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「第 73-12 章」 |
『子育ちは 分からないから 教わって』
■子育ち12願語■
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『子育ち第12願語』
【教わりたい?】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第73版では,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの発露としての願っていることに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと支援の手を伸ばすことができるでしょう。それは一方で,子育てをしている大人には,大人の出過ぎる願いを控えることにつながるはずです。子どもの願いという新たな12の指標盤を楽しんでください。
《教わりたい?》
学ぶ気が無いと,勉強は面白くありません。やがて内容の理解ができなくなって,授業が苦痛になります。何の行動もせずに学習意欲が湧いてくるはずもありません。それなりの誘い行動が不可欠です。予習です。教科書を読んで分かろうとします。そこでは分からないことが出てきます。そのことを分かりたいと思うと,授業で教わりたいと集中することができます。「そうか」という納得ができたとき,学習の喜びを感じるはずです。教わりたいと思わなければ,授業に参加できないのです。
分からないこと,知らないこと,できないこと,子どもには必ずついて回ります。それらを決して否定しないことです。分からないことを大事に思い,教わりたいという願いにつないでいけばいいのです。知らないことと向き合うからこそ,知ることの喜びが手に入ります。できないことを見つけるから,教わりたいと学んで,できる喜びを引き寄せることができます。それが育ちというものであり,育ちを喜ぶということです。試験や練習は分からない所探しの手段であり,教わりたいという育ちの入口です。
親として,子どもが教わりたいという願いに向かって育つためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。例えば,子どもの至らない点はいくらでも数え上げることができても,認めてやれる点は全く思いつかないということはありませんか? 叱ってばかり,ほめてやったことがないのではありませんか? 極端な問いかけですが,至らない点を叱るのではなく,その点を教わって乗り越えるように導いてやることです。叱っては,大事な育ちのチャンスを摘み取ることになります。至らない点こそ育ちの芽です。
通学はしているものの,学校に通いたくないと感じる不登校傾向の中学生が33万人に上るという推計結果が発表されました。実際に不登校になっていると国が発表した人数の3倍で,中学生全体の10人に1人になります。家庭や友人関係よりも「授業について行けない」など学業に関する理由が目立っているそうです。授業は教わりたいという構えをしていないと,受け止めることができません。キャッチボールと同じですから,グラブを構えていることが必至なのです。ガンバレの激励を見直すことです。
★落書き★
中国の唐の時代,官吏登用試験である科挙の合格者が居なかった荊州は,「天荒」の地と蔑称で呼ばれていました。そこに一人の合格者が現れ,「天荒」を破りました。そこから前人のなし得なかったことを初めてすることを,「破天荒」というようになったということです。漢字の言葉は,昔の中国の故事が絡んでいます。日本でも,流行語大賞になった言葉の中に,後世にその意味を分からなくするものもあるかもしれません。例えば,「#MeToo」。セクハラ被害の告白から始まった運動とのつながりが忘れられたら・・・。
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