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「第 48-09 章」 |
『子育ちは 小さな工夫に 楽しみが』
■子育ち12習慣■
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『子育ち第9習慣』
【平凡な暮らしを楽しむ】
●かつて言われていた飽食という言葉が聞かれなくなり,美味しいものを求める情報が日常的に氾濫しています。味覚が贅沢になったということなのでしょうか? 一方では,心の味覚である関心もまた,面白さ・楽しさに貪欲になっています。時代に育てられている子どもたちも,面白さという関心に浸っているために,人の情動に対する感覚が鈍くなっています。面白くて人をいたぶってしまうのも,思いやるという感性を埋没させているから,いじめと感づくことができなくなっています。面白おかしくの世界から脱出すべきです。
●人の感性には,慣れという特徴があります。面白いことも,慣れてくると面白くなくなり,もっと強烈なものでなければ感じないという鈍化が進行します。お菓子やおかずだけ食べているから,激辛や激甘を求めます。パンやご飯を主食にすることは,味の薄いもので味の感度を修復することができます。ご飯でもよく噛めば甘く感じることができます。今の暮らしが陥っている副作用は,五感の感度を鈍化していることです。心の健康のためには,刺激の少ない倹しい日常の世界に感度を高めておく必要があります。
●在ることが当たり前ではなく,無いことが当たり前という発想に戻らなければなりません。人は0から出発して生涯を送ります。それは,自分の能力で生活のあれこれを一つ一つ積み上げていくことです。親のすねをかじって,我が物にしていくのは楽でしょうが,生き方として不幸です。何も持っていなかった自分が,努力をして今はこれを持っている,そのことを楽しむように気持ちを動かしましょう。空腹であれば,ありふれた食事が美味しく味わえるというものです。心身の空腹を恐れずに,普段の中に取り入れておきましょう。
●平凡な暮らしのリズムを楽しむことができます。例えば,朝起きる時間を30分早めてみます。朝の時間の過ごし方に余裕が生まれ,気持ちがゆったりしてきます。時間に追われて飲み込んでいた朝食を,味わって食べることができます。人にあれこれ指図されて過ごす生活を,自分で決めて過ごす生活に変えると,楽しくなります。楽しみとは与えられるものではなく,自分で作り出すものです。生活のあれこれを工夫しようという気になりさえすれば,楽しみはそこここに転がっています。自活の楽しみを教えましょう。
●人生を楽しむ。人生の喜びを深く味わう。自分の人生を満喫し,一瞬一瞬を楽しんでいますか? 正しい姿勢でいれば,平凡なことすら素晴らしいものになり得ます。その気になれば,朝ごはんを食べること,ベッドに入って眠ることすら,この上ない幸せなことだと思えるようになります。素晴らしい体験を思い出しましょう。そして,頭の中でもう一度同じ体験をします。研究によると,このような「ポジティブな回想」を行うと,3人に1人が抱えている問題に対して,有効な考え方ができるようになることが分かっています。
●暮らしだけではなく,自分自身を平凡な存在と認める謙虚さがあれば,育ちそのものを楽しむことができます。甘やかされて自分を特別な存在と勘違いすると,育ちに対する意欲は湧かず,楽しみではなく愚痴が出てくるばかりでしょう。平凡ということはダメであることではありません。自信を持って平凡であればいいのです。平凡であるからこそ伸びる余地があり,少しずつでも伸びていくことをうれしく感じるはずです。日々がつまらないと感じるようになったら,育ちが滞っているかもしれません。
学習しようという意欲は,自分が無知であるという自覚を持ったときです。知りたい,知らなければ,という欲があるから,学びます。少しずつでも分かっていけば,学びが楽しくなります。無いものを求める欲望があれば,満たされるときに快感があります。満腹では,何を食べても美味しくはありません。ハングリー精神が意欲になるといわれることがありますが,子どもの育ちに必要なことは,自分が未熟である,弱い存在であるという自覚です。ダメという他者からの評価ではなく,弱点に自ら気づかせる導きが大事です。
★落書き★
キュウリは青臭いということで,嫌いな子どもがいます。幼い頃,畑で取り立てのキュウリに味噌を塗ってかじったことを思い出します。昔は黄色く熟れるまで待って食べていたそうです。それで黄瓜と呼んでいたことから,キュウリとなりました。ところが,マクワウリのような美味しい黄色のウリが入ってきたために,黄瓜は青いうちにとって,みずみずしさを味わうようになりました。そのため,キュウリ=黄瓜と結びつかなくなってしまいました。
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