*** 子育ち12章 ***
 

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「第 50-04 章」


『子育ちは あなたいるから 私いる』


■子育ち12心能■

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『子育ち第4心能』

【共生心能】

《まえがき》
 ハーバード大学のハワード・ガードナーが多重知能という概念を提唱しています。脳の研究によって,ある部分は視覚に,ある部分は聴覚に,ある部分は情動に関係しているというように脳の機能が分かってきたことを受けて提唱されました。提唱された多重知能とは,言語的知能,論理数学的知能,音楽的知能,身体運動的知能,空間的知能,博物的知能,対人的知能,内省的知能の8つです。
 これらは学校教育の中で教科として成り立っていて,国語,数学,音楽,体育,図工,理科に対応しています。ところで,最後の方の対人的知能と内省的知能というのは教科として存在しません。この2つ,すなわち,人と人との間の関わりに関する知能と,自分自身の中を見つめる知能が,サロベイ,メイヤー,ゴールマンが提唱している情動知能(Emotional Intelligence)に当たります。
 この版では,情動知能に基づく研究の結果を参考にさせていただき,羅針盤らしくまとめてお届けします。子育て羅針盤12章では,奇数章で自分自身に関する「私の育ち」(→内省的知能),偶数章で人との関わりである「私たちの育ち」(→対人的知能)を考えていますので,構成が偶然にも一致しているということが幸いしています。
 心能という言葉は,この版のために創り出した造語です。情動知能が心の知能とも呼ばれているというところから,心能と略して使っています。造語ですので,世間では通用しないことをご留意ください。

《協力心》
 人は人間環境の中で,人として育ち,人として生きていかなければなりません。もう一人の自分が野放図になる自分を抑制するという自制心が必要ですが,それだけでは十分ではありません。自分が生きるために周りの人の助けを必要としますが,それは立場を変えると,周りの人が生きることに対して助けることを引き受けることになります。お互いに協力してこそ,人はお互いに共生していくことができるのです。この至極当たり前のことを,当たり前として身につけていないと,生き辛くなります。

○お子さんは,だれにでも,進んで手を貸してあげられますか?

 どんな子どもに育ってほしいかという親の願いには,思いやりのある子どもというのが上位にあります。思いやりのある子どもって,どんな子どもでしょうか? 側にいる人に手を貸してあげられる子どもです。困っているだろうなと思いやるから,手を貸してあげることができます。思っているだけなら,気持ちが封じ込められているので,完結していません。だから,手を貸してあげれば良かったと,後悔が残ります。「進んで」という気持ちを行動に転化する思い切りを,もう一人の子どもができるように後押ししてやりましょう。

○お子さんは,みんなのためなら,いやなことでもやろうと思うことができますか?

 いやなことはやりたくないものです。そのことを認めた上で,いやな気持ちを抑え込み,その上に皆のためという使命感まで持たせるのは,かなりな無理難題です。大人でもいやなことですから! ところで,好きな人のためなら,いやなことも苦になりません。もっとも身近にいるお母さんがお手伝いをして貰って,ありがとうと笑顔を返しましょう。喜んでもらえた,喜んでくれる人がいる,そのことにもう一人の子どもが気付くことができると,周りの人にしてあげるという入口が開きます。

○お子さんは,同じ友達とだけではなく,いろいろな友達と遊んでいますか?

 仲良くする友達がたくさんいなければと思うと,つらくなります。子どもの悩みの中で,友達が急に他の友達と仲良くなって,遊んでくれなくなったということがよく聞かれます。このことは同じ友達とは慣れっこになって刺激が無くなってくるから離れるという自然な成り行きです。お互いに別の友達を作っていけばいいのですが,そこでいきなり仲良しの友達になろうとしても無理です。仲良しではないが,時々遊ぶという友達,何となく知っているという友達予備軍,そんな多様な友達関係を作っておくことが大切です。



 子どもに読み聞かせをするということが推奨されています。社会的に推奨しなければならないほど,読み聞かせが日常から消えているということです。子どもにお話を聞かせるということは子守歌と並んで,子育ての基本的なパターンであったのです。同じ話を毎日せがむ子ども。本を読むという大人の感覚では意味が分かりません。どこが面白いのかと? 読み聞かせの最大の意味は,自分だけに向かって語り手の生の言葉が投げかけられているという喜びなのです。自分を見ていてくれる温もりが,言葉を温かく感じさせているのです。

★落書き★

 手塩にかけた息子や娘,という言い方をします。手塩にかけるというのはどういうことでしょう。他人の手を借りずに自分で大事に育てるという意味です。それがどうして手塩とつながるのでしょう。手塩とは何でしょう。昔,食事はご飯が中心で,おかずは添え物程度であり味付けも簡単でした。そこで一人一人のお膳には小皿に盛った塩が用意されて,好みの塩加減にしていました。それが手塩です。自分の思い通りにするという意味が添えられたのです。


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