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「第 57-01 章」 |
『子育ちは もう一人いる 子どもから』
■子育ち12針路■
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『子育ち第1針路』
【我思う故に我あり】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
《誰が育つのか(私の育ち)?》
デカルトの有名な言葉「我思う故に我あり」で,子育て羅針盤第57版が始まります。ものを見て感じて思っている自分は確かに存在しています。その思っている自分が自分を意識しているから,自分という我も存在していると言えるというのです。赤ん坊が育っていくと,やがて物心がつきます。自分のことを名前で呼ぶことができるようになります。思う我という子どもが育ったのです。この思う子どもを,もう一人の子どもと呼んで,「育っているのはもう一人の子どもである」と考えていくことにします。
「おしっこが出そう」と言葉で言える,それはもう一人の自分が自分を感じ取ることができるからです。育っているのは子どもではなく,もう一人の子どもであると考えることができます。このもう一人の子どもの誕生には,父親の関与が必要です。生まれて以来一心同体であった母親が,自分を離れて父親という人とつながっていることを感じ取ります。この母親離れを促すのが,父親による母親の夫婦という別の関係への誘いです。子どもはこの三角関係の中で,否応なく自分を意識するもう一人の自分の誕生を迫られるのです。
子どもはやがて反抗期を迎えます。それは成長の大切なステップです。自分のことは自分でする,つまり,もう一人の自分が自分のことを決めるという表明,それが反抗という形になっているのです。「考えて決めるのはもう一人の子どもである」ということが,子育ちの第1針路です。もちろん子どもは未熟ですからすべてを決めさせることはできませんが,育ちに合わせて,もう一人の子どもに決定権を委ねていかなければなりません。親の言うことを聞いていればいい,それはもう一人の子どもをないがしろにすることです。
子どもに決めさせるとわがままになるのではないかと心配ですね。もっと遊んでいたい! そんなとき,ダメというか,言いなりにさせるか,どちらが最終決定をするか? どうすればいいのでしょうか? 例えば,あと10分だけよ,という提案をします。それを承諾するかどうかを,もう一人の子どもに決めさせるのです。10分だけということをもうひとりの子どもが決めることができます。頭ごなしではなくて,子どもの意向をできるだけ聞き入れるということです。
今号から第57版に入ります。子育てをしていると,不安になることがあります。子育てがちゃんとできているのだろうかと思うとき,不安になるのは,何でしょう。他にやるべきことがあるのではないか,今のやり方でいいのか,ということではないでしょうか。そう思うのは,子育ての全体が見渡せていないからです。この子育て羅針盤は子育ちの全方位に合わせた構成にしていますので,12針路を目安にして頂ければ,現在子育て状況がどうなっているか,分かって頂けるはずです。
★落書き★
稲刈りが始まっています。お米の育ちを見ておきます。一粒のお米(種子)を田んぼにまくと,一株のイネに育ち,20本ほどの稲穂が出ます。それぞれの穂には80個ほどの実(コメ)がつきます。つまり,一粒のお米は1600粒に増えるのです。この1600粒の米を炊いてご飯にすると,お茶碗半分の量になります。一粒のお米はお茶碗半分のご飯になると知れば,一粒でも粗末にはできないと思いませんか?
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