*** 子育ち12章 ***
 

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「第 47-05 章」


『子育ては 豊かな言葉 そばに置き』


■子育て12チェック■

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『子育て第5チェック』

【対話させていますか?】

●どちらかといえば,女性の方がおしゃべりであるというのが古来の通説です。女性がおしゃべりであるのはやはり訳がありました。それは,女性はやがて母親となり,子どもに言葉を教える先生にならなければならないからということなのです。言葉のことを母国語と言います。言葉は母の言葉だったのです。もう一人の子どもが第二の誕生をすると言っておきました。母親からすれば,第二の出産ですが,そのときに第二の母乳が必要になります。それが母の言葉なのです。もう一人の子どもは言葉を糧として育ちます。

●人となりは言葉に現れます。そのことを直感しているから,人は言葉遣いに敏感になります。しつけのできていない子どもはどんな子どもかという問に対して,多くの親が言葉遣いの悪い子をあげます。もう一人の子どもの育ちの良し悪しは,どんな言葉を取り入れているかによって見積もられているのです。さらに,子どもの言葉が汚いなら,その親の言葉が汚いと思われます。この直感は子育てをするときにとても大事です。

●もう一人の子どもは言葉を覚えたときに育ちます。子どもの育ちに栄養のあるものを食べさせる気配りと同じ以上に,もう一人の子どもの育ちには豊かな言葉が与えられなければならないのです。粗末な言葉を食していたら,もう一人の子どもは貧相な育ちを強いられます。優しい子どもに育って欲しいのなら,優しい言葉を与えなければなりません。はじめに言葉ありきなのです。乱暴な言葉遣いをしているから,乱暴になっていきます。この順序を間違えないでくださいね。

●言葉を与えるとき,赤ちゃん言葉は禁物です。幼い口まねは実は発声の仕方が未熟な段階であるに過ぎません。きちんとマネをしようとしているのですから,正確な手本を与えておかないと,未熟なままに据え置かれてしまいます。語りかけはきちんとした言葉であるように気をつけてください。もう一人の子どもが耳から聞き取った言葉を,自分の口に言わせようとしています。それが子育ちです。

●言葉にも離乳食があります。いつまでも母乳というわけにはいきません。ママは子どもと密接に関わっているうちに,子どもの言いたいことを察することができるようになります。離乳するためには子どもからオッパイを取り上げますが,同じように子どもの言葉をゆっくりと聞き取るために,ママは少し離れることが必要になります。ある程度の言葉を使えるようになってきたら,ママは分かっていても,子どもが口でちゃんと言えるまで待つのです。子どもに話させる,それが言葉の離乳食に相当します。

●「お菓子食べていい」。「だめ,もうすぐゴハンだから」。ママに禁止されます。「お菓子食べていい」,「お腹空いたのね」,「うん」,「ママもお腹空いてるのよ,もうすぐゴハンができるから我慢しようね」。「ダメ」という拒否はママ対子どもの言葉であり,「お腹が空いたのね」という言葉はもう一人の子どもが言う言葉になっています。子どもの立場になって言葉掛けをするというのは,こういうことです。もう一人の子どもは自分に対して言い聞かせる言葉遣いを手に入れることができたことになります。

●腕白息子が帰って来るなり「お腹空いた」と言っています。その言葉にママは「冷蔵庫にケーキが入っているから食べなさい」と応対します。それは言葉のしつけにはなりません。「お腹空いた」という言い方は誰に向けてもいない捨てぜりふです。勝手に言わせておけばいいのです。捨てぜりふで用が足りると思わせたら,社会に出て子どもが困ります。「ママ,お腹が空いているんだけど,何か食べるものがあったらちょうだい」。言葉に向きを持たせた対話をさせる癖をつけることがしつけです。

●子どもはテレビから言葉を教わります。そこで,言葉遣いをミスリードされます。アナウンサーが画面の中で「おはようございます」と挨拶をしても,見ている者はだれも返礼はせずに無視していますよね。テレビが勝手に言っているだけ,お茶の間に言葉が捨てられているのです。拾いたければどうぞという物言いです。子どもはテレビの前で,言葉とはその辺に放り出すものと覚えていきます。こうして言葉は人に向けて伝えるものだということを知らないままに育っていきます。

●言葉には向きが必要だと言いました。そのためには,言葉をつないでいかなければなりません。片言が文章につながり,いくつかの文章を順序よく並べ,小さな話に組み上げるのです。話すというのは,話になっていなければなりません。お話にならない,それは文脈が整っていないことを指します。普段から文章のやりとりに慣れていないと,人の話を理解できなくなります。例えば,学校で先生は話をします。単語的な表現しか聞き取れないと,やがて先生が何を言っているのか分からないということになります。

●勉強とは,頭の中に知恵の作業場を構築する工事です。お家には台所があります。お刺身を作ろうとするとまな板と包丁が必要です。できた料理を盛りつけるお皿が必要です。いろんな料理を作ってみると,それぞれに必要な道具が揃っていきますね。こうしていったん台所ができてしまうと,その後はどんな料理でも作ることができます。同じように,いろんな勉強をすることで,頭の中に知恵の台所を作ることができます。勉強しなかったら,台所がないお家と同じで,自分で知恵を作り出すことができなくなります。

●勉強の話をしましたが,勉強の基本は言葉です。言葉の世界で言えば,いろんな言葉のつながりパターンを身につけると,状況に相応しい言葉遣いをすることができます。いつか同じ場面を経験したことがある,それが知恵の根っこなのです。幼いときに自転車に乗る経験を済ませていると,途中にブランクがあっても,すぐ乗れるようになりますね。お話をたくさん覚えて,そのお話のパターンをきちんと整理して積み上げていくことが,最も基本的な勉強であるのです。話は知恵の構造と同じだからです。

●文章化できる,ちゃんとお話ができる,それがもう一人の子どもの成長の姿です。放り出された言葉ではなく,相手に伝わるように気配りされて言葉遣い,それが対話の基本です。その上で,言葉を糧に,知恵という肉体構造が太っていくと考えてみてください。もう一人の子どもは言葉という知恵によって構成されているのです。構造化した言葉,それが文章ですね。言葉を覚えたとき,もう一人の子どもが育っているということがイメージしていただけたでしょうか?



 おしゃべりではなく,人に向けてちゃんとした話ができること,それがもう一人の自分の育ちになります。もう一人の自分が自分に向かって対話をすることができるからです。自分に向かって「しっかりしろ!」と語りかけるもう一人の自分がいれば,他人に「しっかりしろ」と言われなくて済みます。人は他人に言われて変わることはしませんが,自分に言われたら変わってみようという気になるものです。自問自答という対話が豊かなものになるように,言葉をたくさん教えてやってください。

★落書き★

 学習参観で足を運んだ教室を思い浮かべてください。黒板はどの方角にありましたか? ほとんどの教室では,黒板は西側にあります。窓ガラスは南側,廊下が北側です。太陽光を取り入れるために窓が南側なのです。黒板を東側にすると,黒板に向かっている子どもの右側から太陽の光が差し込むことになります。多くの右利きの子どもにとっては,教科書やノートの上に影ができてしまいます。それを防ぐために,西側に黒板があるのです。


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