*** 子育ち12章 ***
 

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「第 47-08 章」


『子育ては 親の生き方 伝授する』


■子育て12チェック■

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『子育て第8チェック』

【納得させていますか?】

●世代が違えば価値観もすれ違います。しかし子どもが大人の価値観を常に傍に見ていることは大切です。なぜなら,自分が成長するにつれて,大人の価値観に目覚めていくからです。子育ちの世界が異世代という縦社会,つまり,幼児,児童,生徒,青年といった連続性を確保しているなら,価値観を自然に大人の価値観に移行させていけます。しかし,子ども世代が断絶している今,価値のバージョンアップが滞っています。それが子どもたちを迷いの道に追い込んでいるのです。

●大人が持っているもの,すなわち,毎日の暮らしにおいて大切にしている価値は何でしょう? 何を頼りに生きているのでしょう? 生活信条と言ってもいいでしょう。何か生きる上で芯になるものです。何となく暮らしているようでも,何かを守っているはずです。子どもたちに,「あなたが今一番大事に思っているものは何?」と問うと,ポケモンのおもちゃなど,モノが大事という答えが返ってきます。アジアの子どもたちは弟妹と答えます。この先どうなるかと考えると,恐くなります。

●今の社会は高度に分業化されています。専門家がウヨウヨいます。水道トラブル○千円,お家のお掃除請け負いますといった,家事の外注サービスが現れています。子どもの自転車のパンク修理もできないパパは,お父さんにはなれません。家の廊下に落ちている紙くずを拾わない子どもは,掃除をするのはママの仕事,どうして私が拾わなければならないの,と考えています。自分の仕事,役割に閉じこもり,余計なことには一切関わろうとしない,それが専門家のアキレス腱です。

●家並の前の道路沿いに植えられている樹木が枯れそうになっています。それは道路管理者の責任領分です。そう考えて,自分の役割ではないと拒否することで,樹木は寂しく枯れていきます。一杯の水を掛けてやれば生き延びることができるのに,専門家意識の薄情さが,すぐそばにある町を殺していきます。管理ができていないと他を責める口は持っているかもしれませんが,人としての優しい自前の手は持ち合わせていないということです。

●若者たちは,面白いか,かっこいいか,刺激があるか,そのような感性を揺り動かすことを求めています。それは暮らしを彩る二次的な価値です。ダサイと思われたら,大変なパニックに陥る子どもが育っています。パパは臭いという理由で忌避されます。友だちを臭いといじめます。人がいい匂いを出すはずもありませんし,人の匂いをイヤな匂いと思う感性の方が間違っています。生活臭というものも嫌われものです。仕事をすれば汗をかきます。汗をかくからイヤだという理由が登場してきます。本末転倒です。

●地道な日々の上に咲く花だから美しいのであって,切り花の美しさは飾り物です。焼け野原の一輪,その感動は心の底からわき上がります。生かされた美しさよりも,生きようとする美しさを素直に感じる感性が美的価値の関門です。団らんの和やかさは,台所のゴミが産み出しているのです。ゴミを汚いと感じるように育てられたら,おそらく大人になっても団らんを作り出すことはできないでしょう。さらには,団らんそのものの価値を見逃すようになります。生き方を寂しくします。

●人が生きていく過程で最も問われることは,信用であり信頼です。西洋では人を嘘つきと呼ぶことは最大の侮辱だそうです。どこでも同じでしょう。99%の信頼というのはあり得ません。たった1回の不誠実な行いが,99回の誠実を帳消しにします。現代のような契約社会ではなおさらです。親があっさりと約束を破ると,子どもは親を信頼できなくなりますだからこそ,約束を守ることが信頼を保つ上で必須の条件になります。

●一般に,人はどのように他人を信頼するのでしょう。うさんくさいと思うのは,住所不定です。名前だけでは信頼には結びつきません。どこの馬の骨か分からないという言葉もあります。どこの? 住所が大事な決め手になるから,住民票が求められます。住所に変わるものが,勤め先です。ただこれは,いわゆる真っ当な職場という曖昧な条件が必要になります。住所が記載されている免許証や保険証,それが人の身分証明書,信頼のパスポートなのです。

●住所にはどんな意味があるのでしょう。居を構えていることは,そこに地縁が結ばれているという了解があります。まわりの人と信頼関係を結んでいるはずだというわけです。それが保証になります。家族という血縁もつながっています。もしも縁というしがらみをうるさいと切り離したら,その途端に誰からも信用されなくなります。金銭的資産が土地という担保にリンクしていたように,人的な信頼も生活している住所という保証にリンクされているのです。

●ちゃんと生活している,それが自分の保証価値になります。蛇足ですが,立派な居を構えているから,人としてエライ価値があるという風に短絡するのは無謀です。そういうことを言っているのではありません。真っ当に生きているか,地道に生きているかどうか,それが信頼を産み出します。小賢しく世間を渡るといった生活をしていると,当人は気づかないでしょうが,確実に人の輪の中で浮き上がります。子どもであれば,気の置けない友達ができなくなるでしょう。

●都会化した暮らしでは,近所づきあいが途絶えています。家の外に出たら,見ず知らずの人ばかりです。見ず知らずとは,どこの誰とも分からないということです。信頼できないので緊張して暮らします。信頼できる人が周りにいない暮らしは孤独です。その中でやがて人を信頼する気持ちが萎えていきます。家族でさえ疑うようになりかねません。疑心暗鬼というのは,人の心の闇の深みに向かうものです。

●会社に行けば信頼できる人がいるから大丈夫,でもそれは間に合わせに過ぎません。会社では密かに利害が渦巻いているからです。近所は利害とは無縁です。近隣トラブルがあると思われるかもしれませんが,それは信頼できる近隣関係を築こうとしていないからです。顔見知りであれば,お互いの間に遠慮が働きます。信頼関係は壊したくない,普通の人はそう考えるはずです。その暮らしぶりが,人を信頼し,信頼されることを子どもに納得させます。



 いろんな情報があふれて,知らないことがあってもネットで検索すれば簡単に答えが得られます。テレビなどでも,さまざまな出来事に対して正論がコメントされて解決されていくようです。なんでも分かっているという世界に住み慣れてきて,分からないままという世界を認めずに避けています。どうなるの?ということに答えが見つからない不安だけが感じられて,悩んでしまう人が増えてきました。答えが見つからないから楽しい,そういう感性を育てていかないと,子どもは育ちづらくなります。

★落書き★

 植物には,根と茎と葉があります。ところで,野菜のネギは,どうなっているのでしょう。細かく刻んで薬味にしたり,大きく切って鍋物に使ったりしていますが,茎はどこでしょうか? 丈長く伸びた白い茎のような部分は,ネギの葉なのです。茎は根元にわずかにあるだけです。根元の部分を縦に切ると,真ん中にタケノコを極端に短くしたような形のものがあり,それがネギの茎です。その茎の節から一枚ずつ葉が生えて,筒のように上に伸びています。私たちはネギの葉を食べているのです。


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