*** 子育ち12章 ***
 

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「第 65-03 章」


『子育ちは ねぎらいあって 温かく』


■子育ち12進路■

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『子育ち第3進路』

【ねぎらいの言葉を発しよう】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第65版では,数あるマーフィの言葉から,子どもの育ち12の教則として独自に選び抜いたものを,子育て羅針盤風にお伝えするつもりです。

《ねぎらいの言葉を発しよう?》
 仕事や生活の中で,人は様々な骨折りをしています。ご苦労様という気持ちを言葉で表現することは,社会で共生する者としての基本的な資質です。ねぎらいの言葉をかけると,かけられた方は見てくれている,分かってくれていると思い,関心を寄せられていると感じると同時に,声をかけてくれた人に心を向けていきます。打てば響くような双方向の結びつきが,人間関係のありようです。無関心であれば,ねぎらうということは思いもよらず,関心を持ってもらうこともあり得ません。

 家族はお互いに助け合うものです。お互いの世話に関わる骨折りにねぎらいの言葉をかけあっているでしょうか? 家族に限らず,何かをしてもらったら,言葉を発します。「すみません」。相手の骨折りに申し訳ないと恐縮しています。した方への気配りです。した方はそんな気遣いは期待していません。それよりも,自分がしてやったことが相手にとって良かったことかどうかが分かりません。「ありがとう」なら! 喜んでもらえた。良かった。またしてやろうと,つながりを生み出します。

 食事時の伝統的な「いただきます」「ごちそうさま」。口にする食事は全て,誰かの骨折りによって生み出され,届けられています。私は食べる人。食べさせてくれる人がいます。その方々の骨折りに,ねぎらいの言葉をかけることが,生きている,生かされていることの自覚になります。人の骨折りのつながりをきちんと感じるから,自分も社会のひとりとして,骨を惜しまずに関わっていくことになります。共生している社会としての人間関係のぬくもりを信頼することができます。



 いじめとは? 算数の問題を解こうとしていたAさんに対し,Bさんが親切心から解き方と答を教えたところ,あと一息で正確にたどりつこうとしていたAさんが泣き出しました。Aさんが苦痛を感じたと認められるため,いじめと認知すべきとされようとしています。いじめの曖昧さを軽減しようとする動きが,安全性を優先して,定義を広めに設定しています。この広がりが子どもたちにどのように受け入れられていくか,大人もしっかり見守っていくべきです。

★落書き★

 昭和51年の神戸です。キャバレーのバンドマンが,アルバイトで社員歌謡大会の伴奏を引き受けました。前日になって,キャバレーの出演とダブル・ブッキング(二重契約)していることが判明しました。窮余の策として,懐メロの伴奏テープを自作して,歌謡大会で使ってもらうことで乗り切りました。ところが,このテープが大好評。そこで,市内のスナックにテープを置いてもらうとまた大好評。翌年,テイチクレコードが「函館の女」などの「カラオケ」テープを発売しました。


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