*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 57-02 章」


『子育ちは 人と同じと 知ってから』


■子育ち12針路■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第2針路』

【我も人なり】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《誰が育つのか(私たちの育ち)?》
 「彼も人なり我も人なり」とは,韓愈による言葉で,彼も我も同じ人間なのだから,人のできることが自分にもできないはずはない,という意味で語られています。ここでは,原意から外れて,彼も我も同じ人間と考えることに留意します。もう一人の子どもが,母親離れをした後,父親と同じである自分,母親と同じである自分,家族と同じである自分,隣人と同じである自分に気付くことが,自分を含めた「私たちという社会的自我」の誕生になります。

 社会生活に必須の気配りは,相手の思いを慮ることですが,それは自分だったらという思いを相手の立場に転送することです。同じ人間という意識を持っていなければできないことです。思いやりという言葉は,思いをやることです。この思いやりの育ちが中途半端になると,自分の思いを押しつけてしまって,相手が分かってくれないことを恨むようになります。自分の望ましい思いは,相手にやろうとしても,無理です。向きが反転することを弁えて,人との関係が真っ当になることをしつけてやりましょう。

 人の振り見て我が振り直せ,という言葉があります。人がしている振りを見て,それは自分もすることであると思うから,学ぶことができます。人のしくじりを笑っているようでは,学びはできません。もちろん始めに述べたように,人ができることは自分もできると,努力をする意欲が育ちを促すことになります。一人一人の個性を大事にするという傾向を誤解していると,自分は皆とは違うという錯覚にとらわれて,もう一人の子どもが自分を見失うことになります。人として同じである意識は,身につけておくべきものです。



 人と同じであると思っていると,子どもはモノをねだるときに「皆持っている」という言い方をしてきます。「よそはよそ,うちはうち」と拒否することもあるでしょう。人として同じであるということと,持ち物が同じであることは無関係です。持たないと持っている者をうらやむ気持ちが出てくるでしょう。不公平だと考えるのではなく,それぞれに持つモノが違っているだけだと思えばいいのです。

★落書き★

 身体の育ちは季節と共に変化します。暑くて体力が落ちる夏は,生理的に良質のタンパク質が必要ですが,動物タンパクは身体を酸性にしてかえって疲れやすくするので,植物タンパクがよく,一番いいのは旬の枝豆だそうです。秋になると冬に備えて体力を蓄えるために,ダイコン,カブ,サツマイモなどの旬の根菜類をたくさん摂ることです。旬のものは人の生理と切り離せないのです。ハウス野菜は生理に合っていないということも子育てでは必要な知識でしょう。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第57-01章に戻ります
「子育ち12章」:第57-03章に進みます