*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-05 章」


『子育ちは 豊かな言葉 身につけて』


■子育ち12心算■

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『子育ち第5心算』

【深いつもりで浅いのが知識 浅いつもりで深いのが偏見!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《深いつもりで浅いのが知識!》
 子どもたちを含めて若い世代で,いろんな局面での自分の気持ちや感動を「ヤバイ」と言葉にしています。表現としては,とても荒っぽいものです。言っている本人も,聞いている人も,何となく分かっているという状態ではないでしょうか。例えば,秋田犬を見て「動物」と言っているようなものです。せめて犬と言えれば,まだましです。細やかな言葉遣いをする,それが言葉によって記憶されている知識の深さになります。知識の深さは物事をどれほど細やかに言葉を重ねて表現できるかに依ります。

《浅いつもりで深いのが偏見》
 SNSに暴言を書き込むイジメが増えているようです。ネットでいい加減なデマを信じてツイートして訴えられている大人がいましたが,子どもたちも予備軍になりかかっています。例えば「死ね」という言葉を何の躊躇もなく人に向けます。ゲームの中でそう叫んでいるのでしょう。それを日常の中に持ち込んでも構わないという無知が,言葉遣いの偏見につながっていきます。場所柄を弁えない言葉遣いは,偏見とみなされます。言葉遣いがなっていない,それはしつけがなっていないことでもありました。

 子どもが「知識を目指し偏見に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。最も簡単なことは,本を読む環境を用意してやることです。豊かな言葉の世界が深い知識を植えつけてくれます。単語の世界ではなく,文章の世界は知識を状況も含めてきちんと表現するので,正しいか間違っているかが明らかです。さまざまな本の世界に身を入れることで,自分勝手な思い込みから生じる偏見を難なく解消するはずです。本は知識の宝庫です。



 名もなき家事というのがあります。食事をしますが,食器は食卓に置き去りです。食器を洗うという家事につなぐには,流しまで運ぶという名もなき家事が必要です。名もなき家事は誰かがしなければなりませんが,名がないので,誰もしようとしません。名がない,すなわち言葉がないと,誰からも認知されずに,存在しないのです。この隙間を見届けて家事をつないでいくためには,生活という物事の理解が必要になります。家事はつながっていますか? 脱ぎっぱなしの靴は,どうやって靴箱に届くのでしょう。

★落書き★

 絆は動詞にすると絆す(ほだす)となります。馬などをつなぎ止めることを意味します。そこから,他人の自由を束縛するという意味があり,「ほだされる」は自由を束縛されるという意味がありました。転じて,情に縛られることを指すようになっていきました。ところで,絆という漢字は糸が半分という形です。絆は一方的に結ぶものではなく,お互いに半分ずつ持ち出してつながるものです。夫婦の絆,親子の絆,双方が相手に向けて半分ずつ向け合わなければなりません。


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