*** 子育ち12章 ***
 

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「第 61-03 章」


『子育ちは 忍ぶべきとき 引き受けて』


■子育ち12表裏■

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『子育ち第3表裏』

【忍】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。

《忍について考える?》
 堪忍袋の緒が切れた,と言いたくなることがありませんか? 浮き世のことは思い通りになりません。だからそれなりの事を弁えた対応をしていますが,成就できない場合に遭遇します。どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか,恨めしく情けなく怒りが湧いてきます。そこで堪忍できるか,人としての器が問われます。些細なことに腹を立てたがる人が増えてきましたが,堪忍袋を持ち合わせていないようです。頭にくる前に,怒りなどの激情をとりあえず納めておける堪忍袋を使ってみると,世渡りがうまくいきます。

 忍耐力という力が人の年輪を刻みます。冬の寒さを忍耐する育ちが木の年輪となる堅牢な層になります。人としての芯は苦労に耐えた時期にできあがります。苦労は買ってでもしろという教えもあるように,苦労の裏にある忍耐は,生きるための堅牢な構造を心身に組み上げてくれます。現在の温室育ちでは,子どもたちの成人化は覚束ないでしょう。国際化という厳しい環境に置かれたとき,あっさりと踏みつぶされてしまいそうです。

 母は強しと言われていました。女ではなく母です。母は子どもを抱えています。守るものを抱えているから,強くなれます。父も家族を抱えて守っているから,忍耐できています。ただ,守ってやっていると高言して,それを恩に着せてしまうようでは,本当の忍耐ではありませんが。今の子どもたちは守るものを持たされていません。昔は守るべき弟妹がいました。ひたすら自分のことだけを守るように育てられています。だから,逃げることだけを覚えてしまいます。誰かのため,社会のため,という発想は皆無です。



 基本的に人を信頼しているか,疑っているか,そのベースが,安心と不安の境目になります。友達がふと離れたとき,自分のことを嫌がっていると勘ぐって悩む子どもがいます。他人の気持ちは計り知れないので,推し量るしかありませんが,そのニュアンスが大事です。嫌がっているに違いないと思い込むか,嫌がっているかもしれないと保留をするか,何かの都合があったのだろうと了解するのか,いろんなパターンが可能です。どれを選ぶか,それは家族の有り様によって育てられます。裏表のない家庭であってください。

★落書き★

 擦り傷の絶えない元気な子ども。そんな子どもがいたものですが,今はどうでしょう。ところで,けがを怪我と書きます。怪しい我がどうして? 中国語では怪我は私を咎める,責めるという意味になるそうです。想像できます。怪我は漢語ではなく,「けが」の音に当てた和製漢語です。傷を負うと血が出ます。血に染まった傷は不浄であり,汚れです。けがという言葉は「汚る」からでたと考えられているそうです。けがをするようなへまをした我を責める(怪我)ことになる,と無理矢理こじつけておきましょう。


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