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「第 57-11 章」 |
『子育ちは 才に走らず 踏みしめて』
■子育ち12針路■
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『子育ち第11針路』
【鈍才あり】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
《どのように育つのか(私の育ち)?》
「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」という言葉があります。簡単には,「神童も大人になればただの人」と言われることもあります。神童と言われる子どもは、運動能力、学業成績などが同年代の子どもに比べて今の時点で秀でているのであり,能力が秀でているというよりも成長が早いだけということがあります。単なる早熟の子どもということです。親だけではなく子ども自身も能力抜群と勘違いすると,成長を止めてしまうことになりかねません。
成長は,できる自分には不要です。できない自分という自覚があるから,成長をしたくなります。できない自分を認めるのは,面白くないでしょう。しかし,誰でも最初はできないところから始めていると納得していれば,いやになることはありません。秀才はそつなくこなしますので,失敗といった余計な回り道をしません。ところで,普通の鈍才は思い切り失敗を繰り返します。しかし,やがて失敗をしないようになります。たくさんの失敗をクリアすることで,鈍才は着実に裾野の広い成長をしていきます。
小さな失敗を乗り越えていくことに慣れると,失敗を恐れなくなります。数度の失敗をしても,そのうちになんとかなると思うからです。失敗する直前まではできているのですから,そこまでの自信があります。失敗したところを少しやり直せばいいのですから,工夫を加えることが楽しくなります。こうしたらどうだろう? 試してみるという行動こそが,育ちの歩みなのです。妙に秀才ぶって,いざというとき,する気になったらできる,そう思って足踏みしていると,伸び悩むことになります。
できない自分を自覚することが出発点になりますが,出発点ということに気付かなければ,足がすくんだままになります。立ち止まらないためには,周りからの導きが不可欠になります。できないことを気に病むのではなく,とりあえずやってみることを勧め,やり始めたことをやり続けるように励ますのです。「継続は力なり」という言葉があります。身体の運動機能を使い,感覚の感受性を生かし,頭脳の考察能力を働かせると,人は快感を覚えるはずです。最初の導きさえあれば,後は子ども自身が続けていくはずです。
★落書き★
冬至の日12月22日には,なんきん(カボチャ),ニンジン,レンコン,ぎんなん,キンカン,かんてん,うどんなど「ん」の字が付くものを食べるといいそうです。冬至の日から太陽の出ている時間が段々と長くなり,それには運(太陽)が上向くことにつながると考えられたのです。「ん(運)」の付くものを摂取して幸運をもらおうという願いなのです。他に,ダイコン,ミカン等が思い浮かびますが,子どもの好きそうなものはないようです。探してください。
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