*** 子育ち12章 ***
 

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「第 63-01 章」


『子育ちは 受けた命を ひたすらに』


■子育ち12教訓■

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『子育ち第1教訓』

【自分を見つける】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第63版では,遠い国のある祖父が孫たちに語りかけたアドバイスから,教訓として12のメッセージを,子育て羅針盤風にお伝えするつもりです。

《自分を見つける?》
 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た」。この猫はこの後の小説となっている関わりの中で,自分を見つけることになります。自分がなぜここにいるのか,自分では分かりません。親から聞かされて,それを信じるしかありません。名前も自分で考えて望んだものではありません。親代々の願いを受け止めている自分という尊いものなのです。

 ネット社会では個人情報の漏洩が問題になります。ところで,個人情報には2種類あります。一つは氏名・住所のような身分証明としての公開すべき情報です。公開しないと個人を特定できません。もう一つは暗証番号のように秘匿すべき情報です。自分を見つけることは,他人と区別できる,ただ一人の人であると言えることです。匿名の世界の無法性を考えると,自分を他者に見つけてもらうことは,責任を負うという安全性を互いに確認できる大切な情報であることになります。

 私,自分という認識ができるのは,物心ついてからです。自分のことを名前で呼ぶようになったとき,呼んでいる自分と呼ばれている自分の2人がいることになります。このもう一人の自分が,人としての自分になります。自尊,自発,自主,自棄,自暴,自爆,自殺,という言葉は,自分を尊ぶのはもう一人の自分であるという風に,2人の自分の関係が基盤にあります。自分を忘れたり見失ったりすると,もう一人の自分が自分を制御できないので,人ではない状況になるのです。もう一人の子どもを育てましょう。



 誘拐されていた女子中学生が,逃げ出して救出されました。2年間という長い間,監禁されていたという物理的な状況があった一方で,逃げ出せないという誤った状況をもう一人の自分が信じ込まされていたようです。もう一人の自分が,親が探している,居場所の情報もつかんだ,連絡手段も手にしたと確信したとき,隙を見つけて脱出するという決断ができたということのようです。冷静なもう一人の自分がいたことを,心からよかったと褒めてあげようと思います。

★落書き★

 ビール工場に見学に行って飲む作りたてのビールはうまいものです。ところで,ビールの缶や瓶には製造時期は書かれていますが,賞味期限は表示されていません。ビールの味はホップと麦芽の微妙なバランスによるものですが,時間経過と共にゆっくり変化します。その変化のスピードが保管の場所で大きく変化します。冷暗所では味は半年は変わりませんが,日の当たるところでは2日で嫌な臭いが付いてしまいます。賞味期限は2日から半年と,買った人の扱い次第なので,表示できないのです。冷蔵庫で半年までです。


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