*** 子育ち12章 ***
 

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「第 59-01 章」


『子育ちは 我思うから 我がいて』


■子育ち12省察■

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『子育ち第1省察』

【我】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《我とは?》
 我は海の子 白波の・・・。私は海の子と紹介しているのは,誰でしょう? それも私です。お母さんが鏡の前に座っています。鏡の中にいるお母さんを,鏡の前にいるお母さんがしっかりと見ています。見られている自分を意識する自分がいます。もう一人の自分と呼ぶことにします。人の振り見て我が振り直せといわれますが,見て直そうとしているのはもう一人の自分です。人と自分を並べて見ることができるのが、もう一人の自分,すなわち我です。

 もう一人の子どもは考える子どもです。親が夫婦げんかをしているのを見てしまったときに,もう一人の子どもは「自分のことで親がけんかをしているのでは」と考えます。親と自分の関係をもう一人の子どもが考えようとするからです。親が子どもに向かって「あなたはダメね」と言ったなら,もう一人の子どもが「自分はダメ」と自分を見捨てるようになります。自棄になるというとき,自分を棄てると書きますが,棄てるのはもう一人の自分なのです。逆に,大切な自尊とは,もう一人の自分が自分を尊いと思うことです。

 もう一人の子どもは常に子どもとつながっていなければなりません。ところで,テレビの映像を見ているとき,もう一人の子どもは映像の中と一体化して,自分を忘れています。親が呼んでも聞こえないほど,我を忘れてのめり込んでいるのです。スマホやPCなどの情報機器にのめり込んでいると,もう一人の子どもは自分を置き去りにして,虚像の世界につながっていきます。自分という現実を認知できなくなって,もう一人の子どもは浮遊します。傍からは,訳が分からない人に見えてくるかもしれません。



 人は社会的動物と言われます。では,人は社会をどのように認知しているのでしょうか? 基本はもう一人の自分が他者の意識を持つことです。自分とは違う他者がいるということに気付いたもう一人の自分が,自他の在り方を考えるとき,社会性が目覚めてきます。そこで,気をつけなければならないことは,自分のために他があるという我利の意識は非社会性です。ネット社会を思いが届かないリベンジポルノの場とする不届き者などは,社会性の無さを矯正すべきです。

★落書き★

 子どもは動物が好きです。そうとばかりも言えないのが実際です。犬に追いかけられたり,ネコに引っかかれたり,ニワトリに突かれたり、怖い経験をすると,嫌いになります。子どもが犬を見つけると,走りより,犬の目をじっと見て,頭の上から手を伸ばします。犬の方は,子どもが走ってきて,目をにらんで,頭上から手が伸びてくるのを見ると,自分が攻撃をされているサインと感じて,身を守るために反撃していきます。犬に誤解させないように,人が気をつけるようにしましょう。


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