*** 子育ち12章 ***
 

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「第 8-05 章」


『子の笑顔 吹き消すママの 赤い口』


 ■はじめに

 朝のうちはテレビの音がかき消されるほど,クマゼミがうねるような合唱を聞かせてくれます。植木の傍を通ると,10数匹の蝉が目の前を乱舞して飛び交います。生まれて間もない蝉がはじめて出くわす人間に警戒行動を取れるのは,本能とはいえ感心させられます。

 日中から夜には,木におとなしく留まっています。ときどきジィッと何かを訴えます。早く生まれたお兄さんゼミはあっという間に老いて,土の上に安らかに横たわっています。一夏の一旬を心ゆくまで謳歌したことでしょう。後には子どもたちを残して・・・。

 家の壁や木の枝には蝉の鎧が脱ぎ捨てられています。土を掘り進むのに適したモビルスーツです。7年ほどの修行を終えて,空中に飛び出す時を本能で感じ取り,地上に出て,高みに向けて木や壁をよじ登り,夏の空気に触れるべく脱皮し,透き通った羽根に力を呼び込んでいきます。

 羽根を思う存分に使うことで,よりよい伴侶を広く捜すことができます。しかし,ウルトラマンと同じに,残された時間は限られています。早く見つけなければ,そんな焦りがあることでしょう。わき目もふらずに真っ直ぐに生きた一旬は,どんなにか充実していたことでしょう。

 異性を求め,子どもを残す。命のリングをつなぐ一点に集中して,燃える熱情の中で昇天して行く蝉たち。青春のまっただ中で,乙姫様の玉手箱から出る白い煙を浴びた浦島太郎のようなタイムスリップをしています。

 人は虚しさを感じますが,至福の時に生を終えるのであれば,違うのかもしれません。人の子は二十年の世話がなければ成人しません。蝉のように生みっぱなしでは済まないのです。自然が至福の終焉を意図するものであれば,人は子育ての期間を至福と受け止めるのが正しいことなのでしょう。



【質問8-05:あなたのお子さんは,笑顔を見せていますか?】

 《「笑顔」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇だれが笑顔を?

 幼い子どもの無邪気な笑顔に,親は何度救われることでしょう。子どものためと思い定めるあまり,ちょっとしたことで連れ合いと諍いになることもありますし,子どもが親の思いを知らぬげに勝手な振る舞いをしていると決めつけて落ち込むこともあります。

 どうして私の思いを分かってくれないのか? ふっと眠っている子どもに目をやると,ニコッと寝顔を見せています。楽しい夢を見ているのでしょう。あどけない笑顔がママに囁きます。ママ,ごめんね。ママの言うとおりにしてあげたいんだけど,私にはまだできないの。しばらく待っててちょうだい。今はいっぱいすることがあるから,それを一つ一つ済ませていかないと,できるようにならないの。

 笑顔には何の下心もありません。笑顔は自分を無条件に開き,相手を無条件に受け入れようとするサインです。寝顔を見てママが気付きます。子どもに向かうとき,無条件になっていたか?ということに。こうでなければ!という条件を課していたら,無理強いをする恐い顔になります。3分待てばできあがりというインスタント育ちはあり得ません。恐い顔しないで楽しく遊ぼ,子どもの笑顔はそう言っています。

 幼い子ども,つまりもう一人の子どもがまだ生まれていないか生まれたばかりの頃には,何の思いを持ち合わせてはいません。何の欲もないので素直に人に笑顔を向けることができます。もう一人の子どもが育ってくるにつれて,分別が付き,快感を覚え,先が見えるようになり,ママの意向を感じるようになり,結果的に身構えます。

 子どもが笑顔を見せなくなったら,それはママに対して子どもが身構えているということです。もう一人の子どもが,ママには素直につきあえないと直感しているからです。子どもがなつかないからという理由で虐待に及ぶ事例が目に付くようになりました。なつかないのではなくて,なつけないのです。子どものせいではありません。子どもは開けっぴろげな自分を無条件に受け止めてくれる人には,笑顔を向けるものです。

・・・笑顔とは,直にもう一人の自分たちが交流しようとするサインです。・・・


 〇どこに笑顔が?

 家族の団らんは楽しいものですが,だんだんと廃れていると言われています。皆さんのご家庭では団らんがあることでしょう。何も毎日でなくて,日曜日ごとでもいいのです。笑う門には福が来るというのも,笑顔のある家庭には人が良きことをもたらしてくれるという世の常を言い表しています。

 なにより,笑顔は人の素直さです。ほくそ笑む,嘲笑,愛想笑い,薄笑いなどさまざまな笑いがありますが,笑みそれ自体は人を和ませ励まし慰めてくれるものです。何気なく連れ合いに目を向けると,な〜にといった感じでニコッと笑顔を返してくれます。思わず顔が緩みます。「ママ,どうしたの?」,「どうして?」,「だって,ママ,今笑ったから」,「何でもないのよ」。

 子どもはちょっぴりドジなママが好きです。きちんとできるママの傍では,子どもは緊張します。ちょっぴりへまをしても大丈夫,ママだってしているから,そんな家庭で子どもはのびのび育ちます。至らないママは自分の至らなさを許しています。その許しが余裕になって,子どもに対する気持ちも緩やかになります。笑顔は余裕のある場で生まれます。

 子どもだって外に行けば緊張を強いられます。家の中では,身体を縛っているあれやこれやを外しますが,同じように気持ちを縛っている枷を外して,解放される必要があります。この緩みを持たないと,次の緊張に絶えられなくなります。気持ちにもしっかりとしたリズムが刻まれていれば,落ち着くことができます。

 会社で働いてきたから,うちではのんびりする。家とは安らぐところである。その通りですが,子どもが騒ぐと落ち着けない,そんな気持ちを持つようになったら,家庭人としての心は痺れはじめています。痺れたら感じなくなります。当然,笑顔は消えて,団らんの灯は点かないでしょう。家庭とは私が安らぐところではなくて,私たちが安らぐところなのです。

・・・笑顔とは,一人でいるところにはあり得ないものです。・・・


 〇いつ笑顔が?

 お澄ましな方が歩道の段差に足を取られて,コロッと転びました。周りの方はお笑いになるでしょう。大笑いをする失礼なことはないでしょうが,顔は綻んでるいるはずです。人の不幸は密の味と言われているように,噂話を喜々として話される方の口元には,笑みが含まれています。

 子どもが思いっきり失敗したとき,危ないと思った瞬間が過ぎて大丈夫と分かったら,ママは緊張を払うかのように笑ってしまいます。そんなママを子どもはにらみつけるかもしれません。それが可笑しくまた笑ってしまい,子どもはべそをかき始めます。ごめんねと謝っても,許してくれませんね。

 失敗したら「やっちゃった」と,もう一人の自分が笑い飛ばせたらいいですね。でも,ママが先に笑ったので,笑いそびれてしまった上に,たとえママでも人から笑われるのはプライドに障ります。子どもが先に照れ笑いをするまで,待っていてくださいね。そうしたら親子で明るく笑いあえます。

 子どもはお笑い番組を喜びます。見た目の可笑しさは本能的で分かりやすいので,子どもにもついていけます。仕草の可笑しさはある程度の関心を引きつけるので,目立ちたがり屋さんはひょうきんな仕草を身につけていきます。この子はおかしなことばっかりして,人を笑わせてばっかり。笑いの中心にいるというのは,それを意図しているときには気分のいいことでしょう。そうではないときは,お笑いは人を痛めつけます。

 ピエロの可笑しさは,対比を見せてくれるからです。戯けた仕草と哀しみの表情のアンバランスが心の機微を訴えてきます。単純なお笑いから,ユーモアのセンスにレベルアップしたいものです。生肉をほおばるようなお笑いではなくて,調理された食事を頂くようなユーモアが廃れています。いきなり笑えるといった短絡的な笑いに浸ってばかりいると,共感することで笑えるといった手間のかかる笑いが見落とされていきます。

 見た目の可笑しさではなくて,言葉にできる可笑しさを楽しんだ方が素敵です。言葉は共感する道具だからです。言葉によるユーモアが洗練された印象を与えるのは,共感がベースになりうるからです。もう一人の自分が食べている言葉という食事は,ユーモアという味付けをされるときに,笑顔という満足を表に出させます。

・・・笑顔とは,一方的であるときは危険です。・・・


 〇なにが笑顔に?

 うれしそうな笑顔を見たくて,親は子どもを愛おしみます。惜しみない愛を受けて,子どもは笑顔を返してくれます。笑顔を見せないから可愛くないという親がいるかもしれません。それがときどきマスコミをにぎわすひどい親になってしまう発端です。ボタンを掛け違うことになります。

 親にとって子どもはドラえもんなのです。未来からやってきた笑顔の天使です。ただその笑顔を引き出すには,ちょっとしたおまじないが必要です。おまじないなんてそんなたわいのないことは信じられませんか? でも簡単で効果抜群ですから信じてみてください。子どもに向けて何も考えずに大きく胸を開く姿勢を保つだけでいいのです。子どもはそこに笑顔の花を届けてくれるはずです。

 ママが作ってくれた夕食を美味しそうに食べる子どもたち,必ず笑顔を見せてくれていますね。もしも栄養のある食材を食べさせなければと企んだおかずを出せば,笑顔は儚く消えていきます。だからといって,子どものご機嫌を取り結ぶことを勧めているわけではありません。子どもに対するときには,頭で考えた良いことを押しつけるのではなくて,ママのうれしいとか楽しいとかの気持ちを大事にしてほしいのです。

 ドラえもんのポケットに良いことを詰め込もうとするのではなくて,ポケットから良いことを出させるようにし向けるのです。それが子どもの可能性を引き出すということです。子どもは何がよいことか,それをどう出せばいいのかを知りません。ママに向けて出してごらんなさい,ママが受け手になってやれば,子どもはポケットからいろんなものを出してくれます。

 子どもは顔をほころばせると,ママが喜んでくれるから,笑顔を覚えていきます。ママの笑顔に安心し,笑顔の意味を分かっていきます。良いことはママが笑顔で受け取ってくれること,悪いことはママが悲しい顔で受け取ること,その確認をすることによって,子どもが自然にして良いことと悪いことを見分けていきます。

・・・笑顔とは,ママとの間の「どこでもドア」なのです。・・・


 〇なぜ笑顔を?

 「ママ〜,できたよ」。駆け寄ってくる満面の笑みを,ママは笑顔で受け止めます。成し遂げたという達成感は,それまでじっと抑え込んできたエネルギーを一気に発散させることで頂点を迎えます。笑顔が開放性であるからこそ,喜びのほとばしりと重複します。

 始終へらへらしていると,気味悪がられます。開けっぴろげのままでは不自然だと感じるのが,普通の感覚でしょう。きりっと引き締まった顔,考え込んでいる難しい顔,そのときにエネルギーチャージをしています。上手にコントロールされたエネルギーの使用によって,人は物事を完遂します。残ったエネルギーは一度すべて解き放つ必要があります。その繰り返しが大事なのです。

 真剣な手さばきが求められるとき,人は空気を吸い込んでから止めます。息を殺すのです。一通りの作業が終わると,ふっと息を抜きます。息を止めているときは笑えません。笑顔になれるのは,息を抜くときです。笑い声は吐く息にリズムを持たせて発します。完全にはき出したら,次は新鮮な空気を吸い込むことができます。息を吐かないと,吸い込めないのです。

 「ママ〜,できたよ」,「当たり前でしょ」。子どもの笑顔は水を差されます。出かけたあくびを中途で止めるような気分の悪さが残ります。残存エネルギーの解放が不十分になり,くすぶり始めます。笑顔が見られなくなり,不快感が鬱積し,とんでもないところに吹き出します。例えば,妹を陰でいじめたり,ふてくされてみたり,乱暴な振る舞いをしたりします。使い古しのエネルギーが腐っていくようです。

 人の失敗をあざ笑って溜飲を下げることがあります。不完全燃焼の排ガスが溜まっているからです。ママも手間をかけて作った夕食を家人がうまいと感想を言いながら笑顔で受け入れてくれたら,した甲斐があったと感じ肩の力がスッと抜けていきますよね。子どもを認めてあげるということは,笑顔で迎え入れることです。そこで子どもが笑顔を見せたら,完全燃焼できますから,次に向かって素直に育っていけます。

・・・笑顔とは,子どもの育ちへの大切な応援歌なのです。・・・


 〇どのように笑顔を?

 そうそういつも笑ってなんかいられません。次から次にすることが目白押しで,ゆっくり寝る暇もないのに,どうして機嫌良く笑顔なんかができるんですか? そうですよね。小さいお子さんを抱えていると,毎日があっという間に暮れていきます。大事な自分の時間が家人の世話に費やされていきます。ふっと気付くと,自分は何をしているんだろうという気にもなります。

 出るのはため息混じりの,苦笑いでしょうか? 月並みですが,物事は考えようです。くよくよしてどうにかなるものなら,くよくよするのもいいでしょう。でもたいていはくよくよしてもどうにもなりませんし,かえって悪くなるものです。それなら,くよくよしない方がいいでしょう。

 幸せいっぱいではないから,不幸でしょうか? 格別幸せでもなければ,それほど不幸でもない,それが普通です。だったら,たとえ小さなことでも楽しいことを見つけようとしてみませんか? 例えば,親子でできたこと探しをします。あれもダメこれもダメとできなかったこと探しをすれば暗くなるばかりです。そうではなくて,あれができたこれができたと見ていけば,楽しくなり笑顔が戻ってきます。

 楽しくなれば,できなかったことは取りあえず先送りにしておこうと余裕をもって受け入れることができます。またやってみよう,そのうちできるようになる,その期待を持てば,次なる楽しみが生まれます。明日を楽しみにするためには,今日できなかったことを明日へ繰り越すことです。まだできないと思うのではなくて,きっとできるようになると信じることです。

 希望と言えば大げさですが,子どもの育ちを信じていれば,気持ちは前向きになります。よいことを信じることで,人の心は安らぎ笑顔になれます。不安を無くそうとするのではなくて,不安は抱えたままで,一つの希望を持てば,よい方に転がっていきます。人にとって最も辛いのは,八方ふさがりと思い込んでしまうことです。たとえ七方はふさがっていても,一方の活路は必ず開けているはずです。そう信じてみましょう! ママが笑顔を取り戻さなければ,子どもは笑顔を出せなくなります。

・・・笑顔とは,不安があればこそ頼るべき安心への活路です。・・・



《笑顔とは,最も簡単で大切なコミュニケーションです。》

 ○温かい人と冷たい人,優しい人と厳しい人,いい人とわるい人。人はどのように見分けているのでしょうか? 共通しているのは笑顔があるかないかということです。かわいい子とかわいくない子,そこにも笑顔が絡んでいます。

 笑顔を交わす間柄は心が通っているのです。下手なダジャレで笑ってくれる人は,その下手さ加減を優しく受け入れてくれています。子どもが転んで泣いているとき,通りがかりの人が笑顔で見守ってくれます。ガンバレるだろう,しっかり。笑顔は応援メッセージでもあるのです。


 【質問8-05:あなたのお子さんは,笑顔を見せていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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