。失敗しても大丈夫とママが思っていれば,子どもはママの前で失敗してくれます。
【質問4-11:お子さんは,ママに失敗を報告していますか?】
●答は?・・・自信を持って,「
イエス」ですよね!?