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「第 47-09 章」 |
『子育ては 明日の光を 目指すこと』
■子育て12チェック■
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『子育て第9チェック』
【希望させていますか?】
●青年期に差し掛かった頃に,若者は何のために生きているのかという疑問を抱くことがあります。大人でさえ,自分は今のままでいいのだろうか? このまま何も考えずに生きている自分とは何だろう? そんな思いがふっと襲ってきます。そのときは,思い悩むより,どんなに知恵を絞って考えても先のことは分からないと思った方がいいでしょう。なるようになるといった不真面目な思いも,間違ってはいません。先が見えないと不安になる人間の業は知恵を発揮しました。それは信じるという気持ちです。
●いじめを受けて死を選んでいく子どもが後を絶ちません。とても悲しいことです。ところで,いじめを受けたら子どもは必ず死んでいくでしょうか? 辛くても耐え抜いた子どももいるはずです。いじめはあってはなりません。しかし,たとえいじめられても死なない子どもを育てなければなりません。そんな子育てができるはずです。強くなくてもいい,負けない子どもに育ててやるのです。
●死を選ぶとき,気持ちは八方ふさがりのはずです。「生きていてもこの先いいことはない」,そう見限ったときに,ふっと魔の手に誘われるはずです。ふさがりの閉じた袋に風穴を開けておかなければなりません。それが希望です。「この先いいことはない」と思いこむのではなくて,「この先何かいいことがあるかもしれない,あるはずだ」と信じることです。今は辛い,でも辛抱していればきっといいことがある,それが生きる力の源です。何がある? そんなことは分からないけど,あるはずだ,と信じるのです。
●情報の洪水の中で,子どもたちはたくさんの知識を吹き込まれています。知りすぎた子どもは危ないのです。何でも分かっていると思いこむからです。子どもの知恵袋はまだ小さいのです。小さな袋に目一杯の知識を入れ込んだら,もう分からないことはないと思うのは当然です。分からないことがまだある,そう思っているとき,その袋のすき間に希望を詰め込むことができます。明日に楽しみを持つことができれば,生きようという気持ちになります。決して魔の手の誘惑にのせられることはないはずです。
●朝起きて顔を洗い歯を磨きます。そのしつけをするとき,どんなことを言っていますか? 「ちゃんと歯を磨かないと虫歯になるわよ」って言っていませんか? それは恐喝です。「にんじんを食べないと大きくなれないよ」,「言うことを聞かないと外に捨てちゃうからね」,これらは「○○しないとひどい目に遭う」というパターンです。明日の不幸をネタに脅しつけています。それが功を奏することは認めますが,そのパターンだけでは大事なことを伝え忘れてしまうのです。
●子育ては明日の不幸をネタに子どもを脅かすことではなくて,明日の幸福をネタに子どもを励ますことなのです。「歯を磨いたら気持ちよくなったでしょう」,「にんじんを食べたら大きくなるよ」,と楽しくなるように導くことが大切です。よいことが起こると思えば,やってみようという気になるはずです。脅されて渋々するよりも何倍も気分がいいでしょう。このように楽な気持ちになることが直接的な効果ですが,もう一つ忘れてならないことは,先を楽しみにする癖がつくということです。
●普段の暮らしの中で,先にいいことがあると思う癖をつけておけば,何事も前向きに考えるようになります。育ちとは明日に向かって楽しみを追いかけることですから,正に真っ直ぐ育っていけます。このような考え方をするしつけをしておけば,自然に希望を信じられるようになります。毎日脅かされていては希望など持ちようがありませんし,ましてや信じることはできないのです。
●教室の黒板の上などに「明るく元気な子」と掲げてあります。ネクラな子や弱い子は自分がそうではないことを思い知らされています。教室は自分が来るところではないと思わされます。保健室なら通うことができます。そこは弱い子が行く場所だからです。ホッと安心できます。目当てとして掲げているだけで,追い詰める積もりのないことは分かっています。しかし,言葉は積もりを運ばないのです。受け取る側の気持ち次第で意味が変わります。
●学校は病院ではありません。弱い子を元気にしたり,暗い子を明るく矯正する所ではありません。学校の目標を考え違いしてはいけません。子どもたちという集団では,強い子もいれば弱い子もいるし,明るい子もいれば暗い子もいます。比較すれば必ずその違いは現れるはずです。学校で学ぶことは,強い子と弱い子が仲良くすることであり,明るい子と暗い子がどうすれば楽しくつきあえるかということです。
●ネクラでも生きていける,弱くても生きていける,それが社会の基本です。それを教えておかないと,弱者を否定し,病者をむち打つようになります。中学生が無宿の人に襲いかかっていくのは,それが正しいことだと教え込まれているからです。明るくなくてはいけない,元気でなくてはいけないという尺度に固まると,生きづらくなります。そのはけ口として,弱者を見つけて痛めつけたくなっていきます。
●子どもにとって大事なことは,弱くても暗くてもいいと認められることです。それを認めてもらえなかったら自分を否定しなければなりません。否定された自分は育ちようがなくなります。自ら間引きする運命を突きつけられます。人は変わります。子どもは育ちます。今の姿が永遠に続くのではありません。この先どう変わっていくのか,自分の変わり様,育ちを信じることが大事なことです。そのためには,今の我が子を否定しないことです。
●一日のあれこれを終えて,夜具に身を横たえたときに,「やれやれ,今日も無事に終わった。寝るだけが楽しみ」と呟いておられませんか? もしそうであったら,たいへん失礼ですが,あまりお幸せではないということになります。夜眠る前に,明日の朝起きるのが楽しみな人は幸せな人だそうです。今日を終えて寝ることが楽しみな人は,明日の楽しみが見えていない,見ようとしていないという意味で,幸せを手に入れ損なっているというわけです。幸せとは与えられるものではなくて,自分から見つけるものなのです。
子育てに直接に関連がないかもしれませんが,近頃の人情の動きを見ていると,後先を考えないといった印象が強くなります。「腹が立ったから刺したが,殺意はなかった」といった戯言をいい年をした大人が言います。刃物を持っていて刺すことが殺意であるという簡単な見境がついていません。こうしたらこうなるという,物事の推移を見届けることができなくなっているのは,事の継続性をしつけられていないからです。時間の流れの上に生きているという認識の希薄化が心配です。
★落書き★
植物はただ生えているだけのようですが,実は細菌やカビなどの有害なものを殺し,繁殖させなくするフィトンチッドを出しています。柏餅や桜餅の葉,寿司につかう笹も,見た目や香りがよいというだけではなく,腐敗を防ぐという役目が期待されています。弁当入れに使う折り箱や竹の皮も,同じです。植物も生きようとしていることを,昔の人はよく感じ取っていたのでしょう。共に生きようと願って,暮らしの中に取り入れてきたのです。
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