*** 子育ち12章 ***
 

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「第 53-06 章」


『子育ちは 覚えた言葉の 質に依り』


■子育ち12幸福■

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『子育ち第6幸福』

【幸福も不幸もすべてはその時々の思考の流れ次第である】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
 この版では,子どもたちが幸せに向かって育っていくことを願って,タイトルとして「アランの幸福論」に語られている言葉を選択し,子育て羅針盤の視点で考えてみることにします。

《幸福であるために》
 思考は言葉がなければ成立しません。思考は言葉によって可能になります。ただし,単語使いでは思考は停止します。文章を理解すること,それは言葉と言葉の連携であり,したがって思考の積み上げとなるのです。出来事を相応しい言葉で文章として表現すると,行動の設計図が描けます。ところが,設計図があっても,実現できないことがあります。作業工程が用意されていない場合です。物事の処理する順序を間違うと,行き詰まることになります。同じように思考の流れが滞ることがないということが大事なのです。
 子どもや若者は,文章を読んで理解する力が弱くなっています。教科書を読んで理解できるようになれば,自学することができます。読解力を十分に育てることを途中で放棄し,子どもたちは,教えてもらおうという気持ちの方になびいていきます。自分で分かるように努めようという気迫がありません。作文が苦手とか,文章題が解けないといった弱点を,半ばあきらめのように口にします。文章が順序よくつながっていけば,物事を理解するという思考はさらさらと流れていくはずです。国語力が問われるのです。

《幸福になるために》
 不幸にあるときの思考は,堂々巡りや行き詰まりになっています。幸せにあるときの思考は,末広がりに展開していきます。思考が流れる,先に進むということは,論理的な展開があるということであり,こうだからこうなるという因果関係が基本です。ところが,その因果関係の使い道が悪い方に向かうとき,不幸に向かいます。こうしなければひどい目に会うという使い方です。こうすればこんないいことがある,そういう使い道が幸福に向かう思考の流れです。
 子どもの作文は,そして,そしての連続です。読んでいると,言い方を変えているだけで,同じところから抜け出せていません。言葉が横並びになっています。言葉の連想が縦並びに積み上がっていないからです。本来子どもの発想は大人は思いつかない,とんでもない飛躍ができるものです。その飛躍を埋め合わせる言葉を獲得することが,学びのはずです。例えば,読書をすれば,文章の順を追った展開を会得することができます。さらに,子ども向けの本はほとんどメデタシで終わっていることが幸せに向かうには大事なのです。



 子どもたちは,いろいろなつながりで,地域の大人たちと知り合いになっています。親の知らない地域での学びの世界があります。その子どもの世界が親がつながっている世界と重なっていればいいのですが,重なっていないと,子どもは何かしら落ち着かない状態になります。自分の世界のことを話そうと思っても,通じないからです。犬を連れたご婦人を「レオのおばちゃん」と呼んで慣れ親しんでいますが,大人同士は知らない人というのでは,さみしいですね。

★落書き★

 トウモロコシという名前には,中国の名が二つ入っています。トウ=唐,モロコシ=唐土です。普段,そんなことは思ってもいないのですが,言われてみると,確かにそうなっています。中国から輸入された当初,キビに似ているというので「モロコシキビ」という名になりました。時代が下って室町時代の勘合貿易以来,輸入物には新しいという意味で「唐」を付ける習慣があって,「モロコシキビ」に「トウ」が付けられました。カタカナ書きにしているので見えませんが,漢字で書けばおかしな名前ですね。


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