*** 子育ち12章 ***
 

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「第 75-02 章」


『子育ちは 自分と他者の 違い知り』


■子育ち12発心■

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『子育ち第2発心』

【違っていい!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第75版では,第73版,第74版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心から思わず湧き上がってくる言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる願いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもが自然に発露する宣誓という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《違っていい!》
 もう一人の自分という自我が誕生すると,自分を客観的に見るようになります。同時に,自分と自分以外の人を区別できるようになります。自分のことは何となく分かりますが,自分以外の人のことは分かりようがないので,何となく不安です。怖いという気持ちが出てくるので,人見知りをすることになります。やがて,人は皆違っているのが当たり前と納得できると,不安は消えていきます。おしゃれをして違いを際立たせようという気持ちも生まれてきます。

 世界に一つだけの花という歌がありました。一つだけとは,皆とは違っているということです。みんなちがってみんないい,という言葉もあります。もう一人の自分が励まし見守ることができるのは自分だけです。それぞれがそれぞれに生きていることを認め,お互いに違っていることを大切に思っています。その基本的な認識を置き忘れ,自分と同じでなければならないと思い込んでしまうと,ストーカーのような不適切な勘違いをすることになります。

 子どもが「違っていい」という発心を育ちに組み込んでいけるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。子どもがよく持ち出してくる,誰それさんのお家ではと何かを求めてきたとき,よそはよそ,うちはうち,そう言っている親の小言は真実なのです。よそがするから同じにするという真似ではなく,うちはうちのやり方でしていくという,独自性を発揮する親の後ろ姿を見習わせるようにしましょう。



 ある人権派のジャーナリストは,罪のない人の命や権利が奪われる理不尽さに,いつも怒っていたということです。その怒るという行動が,職場内にも向けられて,支配の道具になっていて,周りはいつも顔色をうかがっている始末で,立場を利用したセクハラも起こっていたことが明らかになりました。人はそれぞれ違っているから尊いという人権感覚を見失っていては,何をか況んやです。大人でさえ見失ってしまって罪を犯します。大事な土台が欠けていると,やがて倒壊します。

★落書き★

 どんぶり勘定の「どんぶり」は、職人などが使っている腹掛けの前部に付けた大きな物入れのことで、職人達がこのどんぶりにお金を入れて細かな計算をせずに無造作に出し入れしていたことから、大雑把な金の出し入れを「どんぶり勘定」というようになったそうです。丼鉢のどんぶりとは無関係です。そこで,丼勘定と書くと器のどんぶりと間違えるので,どんぶり勘定と平仮名で表記するようです。どんぶりという大きな器を使うというイメージだと思っていませんでしたか。


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