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「第 62-13 章」 |
『子育ちは 愛を交わして 共に生き』
■子育ち12教示■
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『子育ち第13教示』
【共存の努力】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第62版では,仕合わせを目指す人生の目標として掲げられていることを,子育て羅針盤風にお伝えする予定です。
《共存の努力について考える?》
大人になると人の役に立つ仕事をして,対価として報酬をいただき,社会生活を営みます。生産と消費による人との関係です。子どもにとっては,親は衣食住の保護者として,生きるためにいなくてはならない人ですが,逆に親にとって子どもはどのような意味でいなくてはならない人になるでしょうか? いない方が楽だからと思われた結果,少子化になっていると言われたりします。大人の生活に,子どもは邪魔になるだけでしょうか? その先には,しつけと称した虐待が待っています。親は子を愛おしむはずです。
人の結びつきには,お互いに必要とする,利害の一致という側面があります。いなくてもいいとなったり,役に立てなくなると,離縁となります。もちろんその程度の結びつきもあっていいのですが,もっと緊密な結びつきも必要です。役に立てなくても,面倒をかけられても,そこにいてくれるだけでいい,そばにいて欲しいという結びつきが愛という共存の姿です。親子や夫婦という愛による共存を基盤にして,人との間合いを段階的に構築してほしいものです。親の愛をたっぷりと振りかけてください。
人は自分勝手な面を持っています。今のソーシャルメディアによる結びつきは,時々の乗りによって簡単にリセットされたり,排除されたりします。それでもいっこうに構わないのですが,それだけであるとまずいことになります。人との触れ合いが欠けているからです。触れ合いとは本当に直に触れ合える実感を伴う結びつきです。手をつなぐことができる間柄こそが,共存している関係です。手をつなげば互いに少し不自由になります。それでも手をつないでいるためには,お互いが努力し続けなければなりません。
高3いじめ自殺に見舞金,自殺生徒前夜に涙,小4自殺で保護者説明会,・・・。文字を打ち込んでいて,悲しくなります。待機児童という問題もわき上がっています。子どもを取り巻く環境の貧しさとは,子どもに何を突きつけているのでしょう。それは安心をもたらす居場所の剥奪です。いじめは居場所を奪い閉め出します。待機児童も居場所を誰も与えようとしないことです。子どもの居場所,それは人の温かなつながりであること,存在の根っこであることを忘れているようです。
★落書き★
テニスの試合で,攻撃する人が最初に打ち出すショットをサービスと呼びます。打ち返せないように強烈に打ち込むのに,サービス=奉仕というのは,なんとなくおかしいと思いませんか。テニスのルーツになった「ジュ・ド・ボーム」というゲームは,フランスの貴族が考案した,コートの中でボールをゆっくり打ち合ってラリーが何回続くかを楽しむものでした。最初の1球は召使いがプレーヤーが打ちやすい球を投げ込むことになっていました。召使いの奉仕ということで,サービスであったのです。
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