*** 子育ち12章 ***
 

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「第 47-10 章」


『子育ては 次につながる 道教え』


■子育て12チェック■

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『子育て第10チェック』

【継続させていますか?】

●学ぶということで最も直接的な話題は試験でしょう。大学の入学試験でとても気になる傾向が現れています。志望している学科で必要な科目を避けて,点の取れそうな科目を選択するので,入学後の授業が分からず,教える方が高校までダウンさせなければならず無駄な時間を費やされます。試験では,問題を完全に解き終えたものは一問もなく,全て部分点で合格になっています。受験テクニックでしょうが,学びとしては全く意味がありません。少なくともこれは解ける,それが力です。中途半端では,何もできないのと同じです。

●育ちとはできることを一つ一つ積み上げていくことです。親としてそれは分かっていますが,子どもはあれこれやりっ放しで,最後までちゃんとやり通すことをしていないようにみえて心配です。この最後までということを考え直してください。親は2階まで届くことを最後と思っていますが,階段を一段上がることでいいのです。例えば,試験で全問正解して100点を取ることがちゃんとやり通すことではなくて,一問でもきちんとできていれば着実に上っていると思うことです。

●生きるためには,行動能力の行使がもたらす帰結を推察する能力が必要です。簡単にいえば,こうしたらこうなるという予測をする力です。一つの行為が次の行為につながっているという継続の認識です。ビンをコンクリートの壁に向かって投げたら割れる。割れたら面白い。だから投げて遊ぶ。これでは,予測が不十分です。割れた破片が人を傷つけることを考えていません。危険だということを推察できたら,遊びを止めることができるはずです。次のことを想定するという思考の継続性が大事になります。

●他者に対する弁えばかりではありません。夜更かしをする。翌朝はぼんやりしている。午前中の授業は寝ぼけていてよく分からない。勉強についていけなくなる。学校が面白くなくなって夜更かしに逃げる。こうして落ちこぼれスパイラルにはまっていく? ボタンを掛け違うと,自分自身の物事さえ望ましくない方向に継続していきます。子どもはあらゆる可能性を持っていると言われます。そこでは何を選ぶかという自己責任があるはずです。育ちという積み上げプロセスでは,一つの育ちが次の育ちの選択範囲を限定していきます。

●子どもたちはパソコンを取りあえず使っているうちに大して苦労をせずに覚えていきます。大人はまずマニュアルを読むことから始めるので,なかなか習熟できません。この取り組み方の違いはなぜでしょう? 大人は理屈から入ろうとしています。つまり,こうしたらこうなるという段取りが分かっていないと始められなくなっているのが大人なのです。IT教室で,ここをこうしたらこうなりますという説明を聞きます。手順という段取りを習うのです。段取りを知ることで,安心してマウスをクリックできます。

●パソコンをやっているうちに何となく覚える,それは使い方までです。与えられたソフト以上のことはできません。自分流にするためにはプログラムを段取りに沿って構築する作業が不可欠です。機械装置とのコミュニケーションだけではなくて,人とのコミュニケーションでも同じです。言葉という部品を一つの意味を持った文章にするためには,順序よく並べることが肝要です。読むことはできても,書くことは段取りを考える力がなければ実現できません。

●こうすればこうなる,それは基本的に論理の世界であり,物事が継続している世界です。そんなことを考えるのはめんどくさい,うざったいと逃げている若者が多いのです。直感的な世界に育っているためです。格好いいという感性の世界の他に,なるほどそうかという理性の世界が大人の社会の核です。子どもたちが「なるほどそうか」と段取りを分かる世界に楽しみを持てないと,人生を切り開くという手だても失うことになります。希望とは何とかできるのではないかという継続して考える力への信頼から生まれるものです。

●物事の継続性は,段取りであり,あるいは前提という条件が結果を生むという流れでもあります。おもちゃを片づけるようにしつけたかったら,おもちゃを入れる箱を用意することが前提です。玄関の靴を揃えさせたかったら,靴の形を床に描いておくことも一つの前提です。言葉を教えたかったら絵本を一緒に読み聞かせしてやることです。勉強させたかったら雰囲気を作って巻き込むことです。パパとするキャッチボールも,毎日しているうちに上手になります。できるようになるためには,毎日の練習という前提が必要です。

●子どもたちが結果だけを求めて,練習を嫌がっているのは,前提が不可欠ということを教えられていないせいです。何かが欲しいときには買ってくればすぐに手に入るというのではなくて,ママの手作りをじっくりと楽しみに待つという経験が不足しています。ママの炊事の手伝いをしていた子どもは,美味しいものができるプロセスに参加できたから,自然に面倒な前提を苦にしなくなり,かえってできあがりを楽しみにするように育っています。

●草花やお米を植えて育てる体験も,肥料や水やりの世話をすることで生きることの前提を学び,自分の育ちの段取りを考える例題になります。人も同じように食物を食べ水を飲んで育っていると実感できることが大事です。暮らしはいろんな前提の上に成り立っています。子どもを暮らしから切り離したことで,雑用と呼ばれている前提を子どもから取り上げてしまったのです。汚れたものは洗濯をする,それが清潔さをしつける前提だということを忘れないでください。

●子どもから尋ねられる「何?」という質問は簡単に答えられますが,「どうして?」という質問には詰まってしまうことが多いはずです。どうして?は理由を尋ねており,こうだからこうなるという因果関係を含む論理だからです。2+3は5と覚えてしまうのが,何という質問の答えで,単なる記憶型の学習です。2+3はどうして5になるのか,それが計算の仕組みを理解する学習です。足すことの意味が分かれば,応用が利くようになります。何という勉強と,どうしてという勉強では,次への継続という面で差が出てしまいます。

●人を叩いたらなぜいけないのか? 人にバカと言ったらどうしていけないのか? お店の品物を勝手に持ってきたらなぜいけないのか? 子どもが分からなければならない仕組みがたくさんあります。もちろん,いけないことと覚え込ませることで初期のしつけはできますが,次の段階にはどうしてかというわけを納得させておかなければなりません。万引きはいけないと分かっていても実行してしまうのは,納得していないからです。しつけには,知る,分かる,納得するという継続した段取りがあるのです。



 植物が伸びていく先端は芽です。その芽を摘んだら,成長が阻害されます。子どもの生きる力が成長している芽は,どの部分なのでしょう? 子どもが日々直面している失敗の局面です。失敗する直前まではできるのに,失敗するところがまだ育っていません。それは,失敗するところが成長の芽であるということです。失敗を繰り返しながらやがて失敗しなくなることが,成長するということです。失敗を恐れて用心することは,成長の芽を摘むことになります。失敗しないと成長はない,それが子育ちの鉄則です。

★落書き★

 間違いやトラブルは起こるものです。そのときに,「私はちゃんとやったのに」という台詞を言う人で,幸せになった人はいないそうです。不幸の法則という人もいます。「私も,もう一度確認すればよかった」と言う人が,よい人生の道に乗るようです。私はちゃんとやった,それは周りの人のせいにすることであり,間違いを繰り返さない次への対処を放棄しています。自分にできることが何かをみつけようとすることが,人の成長であり,社会の力に貢献することになります。


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