『子育ちは 信頼し合う 人がいて』
【目標 42-04:信頼し合えること】
■子育ち12目標■
『子育ち第4目標』
〜「信頼し合う」ということの意味について説明が必要ですね!〜
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
人間関係をいくつかに分類してみます。パターン化すれば関係の本質が見えてくるからです。親から自分はどう思われているかという子どもの立場で読んで下さい。
(1) いない方がよい人
もし母親から「お前さえ 生まなきゃ」と言われたら,子どもは生きることに「絶望」します。そこまであからさまではないにしても,ちょっとしたすれ違いが起こることがあります。
もうすぐ夕食という頃が最も空腹になります。子どもが「ねえ,クッキー食べていい?」と言ってきます。ママは「だめ,もうご飯なんだから。お菓子ばっかり食べちゃだめ」と言い切ります。その語調は「余計なことは言わせないで,あっちにいっていて」と邪魔そうです。お呼びでない虚しさが襲います。たとえば,ママが「そう,おなかすいたの。クッキーおいしものね。でも,もっとおいしいものもあるのよ,ちょっと待ってね」と,空腹であることを認めてやれば,子どもはそれで満足します。同時に邪魔にされないで済みます。
・・・邪魔にされるとは,居場所を与えられないという意味です。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(2) いてもいなくてもいい人
忙しい家庭の中で,手の掛からない子どもが育っていきます。親にはいい子かもしれませんが,子どもはどうでしょう。いつの間にか自分なんかいてもいなくてもいいのではないかと思うかもしれません。一人ぽつんとなんとなく生きていると思ったなら,自分は何なんだろうという「不安」が脹らんできます。
子どもよりパパが重体なのかもしれません。男の子が帰宅しましたが,母と姉は不在で,父が新聞を読んでいます。男の子は「誰もいないのか!」とつぶやきました。パパは存在感を取り戻そうと,ある日小さなお菓子を10個買ってきました。夫婦が2個ずつ,子ども2人は3個ずつという心づもりでした。おやつの時間になり,パパが自分の皿を見ると1個です。ママと子どもたちはそれぞれ3個でした。似たようなことは茶飯事です。子どもはポケモン,パパノケモンという寂しさです。
いてもいなくてもいいと思われていると感じたら,子どもは自分の存在性を保持させるために,嫌われないように気配りして暮すようになります。いつも防衛的ですから緊張・ストレスの連続で,やがて心身をすり減らします。分ってもらえない苦しさを避けるために,心を閉ざしてしまうこともあるでしょう。自分という存在を透明にしていきます。
・・・もう一人の子どもは,信頼というつながりを求めています。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(3) いてもいい人
「あなたは勉強さえしていればいいの」と,生活から隔離されているような状態です。家族がそれぞれ自分だけの暮らしをしているクールな関係です。以前言われていた「パラサイトシングル(実家に寄生している独身若者)」は,このような関係の行き着く先なのです。一見自立しているようで,肝心の生活部分はしっかり依存しています。ちょっと気配りのできる子どもであれば,自分だけが遊んでいるようで落ち着かないことでしょう。
いじめの人間関係も似ています。まず,一応友達としてグループに取り込みますが,いつも境界域に排除しておきます。決していじめられっ子をグループから追放はしません。グループと付かず離れずの所に縛り付けておきます。いじめを陰湿にしている要因は,「飼殺しの状態」においているからです。
家庭でも「自分のことは自分で」というしつけだけを厳しくし過ぎると,家族であって家族ではないような「不安定」で曖昧な存在に追いつめてしまう危険性があります。家族であるとは,生活上に持ちつ持たれつの相互関係がなければなりません。
家庭の雑事を「うるさい用事」と思うように育てられた子どもは,生活から逃げるようになり,自立からは見放されます。寄生しているパパも他人事ではありません。
・・・もう一人の子どもは,一緒にという感覚が大好きです。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(4) いなくてはならない人
子どもは甘えることから育ちはじめます。十分に甘えさせてやりますが,いつまでも甘えん坊で依存していては困ります。そこで甘えを止めさせようとしつけをします。依存しないことが自立することであると思われています。確かに半分はそうですが,半分は思いこみという誤解です。自立という言葉の定義は何かをしないことではなくて,何かをすることでなければ意味がありません。
パパは自分が会社でも家庭でもいなくてはならない人物である自覚に張り合いを感じています。病に倒れ見舞いを受けるとき,「早くよくなって出てきてもらわないと皆が困っています」と言われればご機嫌がよいのですが,「後はちゃんとやっていますから,どうぞゆっくり養生してください」とでも言われたら落ち込みます。自分がいなくてもいいと引導を渡されるのですから,つらいのは当然です。必要とされていることが自立の証だからです。
桃太郎のチームリーダーとしての手腕を見てみましょう。犬は猿とは犬猿の仲です。ところが桃太郎の家来として協力しています。どうしてでしょうか。犬は桃太郎と,猿も桃太郎とキビ団子契約でつながりました。犬と猿はそれぞれ桃太郎に協力するという形でつながっています。チームとしてのポジションを与えられ役割を担っています。共同体の中で責任ある役割があるということが,存在感を実感させてくれます。ケンカをする必要など失せてしまいます。
共同体ではお互いに役割を担うことが大切です。言い換えれば,相手の役割に依存してもいいということです。お互い様なのです。忙しいママはお使いや手伝いなど,子どもに依存する,つまり頼ればいいのです。頼られればそれに応える,それができたとき自立したことになります。必要とされている,頼られている,いなくてはならない人と思われている,それが気持ちを「安定」させ生活の充実感をもたらしてくれます。
・・・生活でのつながりがあってこそ,信頼が行き交います。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(5) いて欲しい人
社会的な関係では,いなくてはならない人と自覚できていれば十分でしょう。しかしながら,人間関係としては,まだ不十分です。定年になって役に立たなくなったらお払い箱です。パパの名刺から肩書き役割がなくなったら,さみしくなるはずです。
4歳の男の子がオネショをするようになりました。妹が誕生してまもなくのことです。ママはあちこちに相談に行きますが,いっこうに止む気配はありません。そんなつらいある日のことです。オネショをしなかったのです。ママは「できたね」と思いっきり男の子を抱きしめました。そのときです,「あのね,ママ。またできたらだっこしてくれる?」・・・。母親の膝を妹に奪われた寂しさ,不安に駆られ,無意識に自分への注目回復のためのオネショでした。下の子に手が掛かり,上の子を心ならずも邪魔にしてしまうことがあるかもしれません。何か処し方はないのでしょうか?
つわりのひどいママがいました。幼い女の子がいます。祖母が女の子をしばらく預かろうと申し出てくれました。でも,ママはある決意から断りました。数日前,吐き気からトイレでしゃがみ込んでいたときのことでした。苦しさの中でふっと気が付くと,背中を小さな手が一所懸命にさすってくれていました。「この子といっしょに産もう」と思ったからです。幼児でも大人に力を授けられます。大したことはできなくても,いてくれるだけでいいのです。
子どもはパパが出張先から買ってきてくれるおみやげを喜びます。ところが,数日するとおみやげは飽きられて隅に転がっていることがあります。せっかく買ってきてやったのにと,パパはおかんむりです。でもそれでいいのです。おみやげは出張先でも子どものことを気遣っているから買って帰ります。子どもは「パパは出張していても,自分のことを気に掛けていてくれた」という証拠として受け取っています。パパの気持ちを確認できれば,おみやげそのものはどうでもいいのです。でも,ママが「子どもにばっかり」とにらんでいることにご注意!?
たとえ大して役に立たなくても,いるだけで「ほっと安心する」関係,それが家族の信愛関係です。
・・・子どもが安心して育つ居場所,そこには信愛が必至です。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
《子どもに必要な信頼関係とは,親が好意的であると信じられる関係です》
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
子育ち第4目標は,どこで育つのかという二つの目の課題に対する第2の解答であり,「もう一人の子ども」が,望まれた存在としての自分を確信することです。子どもは人間関係という根を張ることによって育ちに必要な大事なものを取り入れています。人を信頼できる力を育ててやらないと,取り入れる気になりません。信頼できる人の影響はとても大きくなります。例えば,先生を信頼すれば学習の理解は倍加します。逆であれば,聞く耳を封じるので,学習は停滞します。
あらゆる教科の基本は国語であると言われます。言い換えると,人としての知性は言葉によって構築されています。物事を記憶し考える手段としての言葉を持っているから,人は文化と文明を築きあげることができました。言葉の貧しさは知性の貧しさに直結します。しつけがなっていないと言うとき,それは言葉遣いの卑しさであることがほとんどです。言葉遣いが拙いと,立ち居振る舞いの拙さにつながっていきます。落ち着いた言葉遣いができれば,落ち着いた行動が現れるということです。
★落書き★
昭和30年代,テレビは普及していなくて,多くの人が街頭や喫茶店などで見ていました。外国映画を放映するとき字幕でしたが,群がってみているので,前に立っている人の頭が邪魔で見づらいということがあり,たとえ字幕が見えても,画面が高い所にあげられているので,字が小さくて読みづらいということもありました。アメリカの子ども向けアニメなどもとても見てもらえそうにありませんでした。そこで吹き替えに挑みました。昭和31年10月27日「ジャングルジム」の第11話から吹き替え第1号の放送ができたそうです。