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「第 49-01 章」 |
『子育ちは 自分を見つめる もう一人』
■子育ち12笑顔■
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『子育ち第1笑顔』
【溢れる笑顔】
親が「勉強しなさい」と言うと,子どもは「しようと思っていたのに」と言うことがあります。親は一体何を見落としているのでしょうか? このすれ違いを考えてみます。
親は子離れをしなければと迫られますが,親離れした子どもとはどんな子どもになるのでしょうか。生まれてからずっと一心同体だと信じていた母親がときどき自分を離れていきます。どこに行くのか見ていますと父親の所です。
そこで子どもは大好きな母親がなぜ自分より父親の方を選ぶのか,自分と父親はどう違うのか,そんなことを感じ取ります。父親を意識し,父に対する自分を見つめる「もう一人の自分」が誕生します。これは第二の誕生になります。こうして母親を子どもから取り上げる役目を果たすのが父親の出番です。
もし子離れができないと,もう一人の子どもが生まれず,母親がのりうつることになり,母親の気に入るように,依頼心の強い子どもに育ちます。親離れとはもう一人の子どもの誕生のことなのです。自分は母親や父親とは違う存在なのだという思いは人見知りとしても現れてきます。
子どもたちや若者の思考傾向として「3K嫌い」という言葉を耳にしたことがあると思います。3Kとはキツイ,キタナイ,キケンという意味で,3Kのある仕事を嫌うということです。考えてみますと,3Kがあるのは手の世界です。そしてそれは自分の世界だと言えます。一方,もう一人の自分の世界である目と耳の世界には3Kはありません。3K嫌いということは,もう一人の自分が自分の世界を拒否していることになります。そこで,自分を喪失し,『一日が 暮れりゃ寝るだけ 明日が来る』と,何となく生きることになります。
3K嫌いの問題点は生きている自分を認知しないことにあります。子どもには自信を持って育って欲しいと願いますが,その自信とは自分をもう一人の自分が信頼することです。もう一人の自分が主導権を握り,きついな,面倒だな,恐いな,嫌だなという自分の思いを押さえ込めるようになったとき,自立することができます。
支配されている人に笑顔はありません。親の目を伺う子どもには笑顔がありません。笑顔が溢れているということが,子どもがもう一人の自分を持っているという証になります。子育て羅針盤では,もう一人の自分という言葉で,自我の存在を表現しています。
子どもの喚声。それは街に命を与えてくれます。新しい生命が育っているからです。大人しか住んでいない街では,明るい日と書く明日は見えません。ところが,その子どもたちが元気を無くしています。若木がしおれた時には土地や気候に問題があるのと同じように,子どもたちを育んでいる社会や家庭の有り様が健康ではなくなっているのかもしれません。子どもが生き生きと育つような環境を目指すことを通して,私たち大人の暮らしぶりを見直してみることが必要でしょう。この版では子どもが育つうえで大切なポイントについて,笑顔をキーワードにして述べてまいります。子どもを鏡として私たちの暮らしぶりも映し出せるようにしてみようと思っています。
★落書き★
湯船につかりながら,風呂という字を思い浮かべたとき,どこが風? 呂とは? という疑問に取り付かれました。日本人がお湯を張った風呂に入り始めたのは足利時代末期,庶民が入るようになったのは江戸時代からです。以前は,蒸し風呂でした。風は水蒸気,呂は深い部屋という意味で,風呂とは蒸し風呂のことだったのです。熱かったので火傷をしないように湯帷子(ゆかたびら)という麻の着物を着て入っていました。この着物は,"びら"がとれて「ゆかた」と呼ぶようになりました。
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