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「第 47-11 章」 |
『子育ては できないことを できるまで』
■子育て12チェック■
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『子育て第11チェック』
【失敗させていますか?】
●指示待ちということが言われて久しくなります。すっかり影をひそめたわけではなくて,ごく普通になったということです。大人の論調は子どもたちを責めたり嘆いたりという風ですが,実はそんな子どもに育てたのは,他ならぬ自分たち大人なのです。そんなこともいちいち指図しなければできないのか,と大人に言われてしまいます。経験したことがないことはできるはずがありません。いろんなことの体験をさせずに,ただ塾に行かせていれば全てのことが間に合うという過信が,指示待ちの子どもを育てるのです。
●もう一つのしつけ上の理由があります。子どもは何かをやっていると必ず失敗をします。そのとき親は「どうして失敗したのか」と責め立て,あげくには「余計なことはするな」と叱りつけます。こんなことが度重なると,子どもは言われたこと以外には手を出そうとしなくなります。言われたらします。それでも失敗をします。でも,今度は違います。自分でしようとしたことで失敗したんじゃない,しなさいと言われたからしていて失敗したんだから,失敗するようなことをさせた方が悪いという理屈で自己弁護ができます。
●言われてすることでは叱られないという安心があります。不始末をしても,していいと言ったじゃないかという反論ができるのです。つまり,子どもたちは失敗することを極力避けよう避けようと育っていくのです。失敗を許さない子育てが,指示待ちの子どもたちを見事に育て上げたといえるのです。指示待ちの子どもたちは,そう育つしか仕方がなかったというわけです。全ては大人のせいです。失敗の責任から逃れるために指示を待っているのです。
●親は常にちゃんとできることを求めます。忙しい毎日に急きたてられて,のんびり待っている暇はありません。何でもパッパと済ませないと,時間がないのです。子どもの世話とは,育ちを支援することなのに,親の都合が優先されて,子育ちの都合などは目もくれてもらえません。育ちの途上にある子どもは,ポッツリポッツリできるようになっていくものです。親がさっさとやってしまい,子どもは練習を取り上げられて,できるようにはなれません。いつまでたってもできないんだから,それはさせていない方が間違っています。
●新しいことをやらせないと,育ちが止まります。したことがないことは,できるかどうか分かりません。子どもは自分の力がどうなのか分からないから臆病になり,親も心配だからやらせたくないと抑制します。こうして親子とも,子どもが何処までの力を発揮できる育ちをしているのか見えなくなっていきます。何でもやらせてみることです。失敗していいのです。失敗の一歩手前までは確実な実力です。もう少しでできる,それが実力の成長を示しています。親も子どもも,ここまではできると自分の力を知ることが大事なのです
●スポーツの練習では,できることのちょっと先を練習します。なかなか捕れないボールを追っかけます。やがて捕れるようになります。それが育ちのステップなのです。失敗の連続を重ねることで育ちが促されます。失敗は「育ちの芽」と考えるべきです。もし,子どもから失敗を取り上げたら,それは大事な育ちの芽を摘み取ることになります。失敗をしなくなること,それが育ちであるということは,子どもが転ばなくなったときが歩き始めたときであると思い起こせば,納得してもらえるでしょう。
●失敗を責めて,失敗がしていけないこと,そう教え込んだら育てなくなるという意味が分かっていただけたでしょうか? 確かに失敗は親にとっては待たなければならないので,余計な時間を必要とします。場合によっては後始末で予定外の時間と手間がかかる場合もあるでしょう。その世話が親としての本物の世話なのです。世話が焼ける? 親だからこそ引き受けられるのです。親の安心は子どもの育ちを邪魔することでしかありません。
●健全育成。大人が子どもについて語るとき,必ず飛び出す言葉です。健全育成とはどういうことなのでしょうか? 健全とは,子どもが迷惑を掛けたときに済まないと感じて,しないようにしようと思うことです。ちょっぴり羽目を外してやりすぎたとき,迷惑を掛けます。それに気付かせることがしつけですが,それはいきなり叱りつけることではありません。親がすべきことはとにかく引き受けてやることです。失敗や不始末,ちょっとした悪さをしでかして,しまったと子どもに思わせたらそれでいいのです。
●何がいけないことか,それはやってみないと分かりません。どうすればいいか,それは失敗しないと分かりません。失敗することで軌道修正する力を獲得します。育ちは自転車に乗るのと似ています。右に振れたり左に振れたりすることで,真っ直ぐに進めます。良い方や悪い方に振れることが大事であり,もしも良い方だけしか舵取りできなかったら,育ちという自転車は倒れてしまいます。子どもは失敗体験から健全な舵取りを学びとります。
●子どもたちに今求められているものの一つは,歯止めです。やり過ぎに対する自制が効かなくなっています。冗談やふざけるにしても程があるということです。予防接種はわざと感染させることで抗体を作り出させる療法です。感染した経験がないから,暴走して危険域にまで突入していきます。子ども時代に些細な失敗をたくさんして程度を弁え,早い立ち直りをする習慣がついていれば,その後は深みにはまらなくて済みます。
●最近の親は過保護になっていると言われています。子どもを保護するのが親の務めです。親は子どもを保護しようとします。その心根は決して間違ってはいません。ただ,保護の仕方が拙いだけなのです。保護ということを勘違いしているところがあります。例えば,親は保護するために,子どもからナイフを取り上げました。ナイフを持っていると失敗して,手に傷を負うことで,人の身体には赤い血が流れている,傷つけると痛い,こうして生身の人間を体感します。その体験がないから,ゲーム感覚でナイフを人に向けます。
●子どもの失敗は時として痛い目に遭うことになります。しかし,失敗を取り上げたら,子どもはいつまでも育てません。そこで親の務めは,小さな失敗をさせながら,大きな失敗にならないように見守っていなければなりません。大きな失敗から守ること,それが適切な保護なのです。小さな失敗もさせないように親が先回りして対処してしまうこと,それが過保護になります。
●やっと伝い歩きを始めた赤ちゃんが転んで怪我をしないように,赤ちゃんの身体を掴まえて支えるのが過保護です。赤ちゃんが転んでも頭をぶつけて怪我をしないように周りのものの方に手を添えておくのが保護です。歩けるようになるということは,転ばないようになることです。転ばせないと歩く練習にはなりません。できるように育てるためには,できないことを克服させなければならないのです。
失敗を許してやらないから,反省をすることができなくなっています。失敗したら,そんな嫌なことは早く忘れたい,そうして失敗から目を逸らして逃げていきます。失敗はその後に反省というステップに入ることで生かされます。どこまではできたのかを確認した上で,どこで間違えたのか,どこができなかったのか,それを見極めるのが反省するということです。できなかったと悔やむことが反省ではありません。失敗と向き合う気力をもたせることが,そばにいる親がしてやれる役割です。
★落書き★
子どもとトランプの神経衰弱をすると,大人は負けます。大人と子どもでは,覚え方が違っています。子どもの脳は置かれたトランプの配置を地図を見るように面で覚えます。大人は「上から二段目の左から三枚目がハートの9,その斜め下がクローバーの3」と点の位置で覚えようとします。そのために覚える情報が複雑で多くなるために混乱してしまいます。パッと覚えている子どもには勝てなくなります。
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