*** 子育ち12章 ***
 

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「第 5-14 章」


『ご近所の 大人をつなぐ 明るい子』


 ■はじめに

 都会化で近所づきあいが狭くなり,地域は本来の機能を果たしていません。
 子どもたちの社会性は地域での生活から育まれるという点を忘れています。
 社会性とはどういうことかという共通の理解が曖昧になっているからです。

 社会性は学校や幼稚園に行っていれば育つと思われているかもしれません。
 確かに幼い段階では必要なことなのですが,必ずしも十分ではないのです。
 社会性は自分と違った人とのつきあいの仕方を身につけることだからです。

 違った人とはただ単に友だちとしての他人であればというではないのです。
 大人から子どもまで,知っている人から知らない人まで,すべての人です。
 人の間合い,人間距離を臨機応変に保つことが社会性というものなのです。

 今の子どもたちのつきあい状況は大人といえば親と先生だけしかいません。
 これでは大人に甘えるか,逆に敵視して怖がることしかできないでしょう。
 成人式で騒ぐ甘ったれた若者は人とのつきあい方を学べなかったためです。

 友だち関係でも仲良しでなければいけないと思い込んでいる節があります。
 仲良しでなければ敵対関係になるといった偏狭な構図がイジメを生みます。
 仲良しでもないし敵でもないという柔らかなつきあいが社会性の基本です。

 家庭は親がどんなにフランクであったとしても親子の関係しかありません。
 学校は同じ歳の子どもでまとめられており違う人との関係は持ち得ません。
 子どもの社会性の教習所は地域しかないということを是非理解して下さい。



【質問5-14:あなたは,ご近所づきあいを楽しんでいますか?】

 《「ご近所づきあい」という内容について,説明が必要ですね!》


 ○誰がつき合うのでしょうか?

 ご近所といえば,向こう三軒両隣が出発点でした。「遠くの親戚より近くの他人」という言葉もありました。緊急の場合すぐ傍にいる人に手助けを頼めなかったとしたら,不安になります。傍にいる人を信用できない暮らし方は,昔は正真正銘のネクラ状態でした。

 ディジタル世代のものの考え方は0か1か,オール・オア・ナッシングという特徴を持っていますが,それが人付き合いにも色濃く出ているようです。親友か,無縁な人か,二つしかありません。こんな窮屈な人づきあいはありませんし,その結果世間を狭くしていては心安らかな暮らしは望めません。人づきあいはアナログ型のはずです。中間的ないろんな親しさの段階があってこそ,暮らしが心豊かになれます。

 「秋深き 隣は何を する人ぞ」という句はどんな意味なのでしょうか? 隣人を知らない薄情な暮らしぶりを示唆していると思われています。そこで都会の冷たさを嘆くときによく引き合いに出されることがあります。でも,詠み手の思いは全く逆なのです。隣の人はいったいどんな人だろうと気になっているのです。無関心ではなくて,関心が湧いてきています。それが人としての自然な気持ちだからです。

 テレビに出る人のことはよく知っているのに,ご近所の人のことは案外と知らないままに置かれています。まず名前を知ることからはじめてみてください。子どもさんと散歩や買い物に出かけている道すがらの家の方と出会ったら,軽く会釈することです。小声でもいいですから挨拶すればなおいいでしょう。挨拶は只ですし,何の利害も関わりません。はじめは知らない人であってもこちらから声を掛ければ,やがて返事が返ってくるはずです。きっとお子さんを見守ってくれる味方になって頂けるはずです。

・・・あなたが声を掛けた方とつきあいが生まれます。・・・


 〇何処でつき合うのでしょうか?

 最近の家は用心第一で簡易要塞になっています。ピッキングの被害が喧伝されるのですから,誰しも守りを固めたくなります。しかし,ブロック塀による守りの姿勢は閉鎖的であり,人への信頼を拒否しています。縁側のような人を受け入れる空間を切り捨てたことは,人を不安に閉じこめます。

 用心の第一は本来人目があるということです。家人だけではなく,ご近所の目が届いているという開放性です。プライバシーを守ろうとするあまり,人目が届かない不用心さを招いていることに気付かねばなりません。その上で,意図的に生活の一部を開こうとする努力が必要になります。

 ところで,天気を知りたいとき家の中でひまわりの映像をご覧になっていませんか? 外に出て頭上の雲行きを自分の目で確かめるようにされてはいかがでしょうか。天気は西から変わります。西の空に黒雲が出てきたらやがて雨降りです。外に出るのは健康にいいですし,なによりご近所の方との共通の場に立つことができます。人と会うのがイヤというのは関わりを面倒だという気持ちでしょうが,人はそんなに深く関わろうとするわけではありません。

 黙ってお子さんと話していればいいのです。親子の姿は誰にとってもほほえましいものなので,人はきっとにこやかに温かい目で見ていてくれます。子どもが人の心に優しさを蘇らせてくれます。子どもが人を信頼するような育ちをするためには,ご近所の人たちは味方だという日常の眼差しを感じさせることが大切です。子どもは優しい大人の目に囲まれて生きているのです。

・・・あなたがご近所を信頼の場と思えたら,いいつきあいができます。・・・


 〇何時つき合うのでしょうか?

 お子さんが幼いうちはご近所だけを開拓しておけば済みます。ところが一人で出歩くようになってくると,ママも地域という場につながりを持っていないと,子どもとの隙間が広がります。ところで,地域とは何処をイメージすればいいのでしょうか? 地域というのは「歩いていける範囲」と定義してください。すなわち,具体的には小学校校区です。

 1年生が雨の日に傘を差して歩いて通えるのですから,最も大切な子育ちの場です。もしかして学校に出かけるときに,車を使っていませんか? 1年生だって歩いているのに,大の大人が車とは情けないですね。それより何より,大事な出会いのチャンスを失っているのです。歩いていれば同じ場所に行くときに,ご一緒できますね。そこで短くても情報交換ができ,知り合える人が増えるはずです。車だったら,人との出会いを切り捨てています。

 通学路を歩けば,子どもがどんなところを毎日歩いているのかよく分かります。途中のお宅に犬がいる,花が咲いている,水たまりがある,子どもに見せたくない看板がある,道路傍の水路のフェンスが破れている,田圃がある,人気がないところがあるなど,いろんなことを知ることができます。子どもと環境のつながりが見えてきます。

 地域で始まったあいさつ運動を傍目で見ながら,そんなことをして何が変わる?という懐疑を浮かべる人がいます。見えないことをいいことに,そこに生まれる価値を見ようとしていません。子どもは隣のおじちゃんと仲良しで,「危ないよ」の声かけをしてもらっているのに,見えないままにしています。自分の足で歩いて,自分の目を開き,自分の耳を傾け,自分の考え方を素直にしさえすれば,人の温もりが地域に溢れていると感じられるでしょう。

・・・あなたが出会いを楽しみたいときに,温かなつきあいが始まります。・・・


 〇何をもってつき合うのでしょうか?

 ご近所における三大迷惑は,騒音,無断駐車,ペットだそうです。どれも自分勝手な振る舞いです。陰口をいくらたたいても事態はよくはなりません。かえって妙な雰囲気を作りだして,意固地な進展を招きかねません。そうなると役所に告発電話をするといったところに向かいます。自分たちの住む場所は自分たちでできることをしない限り,決してよくはなりません。

 我慢しろと言うんですか,と詰め寄られそうですが,そうではありません。もう少し,お付き合い下さい。地域で何らかの行事が催され参加を求められると,「地域の世話にはなっていないから」と拒否される方がおります。地域にすればそんな方がそこに住んでいるだけで迷惑なのですが,まさか面と向かってそうは言えませんね。

 近隣トラブルの大部分はご近所づきあいができてないことから派生します。見ず知らずの赤の他人と思っているからです。お隣のお嬢ちゃんと仲良しであれば,ピアノの練習をして多少はうるさくても,「○○ちゃん,がんばってるな」と逆に応援してしまいます。これが知らない他人の出す音なら,騒音になります。また,お隣のおじちゃんがうるさいかもしれないからと,音を弱くしたり早めに切り上げたりという気配りが働きます。

 人の不快感のレベルは相手との親密さに反比例し,気配りは親密さに比例するのです。迷惑を掛けてしまうのは,ご近所の人とお付き合いがないからです。お隣も自分と同じ人が生きていると思えば,遠慮しようとするし,少し寛容にもなれます。マナーやエチケットは人に対して持ち出されますが,見ず知らずの人はマナーの対象とはなりにくいのです。傍若無人という言葉が示すように,無人だと思うから自分勝手な行動をしでかします。

 では,どうしたらいいのでしょうか? ご近所の人を敵視しないことです。だからといって好きになる必要はありません。ごく普通にお付き合いをしようとしていればいいのです。人様と思わなくても構いませんが,せめて人だと思うことです。そうすれば,周りの方からも自分が人として認知され,気配りの対象になれるはずです。自分を認知させるためには,こちらからつきあいを持ちかけた方が早道です。

・・・あなたがお隣を認知すれば,お互いに気配りを持ち寄れます。・・・


 〇何故つき合うのでしょうか?

 ご近所とつき合って,いったいどういう得があるのか? 気遣いばかりで,損するだけではないのか! 都会暮らしの気楽さは面倒なご近所づきあいがないということから生まれているでしょう。その一方で,例えば,独身アパートが地域のブラックホールになっている現状は悲しいことです。

 バス停からの夜道をたまたま女性の後ろから歩いているときです。歩調が同じなのでついていく格好になりました。女性は後ろを気にしている風で,やがて慌てるように走っていきました。警戒されてしまったと妙な後味でした。こちらは途中まででも見守っていてあげようと思っていたのですが,そんなことは分かるはずもありませんね。

 住んでいる地域を警戒しなければならないというのは,どういうことでしょう。そこに住んでいる人たちを信用していないことです。つきあいをすれば,みんな普通の人だと分かるはずですが,その確認を怠っています。もちろん,リスク管理という面は大事です。しかし,本当のリスクとは何が危険かを明らかにすることです。闇雲に怖がっているだけではリスクは回避できませんし,それこそ無駄な心配を抱え込むだけです。

 人に対する不安とはどういうことなのでしょうか? 不安とは分からないこと,知らないことから生まれます。知らない人だから不安になります。知っている人なら不安は消えます。不安を消すためには,つきあってみなければなりません。顔見知りであるということが不安解消の条件です。自分の周りにいる人と知り合えばそれだけ安心な場所が広がっていきます。もちろんすべての人と知り合う必要はありません。

 特に子どものいるご家庭では,ご近所の人に「この子はこの家の子ども」と知ってもらっておくことは大切です。万が一事故などにあったときは,すぐに知らせてもらえますし,知っている子どもであれば誰でも積極的に手をさしのべてくれるはずです。イジメを受けているようなときも,それとなくかばってもくれるでしょう。知らない子どもであれば,放って置かれる公算が増えます。みんなで育ててもらうという気付かない得をいっぱいするはずです。

・・・見えない得を手に入れたいなら,つきあいをすることです。・・・


 〇どのようにつき合うのでしょうか?

 ひょっとしたら耳の痛いことかもしれませんが,ちょっとだけ我慢をして頂くようにお願いします。PTAなどの役員決めが難航します。まずそのような場には出席しないのが無難です。赤ちゃんを抱えているとか,お年寄りの介護をしているなら,役員を辞退する理由になりますので堂々と出席してください。役員にはやっぱり慣れた人がなるのが一番です。ただし,後で「あの人また役員になって。物好きね」とうらやましがることがあるなら,進んで引き受ければ,皆に感謝されることは請け合います。

 ママが「ねえ,ちょっと手伝って」と頼むと,「何で私がしなければいけないの,自分のことは自分でしなさいってママはいつも言ってるくせに」と返されます。「なんていう子だろうね,この子は」と呆れます。余計なことはしないという姿勢は何処で憶えたのでしょう。

 皆が自分のことではないけれどちょっとだけ余計なことを持ち出してくれたら,暮らしやすくなります。理由の立たないことに手出しをしないのは,いわゆケチです。できることならお手伝いしようとする人が温かい人です。しなければならないことだけをしても,温もりや優しさは出てきません。「何で私がしなければ」という逃げ口上は,やっぱり人としては卑怯でしょう。

 人とのつきあい方は「わざわざ」することです。「ワザワザお越し頂いてありがとうございます」と言うように,余計なことをするから感謝され,つながりができていきます。ちょっとだけできることをするだけです。手をつなぐためにはお互いに手を差し出さなければならないのと同じです。言い換えれば,手出しをしないときには誰からも手を結んでもらえない羽目に追い込まれます。

 自立するとは自分のことは自分ですることですが,同時に人とのつながりを柔らかにしておかなければ気持ちがすり切れます。周りの人とのつきあいはほんの気持ちの持ちようですから,難しいことでありません。ほんのちょっぴり大らかになってください。

・・・ワザワザ種を蒔くから,人情の花が咲き乱れます。・・・



《ご近所づきあいとは,いろんな人を楽しもうとすることです。》

 ○子どもたちの社会性の未熟さは,地域に住む大人たちが社会性を持っていないからです。無いものは真似しようがありませんから,子どもは学ぶことができないままに放置されているのです。わが子だけはという囲い込みが,わが子に社会性のない育ちを押しつけています。

 自分の世界に閉じこもらずに,自分たちの世界を緩やかに広げていけば,子どもも真似して人を信頼する社会性を身につけていくでしょう。


 【質問5-14:あなたは,ご近所づきあいを楽しんでいますか?】

   ●答は?・・・どちらかといえば,「イエス」ですよね!?

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