*** 子育ち12章 ***
 

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「第 74-07 章」


『子育ちは 不足補い だいじょうぶ』


■子育ち12独語■

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『子育ち第7独語』

【だいじょうぶ?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第74版では,第73版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心でつぶやき続けている言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いが子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもの自然に発露する独り言という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《だいじょうぶ?》
 子どもは育ちの途上にあるので,能力の限界に遭遇することになります。小さいから届かないという場面があります。そのとき,椅子を持ってくれば,なんとかなります。背丈がなくてもだいじょうぶになります。自分の背丈を知っているから,椅子を踏み台にすればいいという知恵で,補いができます。自分のハンディをどうすればカバーできるか,それが分かるから,だいじょうぶという対応ができていきます。届かないと諦めるのではなく,なんとかできるという余裕がだいじょうぶを引き出してくれます。

 あれがないからできない,面白いことがないかな,と与えられることに慣れてしまうと,折角の考える力をお休みにしてしまいます。身近にあるものを使えば,なんとか間に合うという工夫できるのが人間です。もう一人の自分が,自分にだいじょうぶと言い聞かせ,無い知恵を絞るように仕向ければ,能力を伸ばすことができます。人が道具を発明してきた歴史を育ちの中で追体験することも,能力開発のための育ちの促進になります。無くてもだいじょうぶ,その可能性を求めていく向上心を育てましょう。

 親として,子どもが「だいじょうぶ」という思いを育ちに組み込んでいけるためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。事を早く済ませようと,親が簡単にダメ出しをしないようにします。すぐに間に合わないことはさせないというのでは,子どもはじっくりと創意工夫をすることができません。子どものだいじょうぶという覚悟を信頼して待ってやることです。子どもの能力が育っていくには時間が掛かります。親の方も,だいじょうぶと余裕を持つことです。



 「午後2時15分ころ,3丁目3番付近で,帰宅中の小学生が不審者から何年生などと声を掛けられる事案が発生しました。不審者は年齢60歳くらい,身長170センチくらい,中肉,灰色のジャージを着用していました」。警察から,注意喚起のメールが届きます。下校時間の見守りの目が届かないところに,不審者が手を伸ばしてきます。不審者が全て悪意のある者とは限りませんが,無防備にならないように,対処しておくことが,後悔をしないコツです。

★落書き★

 詩文を作ることを撰といいます。中国の宋代の詩人・杜黙がつくった詩の多くは,詩の様式に合っていませんでした。そこで杜黙のつくった詩を杜撰(ずさん)といい,当初は誤りが多いこと,やがて,いい加減という意味で使われるようになっていきました。型に填まるのは窮屈であり自由がいいと型破りなことが出てきますが,それは様式破りであるというだけのことでしかないので,それ自体ではただの杜撰なものになってしまいます。人の感性には様式があることを押さえておきましょう。


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