*** 子育ち12章 ***
 

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「第 61-04 章」


『子育ちは 人を疑う ことをせず』


■子育ち12表裏■

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『子育ち第4表裏』

【疑】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。

《疑について考える?》
 疑心暗鬼と言います。疑いの心があると,なんでもないことでも怖いと思ったり,疑わしく感じられます。さらに疑いが深いとあらぬ妄想にとらわれることになります。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊のことで,疑いの心から,いもしない暗闇の亡霊が目に浮かんで来ます。一寸先は闇といいます。闇はあらゆるものを隠すので,そこに何があるか分かりません。分からないという状況は不安をもたらし,用心するために,悪いこと・不都合なことを想定して疑います。用心のためですから,深入りしないで思い込まないように止めます。

 疑念を持てば態度に表れます。人との付き合いで,いきなり疑いの構えを示すと,関係を結ぶことは叶いません。優しくしてもらっても,何か下心があるのではないかと疑っていると,ありがとうのお礼もなおざりになって,礼を失します。優しさを拒否する嫌な人と思われて,関わってもらえなくなります。付き合いが深まらなくなって,騙されなくとよかったと思うかもしれませんが,その実,敬遠されてしまうのです。信じ過ぎるのは危ないとはいえ,疑り深いのもよくありません。

 人を疑っていると,人は自分を騙そうとしたり害を加えようとしていると邪推し,その手口をあれやこれや思い巡らします。手口に詳しくなります。やがて,疑われるようなそういう相手は逆に騙しても構わないと思うようになります。こうして裏の世界に滑り込んでいくかもしれません。人を疑うのも大概にしておきましょう。人を見たら泥棒と思え,全く否定できない処世訓ですが,それは心の隅に置いておけばいいのです。信頼関係は信頼し信頼されるからこそ,結ばれるものなのです。堂々と生きることが大事です。



 ちょっと風体の違った人や障害のある人を見かけたとき,「あの人,なんで?」と子どもが尋ねます。親は「見てはダメ」と,打ち切ろうとします。触れたくない,触れない方がいいという判断でしょうが,目を背けないで,きちんと向き合って理解しなければなりません。知らずに避けるということが,人を差別することに繋がります。食べず嫌いが栄養の偏りになるように,人のことを知ることを避けると信頼関係が築けなくなります。知らない人とはつきあわないのはよいとして,人を知ろうとすることも大切です。

★落書き★

 学校の成績は多少は気になるものです。落第ということになると,大変です。第から落ちるということはどういうことでしょう? 第は順序や序列を意味します。中国で科挙という官吏登用試験が古くから行われていましたが,その合格者が掲示板に成績順に発表される順序を「第」といっていました。やがて,第は試験に合格することも意味するようになりました。合格者の序列である第から落ちる,それが落第です。もちろん第に及ぶことができると及第となります。


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