*** 子育ち12章 ***
 

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「第 58-02 章」


『子育ちは 私の他の 人がいて』


■子育ち12考察■

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『子育ち第2考察』

【私たち】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《私たちとは?》
 ひとは一人一人はか弱い存在ですが,群れて集団になって生き延びてきました。人は社会という体制を創造したことで,霊長類に位置づけられています。ただ単に群れている生き物は他にもいますが,自覚して群れを機能させているのは,人だけです。人が社会を意識するようになったとき,「私」から「私たち」という複数形の言葉が生まれました。私意識だけであれば,群れを自分のために利用する欲望の段階に止まります。私たち意識があって,社会の維持・発展に関わる意欲が現れます。

 乳幼児は,生まれて一体であった母親が自分の思い通りにならないことがあることに気付きます。自分とは別の存在であると認めるためには,母親が自分以外のものとつながっていることに出会う必要があります。母子分離を経て,子どもは自分の存在を,他者に対する位置に意識づけることができるようになります。人見知りはその現れです。自分と他者を意識することによって,もう一人の自分が誕生してきます。自分と他者という分離を経て,自分と他者を結びつける「私たち」というイメージを持つことができます。

 英語の人称では,I(私),YOU(あなた),WE(私たち)となります。個人の尊重という意識は,私は私,あなたはあなた,ということを強調します。結果として,その先にある私とあなたを包む私たちという概念が希薄になります。今の人心のありようが,どこか他を責めることに傾いているのは,私とあなたが対立しているという認識しか持っていないためであると思われます。私たちという認識がなければ,社会に対する信頼を持つことはできません。



 人は自らの存在を確信したいという欲望を持っています。大人であれば,生きている意味を探し続けます。つかみ所のない問題をどのように解いていけばいいのか,人それぞれに模索することになります。1つの補助線があります。人とのつながりという線です。人間関係の中での自分を見つめてみるという思考を進めることです。自分はどこにいるのか,居場所を探し当てることが,生まれてきた子どもにとっても,大切な育ちの拠り所になります。

★落書き★

 鳥はさえずりをします。自分の縄張りを知らせるため,メスに求愛をするためです。繁殖期になると鳥は声高く鳴きます。ところで,ニワトリは毎朝鳴きますが,なぜでしょう。ニワトリは森にいたものが家畜にされ改良されました。そのため,薄暗い森で餌を探す必要がなくなって,段々と明暗を見分ける視細胞が退化し,夜になると目が見えなくなりました。目が見えないと,キツネなどの敵にいつ襲われるか分からずに不安です。その不安は朝が来て明るくなると消えます。その喜びが鳴き声になっているのだそうです。


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