*** 子育ち12章 ***
 

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「第 8-06 章」


『吸いながら 乳首まさぐる 赤子の手』


 ■はじめに

 何気なくテレビを見ていたら,中学生の性体験の話が飛び込んできました。ある調査によると,高校3年生の女子は半数弱が体験者だそうで,かなりの中学時代体験者もいるそうです。インタビューに答えていた中学生は不特定多数が相手で30人ぐらいなどと言っていたようです。知り合ったその日にという場合もあるとのことで,軽くなったものと驚いています。

 中学生時期は異性に興味を持つのが自然な育ちですが,男子はまだ観念的であるのに対し,女子は実践的な傾向があります。早熟ということですが,開放的な風潮が追い風になっています。子どもたちのすぐ近くに気軽に飛び込むチャンスがあるという状況は心配です。

 低年齢化という言葉が若者の生態に対するキーワードですが,成人病の若年化も同じ範疇にくくることができます。その先に残されているのは,長寿のズバリ割引です。今の子どもたちは生き急ぎをしているような気がします。そんなに急いでどこに行こうとしているのでしょう?

 生き物には旬があります。人にもそれぞれに適齢期があります。何も結婚だけではありません。ノーベル賞を貰った人が対象になった仕事をした時期は30代後半です。そのころが最も自由な気力が溢れている旬の時期なのです。スポーツでは10代から20代前半ですね。

 豊かな社会の中で人が温室育ちになってきたために,知らないうちに促成発育になっているのでしょうか? 熟すという最高のタイミングを前倒しに外していると,きっと痛い目に当たります。何も罰が当たると言っているのではありません。本物の生き方をしないことが悲しいのです。

 食べられるためだけに育てられるニワトリさんたちと同じ境遇になっているように見えてしまいます。ニワトリとして生きるということを知らないままに,ただ人にとって美味しくなるために一生を終わるのは切ないですね。「自分を大切に」,そういう余裕を与えない暮らしぶりとは,果たして幸せなのでしょうか?

 子ども時代は子どもであることが旬です。大人のマネを先取りしたら,その支払いはあとになってつきまといます。「さっさと早くしなさい」,暮らしを急いでいると,月賦,年賦,世代賦,と負債を抱え込んでしまいます。生き急ぎは巡り巡って不良債権ならぬ不良人権の源であることを悟らないと,大事な人生を破産させてしまいます。もっと気持ちを楽にしましょうよ。



【質問8-06:あなたのお子さんは,手を使っていますか?】

 《「手を使う」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇手を使うのは誰でしょう?

 日本人は手を使い,西欧人は足を使うという類型化を考えている方がいます。盆踊りなどは手の舞いですが,バレーは足を舞わせます。正座は足の動きを封じますが,椅子に座るのは足を生かしたままにしています。

 ところで,悪事に手を染めて,足を洗うと言います。染めた手は洗わないままにしているのが気になります。子どものイタズラを叱るとき,「この手がいけない」と手にお仕置きをすることがあります。手が勝手に動いたということでしょう。勝手とは手が勝つのですが,誰に勝ったのでしょう。手を動かしている命令者に勝ったのです。

 鼻の頭がかゆいと自然に手が動きます。そうしようと思っているわけではありませんね。猫や犬などの動物もしていることですから,本能的なものです。この手の動きは,生きるために掴む,摘む,触る,押す,叩くなどの単純なものです。

 人は手を使うことで人になりました。意図的に手を使うことができるので,人になれたのです。意図的とは誰かが考えることです。考えて命令しているのは,もう一人の自分です。道具を使うという能力は,道具の機能を理解できるから発揮できます。物事を理解するのはもう一人の自分です。

 ナイフは押さえて引く,フォークは刺すという単純な動作ですから,手の動きそのものです。ところが,箸を使うというのは,二本の棒を指で制御しなければなりません。指の微妙な力加減と動きによって身体ではない箸先に摘む,挟む,切るなどの動作を実現させる必要があります。箸先がモノから受ける力を感じて摘む力を加減できないと,ポトンと落ちて摘み上げることはできません。

 指を使うためには,頭で計算をしています。言い換えれば,もう一人の自分が制御しているのです。知能の発達は手を使うことでもたらされたと言われていますが,正確には5本の指を同時に使うという複雑な機能訓練が発達を促しています。箸使いはしっかりとしつけてくださいね。それが知能開発の秘密の第一歩ですよ。

・・・手を使うとは,もう一人の自分が指を使うことなのです。・・・


 〇手をどこに使えばいいのでしょう?

 手の施しようがない,手がつけられない,お手上げだ,という場合があります。物事との関わりは手を使って行われるのが一般的ですから,その手が役に立たなければどうにもなりませんね。それでもどうにかしなければ,どうにかしたいということはたくさんあります。モノを欲しがって泣き出したわが子に手がつけられなくなったら,しばらくは放っておくしかありません。何かいい手はないかと考えてしまいます。

 手当は治療の原始的な形の名残です。お腹が痛いときはお腹に手を当てます。子どもがお腹を手で押さえていたら,ママはお腹が痛いのだろうと察しが付きますね。痛みを抑えるために患部を手で押さえています。ところで,お医者さんは「どこが痛いですか」という問診から始めて,次は触診をします。患部の周囲をあちらこちら押さえて痛むかどうかを尋ねます。その診察結果から治療法を選びます。

 いい手とは,まず拗れた原因を突き止めて,そこを正常に戻す最適な方策を選ぶことです。お手上げには,原因が分からない場合と,対処法が分からない場合とがあります。もちろん,対処が不可能な場合もありますし,可能であっても一時しのぎであったり,新しい弊害を招く場合もあります。モノを欲しがって泣く子どもの場合は,泣きやませるためなら買ってやれば済みますが,それではわがままの増長という副作用が伴います。

 泣くのは欲しいという欲望が拗れているためです。欲望に手当を施すことが選ぶ道です。欲望には良性と悪性とがあります。悪性の欲望は放置しておくわけにはいきません。増殖や転移をしないうちに,早期に適切な手を打っておく方がいいでしょう。

 欲望には波があるので,「しばらく様子を見よう」という静観がなされます。「好きなだけ泣かせておけば,やがて納まるだろう」と診断して,時間という薬を投与する対処法です。その際に無理に子どもの手を引っ張って場所を移動するという隔離策が付随することでしょう。一般的に見られる療法ですが,対処療法であり,治療にはなっていません。普段はそうするしか仕方ありませんね。

 三度に一度でいいですから,子どもが我慢という抗体を持てるように手助けしてやりましょう。それは妥協するという方法です。100%ではないが50%は満たされたという充足感を与えるのです。平たく言うと,無いよりマシか!という妥協です。今はダメだが待てばいいという楽しみな約束に振り替えるとか,別のモノに変えるとか,何か実現できるものを提示してやります。子ども自身が自分の欲望に手を当てるチャンスを作ってやってください。

・・・手を使うとは,変えたいところに手を当てることです。・・・


 〇手を使うのはどんなときでしょう?

 手はいつ使われるのでしょう? その答えは漢字にあります。手偏の字を拾ってみます。打,払,扱,技,抗,抄,折,択,投,把,抜,批,扶,抑,押,拐,拡,拒,拠,拘,招,拙,拓,担,抽,抵,拝,拍,披,抱,抹,括,挟,拷,指,持,拾,挑,振,挿,捜,捉,捕,据,掘,掛,掲,控,採,捨,授,推,接,措,掃,探,排,描,握,援,換,揮,提,搭,揚,揺,携,摂,損,搬,搾,摘,撮,撤,撲,操,擁,擬,擦,などです。

 一つ一つを見ると,それぞれの手の動きがイメージできます。手を使うときは外界に対して働きかけるときです。暮らしを豊かにしてきた文明は技術の発展に支えられていますが,手で支えると書いて技という字になります。漢字が生まれた頃は手工業の時代ですから,容易に察しが付きます。手による創造が技術です。

 最近は手を使わなくなってきました。例えば,指で押すだけで用が足りることが増えてきました。テレビ,レンジ,炊飯器,洗濯機,電話,パソコンなどは,スイッチポンです。つかむ,ひねる,引っ張る,ねじるといった動きが暮らしの場から減少しています。手の退化が進行しているはずです。機械任せになることで,人の技は消えています。

 字にこと寄せて考えていますが,今の幼児の身体機能は過去最低の状況に陥っているそうです。手を使わない生活のせいです。鉛筆をまともに持てない大学生が珍しくありません。こう言うと,鉛筆を持てない不器用さと大学生になる学力とは関係ないという証拠だと受け取られかねませんが,心配なのは大学卒業後のことなのです。学生の間の失敗はただ点数の低下で済みますが,社会では総合的な実力が求められますから技の低下は実害になります。

 外で遊ばせることがいいと言われても,何がいいのかという疑念が残り,遊ばせなくても大した損失はなさそうだと高をくくっている風潮があります。外の世界にはボタンがありません。それが大事なことなのです。手を最大限に使わなければならない環境にいてこそ,手の発達が促され,技を体得できます。さらに,技の背後には知能という根っこが伸びていきます。根っこですから見えません。この秘密を見落とさないようにしてください。

・・・手を使うのは,知能ソフトのインストール作業のときなのです。・・・


 〇手を使うと何が起こるのでしょう?

 手習いと言いますね。子どもは基本を手で習います。字を書く,絵を描くなどをはじめとして,スポーツの稽古,モノを作る,整理するなど,あらゆる行動は習うことで身につけていきます。学ぶが真似るであるということを以前に言ったことがありました。手の使い方を真似ているのです。

 あんなことができたらいいな,私もしたいな,そう思ったら自然に手真似をするはずです。子どもは親の仕草を盗みます。知らず知らずに真似ているから似てきます。親の手が子どもの手にコピーされていきます。その手渡しがスムーズに進むように,いろんなことを一緒にしてくださいね。

 「ほらほら,邪魔だからあっちに行って」,「余計なことはしなくていいの,自分のことをちゃんとしなさい」。時代劇で,見習いの職人さんが師匠からそんな言われ方をしている場面を見たら,意地悪な師匠だと感じるでしょ。じっくり教えてやればいいのに,とママはお弟子さんに同情するはずです。でも,自分の暮らしに重ねると,意地悪に見える師匠の苛立ちも分かったりして?

 手本なしのまま自己流で書いた字は,妙な癖がついた悪筆になりますね。もしママがお手本を身近に見せておいてやろうとしなければ,子どもは自分勝手なやり方でいい加減に覚えてしまいます。後で矯正しようとしてもたいへんですし,余計な回り道をさせることになります。暮らしのあれこれには物事をやり抜くための大事な要素が一つの流れとして詰め込まれています。そっくり丸ごと習い覚えさせておきましょう。

 買い物に行くときには必要なものを書き出したメモを持参し,ガスの元栓を締め,電気を消して,戸締まりをいちいち確認しますね。子どもを先に表で待たせておくのではなくて,傍において一部始終につきあわせるのです。こうして見せておけば,その動き全体の流れを一括して覚えることができます。口頭で箇条書きに言い聞かせても,流れのイメージができていないとどれかを必ず忘れるはずです。してみせることが大事ですよ。

・・・手を使うとは,よい見本を手にコピーすることです。・・・


 〇なぜ手を使おうとするのでしょう?

 講義に出張してあるホテルに宿泊したときのことです。エレベータに飛び込んだら,汗だくになってふき掃除をしている男性がいました。「暑いのにたいへんですね」と声を掛けると,「夏休みで子どもさんが多いので」という返事が返ってきました。何のことかと一瞬考えましたが,エレベーターの壁やパネルを拭いている姿から,子どもたちが触りまくっていることに察しがつきました。

 手垢が付くといいますが,ピカピカに磨き上げられた金属板は,手の脂が付くと目立ちます。明日結婚式があるのでと,お客さん相手の施設では陰の苦労があります。お手付きはしてはいけないことに手を出した状態ですが,子どもは手当たり次第に触りまくります。赤ん坊を抱いていると目や鼻や口に手を伸ばしてきます。触らないではいられないのです。

 大人は触覚の大事さをいつの間にか忘れてしまっています。せいぜい,身に纏うものの肌触りとか,食材の品定め程度のことと思っています。もしも触覚が失われたらどうなるでしょうか? 手でものが掴めません。立てませんし座ることもできなくなります。まさに寝たっきりになり寝返りも打てず身動き一つできなくなります。

 子どもが立って歩くためには,筋肉が力をつけるだけではなくて,バランス能力を発揮しなければなりません。そのバランスは足の裏の触覚情報によって得られているのです。足が痺れた経験をお持ちでしょう。立とうとすると惨めに転ぶはずです。触覚は人間らしくあるために最も大切な感覚なのです。

 子どもは触覚を使って外界のイメージをつかもうとします。ママの触感がママとの最も安らかな対話になります。触れ合いが心を和ませるのは,触感こそが根元的な認知手段であるということを示しています。抱きしめる,さする,撫でる,といった手による語りかけを子どもは待っています。寝かしつけるときに手で優しく叩いてやりますよね。

 食事の前には手を洗います。ということは,食事の前には種々雑多なものに触ってもいいのです。あらゆるものの感触を心ゆくまで堪能したら,身の回りにあるモノに関するデータを集めることができます。子どもは未知の材料を見つけたら,その都度いちいち確認するはずです。黙認しておいてください。

・・・手を使うとは,モノの感触を心に刻みつけようとすることです。・・・


 〇どのように手を使えばいいのでしょう?

 上手とか下手とか,手にも上下があるようですね。「アンヨは上手」と幼児をほめました。児童になると「どうして下手なの」と激励するようになりませんか。「お上手ですね」とお互いをほめ合います。陰では私の方がもっと上手と思ったりすることも?

 好きこそものの上手なれ。上手になろうと思えば,好きになることが一番です。大人になればそれも可能ですが,子どもは好きになろうにもしたことがないことばかりですから,まさにお手上げです。すべてがはじめてで,思うようにはできないはずです。下手なんです。それでいいのです。

 子どもに好きになれと言うのが無理であれば,どうすればいいのでしょう。それは嫌いにならないようにすることです。最初は誰でも下手なんだ,というゆとりが必要です。ママだって最初は下手でできなかったのよ。気にしないでいいのよ。その言葉掛けが本物の激励です。

 気兼ねなく下手でいられたら,繰り返すことができます。あっという間に上手に向かって駆け上っていきます。そうなればほめてやれます。ますます力をつけます。はじめはゆっくり行きましょう。見ているとイライラするかもしれません。そんなときは見ないようにしてください。

 土いじりをするとき,ブロックを積み上げるとき,折り紙をするとき,工作をするとき,清書をするとき,年齢に応じた細かな手作業がいくらでもあります。幼児期の簡単な手遊びから少しずつ訓練をしていれば,大きくなっても苦労しなくて済みます。段階を追っていろんな手遊びを経験させてください。

・・・手を使うとは,順序よくたくさんの経験を積むことです。・・・



《手を使うとは,外界への働きかけのすべてに習熟することです。》

 ○手に職を持つと言っていました。今の子どもたちは知識は多いのですが,それを実行する力は弱くなっています。実行とは外に向けて発揮することですが,それは手を使うことです。手は単なる道具だと侮っていると,評論家ばかりが蔓延します。

 生きる力とは実行できる力です。手を使う段階まで自分でできるようにならなければ,いつまでも独り立ちできません。幸せになりたいといくら強く思っていても,それを自分の手でつかまなければ,何の意味もありません。思ったり,考えたりすることだけでは,幻に過ぎないのです。そうではありませんか?


 【質問8-06:あなたのお子さんは,手を使っていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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